第十五話 王女の憂慮
「では、また明朝に」
そう言って少女は部屋から出て行った。
肩まで伸ばした黒髪に燃えるような赤い瞳が印象的な少女。顔立ちは私よりも整っており、どこかの国の姫と言われても納得できる気品があった。
彼女の髪と目の色はこのアトシア大陸では珍しい。
多くの民が栗色の髪に水色の瞳だから余計にだ。
セレシオン王国の辺境の村で黒髪の一族がいると聞いたことがあるが、もしかしたら彼女はその村の血を引いているのかもしれない。
初めて会った時は不思議な感じがしたが、最近は見慣れたものだ。だが、貴族たちは見慣れていない。明日、一部の貴族は猛反発することだろう。
異国の血が入っている者は何処に行っても虐げられる。ましてや国の重大な儀式、揉め事は起こり得る。
リジーは問題ないと言っていたので信じる他ないが、推薦した身としては彼女の肩身が狭くならないよう配慮しなければならない。
「エメリナとジェットを呼んできてくれ」
フィオに指示を出し、待っている間に明日の準備に取り掛かった。
明日は自分も参加することになっている。衣装を着るのは好きではないが国の代表として毅然としていなければ示しがつかない。
兄のキンレーンは着替えも準備も世話役に任せている。本当ならそれが王族として普通なのだろうが、やはり私はできることは自分でやりたい質なのだ。
明日着る服を取り出し、手入れをしていると先ほど呼びにやったエメリナとジェットがやってきた。
二人とも私の従者だ。エメリナは母、サルメ王妃と同年齢で、ふんわりした雰囲気が全身から出ている女性だ。ジェットもエメリナと同じくらいの年齢だが、白髪が混じった顔はクラン隊長とはまた違った厳つさがある。
この二人には幼い頃から世話になっていた。作法から始まり、魔法、剣術の基礎を叩き込まれたのだ。たまに嫌で逃げたこともあるし、叱られたこともある。だが、成長した今では良き理解者として従事してくれている頼もしい存在だ。
「急に呼んですまない。明日のことはフィオから聞いているだろうが、もう一度説明する」
後ろにいるフィオに目配せすると、彼女は一礼して二人に書類を手渡した。
「……と言うことは、私たちは明日から暫くリジーのお世話をすると言うことね?」
一通りの説明を受け、書類を読み終えたエメリナが確認した。戦争の件では眉一つ動かさなかったというのに、リジーの話になると急に輝きだした。表情が変わらないジェットとは対照的だ。
リジーとエメリナはここ数節で何度か対面している。
元々子どもが好きなエメリナはリジーの容姿に一目惚れし、会うたびに世話を焼きたがった。
彼女が菓子好きと知ってからは各地の銘菓を自費で集め始め、今日のように振舞われている。
リジーも菓子に釣られた訳ではないが、エメリナのことは慕っているようにも見える。母親のような温もりを感じるところに拠り所を求めてのことかもしれない。
「そうだ。明日以降はこの執務室近くの居室を利用してもらおうと思う。一部屋空きがある」
そう言うと二人は同時に頷いて了承した。
「あの子はこれから先、敵が増えることになるのは間違いない。特に貴族からだがな。そっち方面の対応は私が受け持とう。エメリナはあの子の生活面を支えてくれ」
「わかったわ。貴婦人方からもお誘いがあるでしょうから、それは私が対応するわね」
この二人は長い間一緒に仕事をしているからか、指示を出すと残りの役割分担はすぐに割り振っていた。
名も知らない少女がいきなり英雄候補として王族から推薦されるのだ。貴族達が探りを入れることは容易に想像できる。
そんな貴族達の妨害をいくつも想定し先回りで潰していくのが二人の戦略だ。それに潰す際は容赦がない。
特にエメリナは恐ろしい。普段の温和な表情が、氷も凍てつくほどの冷たさを放つ。魔法を使っている訳ではない。
彼女の周りだけ温度が下がったような感覚になる。前に一度見たことがあるが、普段とは違いすぎる雰囲気に圧倒された。
「ところで、あの子は継承できそうか?」
ジェットがいつもと変わらないトーンで明日の儀式について尋ねてきた。顔は真剣な表情だから心配しているのだろう。
「確かな根拠はない。だが、今の時点で規格外に強いからな、今の王国内であれば一番可能性があるだろう」
例え継承できなかったとしても、王国でも一番の魔法の使い手であるのは間違いない。
彼女を守ると言うのはそれだけ価値があるのだ。
それがわかっているジェットは多くは聞かず、全員に飲み物を注ぎに席を立った。
「仮にだけど、あの子が力を継承できた時はどういう扱いになるのかしら?」
エメリナが思案顔で尋ねてきた。
扱いというのは彼女の処遇のことを聞いているのだろう。
私は顔を顰めた。彼女を推薦するにあたって私が最も心配しているところだ。
国を左右する力となれば上院貴族達は黙ってはいない。国のためと宣って、彼女を利用しようとする輩は出てくるだろう。
「放っておけば上の者達の傀儡になる可能性もあるだろう。もちろん、私が阻止するがな。だが、それでも防衛線は張っておきたい。リジーは拒否するかもしれないが、貴族の地位をつけるのが妥当だと思う」
エメリナも静かに頷いた。少なくとも爵位が与えられれば貴族からの一方的な攻撃はなくなる。
貴族同士での争いは表面上は禁じられているからだ。身を守る上で、爵位は盾になってくれるのだ。
この国では力ある者が評価され地位が与えられる。
近衛隊のクラン隊長も入隊時は貴族ではなかったが、実力を評価され、今では騎士の位を持っている。
そのおかげか、元々の人柄かもしれないが、彼は貴族からの嫌がらせは受けたことがない。
リジーにもそれと同等かさらに上の位は必要となるだろう。
「縁談も山のようにくるでしょうね。あの子の力を取り入れられると発言力は確かなものになるものね」とエメリナのトーンの下がった声が聞こえてきた。
その辺りはリジーが決めるべきだが、エメリナだったら完全に阻止しかねないな。
「基本的に結婚相手はあの子が決めるべきだ。君は、あくまで補助だからやりすぎるなよ」
ジェットが私より先に釘を刺していた。エメリナは渋々といった風だったが反対はなかった。
リジーは結婚に興味はないと言っていたから拒否していくだろう。そう一人納得してジェットが注いだシーラを口に含んだ。
それからしばらく三人で対応を話し合い、夜が更ける前に二人は部屋へと戻って行った。
一人は意気揚々と、もう一人は普段通りの足取りで。私も寝室に戻ってからはすぐに眠気に襲われた。
道中、何事も起こらなければいいが……。
夢へと堕ちて行く中、私は明日を憂いていた。




