第百七十七話 届かない想い
シェスから情報を受け取った僕は彼を連れ立って外に出た。
潮風が生乾きの僕を容赦無く吹き付けてくる。昼間の一番暖かい時間だったが、僕は寒さのあまりくしゃみをしながら震えてしまった。
「うへー寒い! こんなことになるなら着替えてくればよかったよ。エンカも何も海に投げる必要ないのに……」
どこかで拗ねてるだろう神獣に悪態をつきながら僕は海岸を目指す。シェスを放置して着替えてもよかったが、彼を強引に読んでしまった手前、ほったらかしにするような失礼な真似はできない。
きっちりと片付けてから戻るのが僕なり礼儀なのだ。
そのシェスは何も言わずに僕の後ろをついて歩いていた。これから殺されるとも知らず、黙々と。
時折振り返って見ても彼は相変わらずの無表情で何を考えているのかすら分からなかった。
おかしいな、彼の縛りはかなり緩めたつもりだったけど効いてないのか?
普通だったら自分の置かれている状況に慌てるはずなんだが……
シェスの顔をもう一度確認した僕は彼が狼狽えないことに疑問を感じていた。
それは彼の命縛法は外に出てからはほとんど解き、歩く方向だけを指示しているくらいだったからだ。
足以外の頭や手などは自由に動かせる。口も自由なのだから話すこともできるはずだった。
そんなことを考えていると、沈黙を破るようにシェスの声が飛んで来た。
「君はなぜ、こんな真似をする? 私の拘束を解いて、護衛もつけず二人きりで外に出るなんて、一体どう言うつもりだ?」
シェスの声は僕の予想に反して落ち着いた。
ゆっくり後ろを振り返ると、数歩離れたところで立ち止まり僕を睨むシェスの姿があった。
まるでこれから何が起きるのか分かっていると言いたげの表情だ。
「そうだね、君の質問に敢えて答えるなら、目的地に着くまでの退屈しのぎかな」
僕は湿った頭を掻き毟りながら答えた。
実際どこで処分しようか考えていたし、寒さも限界に近かったので彼から切り出してくれたのは助かる。
シェスの質問に答えながら熱魔法で服を乾かすことにした。
「ほら、道中男二人で無言で歩くって結構気まずいもんだよ? 強制的に連れてるのは僕だから何とも言えないけどさ」
「それだけなのか? 私に後ろを取られて攻撃されても知らないぞ?」
僕が袖口を乾かしているとシェスは魔力をゆっくりと高めながら質問してきた。
自分の袖口を見ていたので表情はわからなかったが、彼の声には苛立ちのようなものが含まれ始めた。
「その心配には及ばないよ。君程度なら僕に傷一つつけられないからね」
僕がそう言うと、シェスは僕に殺意を込めた視線を飛ばしてきた。その口は固く結ばれ、歯軋りの音でも聞こえてきそうだった。
「そうか……それならば! このまま大地に眠るがいい!」
そう言うとシェスは瞬時に構築した魔法弾を僕に撃ち込んだ。そして彼自身も剣を抜いて魔法弾の後ろに隠れて僕に突進をかけてきた。
話はしたかったが戦うのは面倒だよ。
内心ため息を吐いた僕は、飛んできた魔法弾を左手で弾き飛ばし、シェスが振り上げた剣を魔力強化した右腕で受け止めた。
繋がったばかりの腕だが、強化して動かせば特に痛みはない。彼の刃は僕の皮膚すら切っていなかった。
それでもシェスは怯まずに僕を押し倒そうと剣に力を込めてきた。
だが所詮は素人の剣だ。彼がどれだけ力を込めても僕の腕に傷一つ付けることはできない。
「君では僕の相手は役不足だよ。大人しく死んだ方がよかったんじゃない?」
僕に歯向かえばより酷い死に方をすることはこの男も分かっているはずだ。
それでも尚攻撃をしてきた意図が分かりかねた僕は、彼に頭突きをするように顔を近づけて言った。
「確かにそうかもしれない。だが、娘に謝罪できなかった私が唯一してやれるのはお前を道連れにすることだけ。それが私に残された唯一の道なんだ!」
一度剣を引いたシェスはもう一度僕に斬りかかろうと剣に魔力を込めはじめる。でかい一撃を繰り出すつもりだろう。
だがそれを悠長に待っているほど僕の気は長くない。それに彼の娘の件は僕に関係ないので変に巻き込んでほしくなかった。
彼が動きだすよりも前にその剣を空間転移で奪い、そのまま彼の心臓に突き立てた。
「なっ、なんだ……と」
シェスは驚いたように目を見開き、呆気に取られたように自分の胸を凝視して言った。
しかしすぐに力抜けたように地面に崩れ落ち、浅い呼吸の中痙攣し始めた。
「遅いよ、遅すぎる。まともな戦闘訓練を積んでない君では僕に歯向かうことすら許されない。君の人生はね、僕に情報を渡した時点で終わってるんだよ」
せめて攻撃するなら部屋の中、密閉空間でやるべきだったね。ま、その時は命縛法で動けないから無理だろうけどさ……
最早僕の声は聞こえていないだろうが、彼に丁寧に教えるつもりで言った。
「ごっ、う……シェ、シェリー、すまない。わたし、が……」
やはり僕の声は届いていないようで、彼は途切れ途切れに地面に向かって呟いていた。
謝罪のつもりだろうか、シェスは娘の名前を連呼している。
動けないはずの体を前に進めようと、シェスは震える手足を力なく動かしていた。
彼が実の娘に対して命縛法をかけようとしたことは知っている。そしてその後も娘には謝罪できず、一人落ちぶれていたこともだ。
「君には、娘に謝罪し、償う時間は十分あったはずだ。プライドを捨てきれない貴族の成れの果ては虚しいもんだね」
僕は彼に諭すように言ったがそれは無意味だった。僕の声が届く頃には彼は息絶え、その血が砂を赤く染めていた。




