第百六十八話 影者と村娘
私は子どもの頃は小国の小さな村に住んでいた。両親もちゃんと生きていて、私は二人の愛情をたっぷり受け取った村一番幸せな娘だった。
村の人々もいい人達ばかりで、村でいたずらをしても笑って許される気さくな人達だ。
大きくなったらたくさんお金を稼いで村の人達が少しでも楽に生活できるようにしてあげたい。そして、私は素敵な旦那様の元に嫁ぎ、両親を喜ばせてあげたい。
それが小さな私の夢だった。
幸い私は村の中でも魔法の才能が高いらしく、旅の魔法師の人に正式に魔法を学べば優れた使い手になれると言われたこともあった。
私が一つでも魔法を覚えれば、母は私に飛びつき、『フィオは本当に何でもできるわね! 貴女の将来が楽しみよ!』と言っていつも喜んでいた。
その姿を見るのが私も嬉しく入手した魔法は何でも習得していった。
当時の私は努力をすれば本当に夢は叶うと思っていた。
しかし、私が八歳になった時、私は大人達の不思議な一面を目の当たりにした。
それは一人の子供が村に迷い込んで来た時のことだ。
私より小さな体の男の子は、身体中擦り傷だらけで服も泥まみれだった。そして背中には場違いなほど綺麗な楽器を背負っていた。
楽器の美しさに見惚れたこともあるが、端正な顔立ちをした男の子にも興味がそそられた。
村の同年の子達を比較しても気品ある顔立ちが、身分の高い雲の上の存在にも見えたからだろう。
遠目で見ていた私は大人達がヒソヒソと何か言っていたことは覚えているが、その時は気にも留めなかった。
そんなことよりもあの子と話したいという思いが強かった。
しかし両親は私が男の子に近づくことを許さなかった。
私が男の子に近づけさせてもらえなかったのか、その理由は次の日になって分かった。
村の人たちは彼の大事に背負っていた楽器を取り上げたのだ。そして男の子は昨日よりもボロ布の状態になって村の外で捨てられていた。
私はこっそりと男の子の介抱をしようと近づいたが、汚いものを見るような目で睨み返されてしまった。
その子がどうなったかは分からないが、あの時恨まれてでも手を差し伸べるべきだったと後になって後悔した。
あの時の男の子の絶望の表情と、周囲の大人達の欲望に歪んだ顔は今でもはっきりと覚えている。
それからの村の生活は不自然な程に良くなった。
村の人間が袖を通すこともできないような上等な服が村に溢れ、普段食べれない贅沢な肉料理も振舞われる。村人達の顔はより一層幸せそうに輝いていく。
しかし、私はその光景は気持ち悪く、嫌な景色に見えた。人から、それも抗う力もない男の子から奪った富で贅沢をする。
あれだけ優しかった人達が一晩過ぎれば醜い化け物のように映って反吐が出そうだった。
それは私の両親に対しても同じだ。贅沢な暮らしを始めた両親がどこか汚いもののように移り、両親に反抗することが多くなっていった。
そして、十五歳で成人した私は村を飛び出した。
せめて産んでもらった恩は返そうと成人するまでは我慢していたが限界だった。薄汚い金で手に入れた暮らしなんて私には受け入れられなかったからだ。
その頃には私の荒れ具合に両親もうんざりしていて私が家を出ても追ってくることはなかった。むしろいなくなってホッと胸を撫でおろしたことだろう。
両親とはそれきり会っていない。数年後に風の噂で村共々皆殺しにされたと聞いたが、何も感じなかった。
もしかしたら成長したあの時の男の子が復讐に戻ったのかも知れない。
ただ私はそのことに意識を向ける余裕はなかった。その頃は仕事を覚えることに必死だったからだ。
村を飛び出した私はとある組織で影者としての教育を受けていた。そうなった経緯は簡単で、当てのない旅をしていた私をとても綺麗な女性がスカウトしてきたからだった。
その組織は世界を改革するために作られた組織で、薄汚れた国や人間達を裏で操り世界を正常にしていく。私の理想とする世界にぴったりだった。
そこで数年の修行を積んだ私は、組織の新しいリーダー、アルドベルに指名されてストルク王国への潜入を命じられた。
任務の内容は、王族を精神魔法で支配し国を牛耳る。そして国中に魔力集めの魔法具をばら撒き魔力を集めること。
やっていることは悪そのものだが、それを正しい世界へ変えるための正義と信じていた私はその命令を忠実に実行した。
結果はリジー様に全て破られ見事に失敗。私は組織から除名され、国に捕まってしまった。
そのまま極刑だろうと思い覚悟していたが、あろうことか私を捕まえた少女は国を欺いてまで私を仲間に引き入れた。
生きたいと思っていた私は都合の良い主人だと最初は思った。
だがその考えは直ぐに正すことになった。
私を新たに雇った少女は今まで会った中でもとりわけ強い意志を持つ人間だった。
雇われる前から彼女のことは知っていた。国一番の魔法の使い手でアルドベルを狙う復讐者。
しかしそれだけではない。彼女は何を犠牲にしてでも推し進めようとする鋼の意志を持ち、立ち塞がるなら誰でも容赦しない。
間近で彼女の戦いを見て戦慄するほとだった。
それでいて人を思いやる気持ちだけは失くしていない。そんな少女に私はどことなく惹かれた。
彼女のためなら私は命を捨てても良い。そう思える程の魅力が少女にはあった。
だからベルネリア山で失敗した私は彼女に会うことに気負いしてしまった。
失望されたらどうしよう。そう思って引き篭もっていたが、リジー様自ら私のもとに現れた。それも、私の身を案じるように優しく訊ねてくれる。
リジー様、お止めください。今回の失敗は私が招いたこと。私は気遣われる権利なんてないのです。
心の中でそう念じても小さな主人には届かない。
西日に反射した赤い瞳が私を見上げる。私を心底心配している様子に、さっきまで感じていた自己否定は霞んで消えていく。
代わりに浮かぶのは彼女のために何かしたいと言う思いだけだった。
次は絶対に失敗しない。彼女の望む結果を持ち帰ってみせる。
城に向かっていく小さな主人を見届けた私は横に座っているベルに目を向けた。彼も同じことを考えているのだろう。私と目が合うと大きく頷いた。
「ベル、明日には出発するわよ。装備の準備、できてる?」
「当然だ。何なら今からでも良いぜ?」
ベルは後ろを指差して言った。彼の背後には、いつの間に用意したのか、既に旅の装備が二人分きちんと置かれていた。




