第十四話 少女は候補者
日は既に沈み、街中に設置された街灯の魔道具と星明かりが王都を包み込み始めていた。今日の仕事を終えて意気揚々と軍施設から街に繰り出していく隊員達を執務室の窓からぼんやり眺めていた。
「はぁ……」
珍しくため息が出た。別に書簡を読むのに夢中になってお昼を食べ損ねたからではない。あれは自業自得だ。
書簡自体はすぐに読み終えた。その後、歴史的な背景などが気になって軍図書に閉じ篭って資料を読み耽らなければ食べることもできたはずだ。
ため息を吐いた理由は別にある。この後のことを考えるだけで憂鬱になっていたからだ。これからこの国で起きることが書簡には記されていた。
戦争。そう、それもストルク王国とセレシオン王国の二大国が戦争するのだ。
セレシオン王国はストルク王国の東側に隣接しており、アトシア大陸の東側の大半を支配している。両国は多少の衝突はあれど、建国以来、良好な関係を続けていた。互いに強く衝突すれば、大陸中を巻き込んだ戦争に発展することが分かっていたからだ。
それが、先日、セレシオン側から突然の宣戦布告を受けたのだ。戦争の理由はセレシオンが信仰する神殿が、ストルク王国によって荒らされたというものだった。
正直、宗教関連の知識自体が乏しかったので、何故戦争になるのか理解できなかった。もちろん、いきなりの戦争に理解が追いつかなかったのはある。なので、昼からは宗教の書物や神話などを読み漁ることになった。
セレシオン王国は昼を象徴する神ハイドを天教として信仰している。初代国王はリーグと同じように力『天の炎』を授かり、国を治めたと言われているのだ。そんな天の炎は、星の雫と同じく神殿に封印されていると言われている。
神殿が「荒らされた」という表現から、『天の炎』が奪われたと考えるのが妥当だろう。信仰の象徴が奪われたとなれば戦争を起こすきっかけとしては十分だ。
しかし、もう一つ気にかかることがあった。
神殿に足を踏み入れるのは新年の祈願の時だけだ。それ以外の日は神殿に入ることはない。それが何故、神殿が荒らされたと分かったのだろう?
例え荒らされたとしても、犯行がストルク王国であると断言するには証拠がない。この時点で既に両国での信頼関係は崩れ去っていることを意味する。
何故こんな愚行をしたのだろうか、と思考の渦に飲み込まれているうちに今の時間になったのだ。もうすぐエイン王女の元へ行くことになっているから食事に行く時間がない。
「……」
何となく嫌な予感がする。隣で通信用の魔法具をいじって呑気にはしゃいでる隊長さんに丸投げして帰りたかった。
「あれ? リジー、もう王女のとこに行かなくていいの?」
ふと、レイ隊長から声をかけられた。外を見ると完全に日が暮れていた。もう城へ行く時間だ。
「そうですね、そろそろ行かないと。 すみません、考え事をしてました」
レイ隊長にお礼を述べて退室することにした。去り際に「お礼なら今度新しい服着てみて!」と聞こえたけど生返事だけ返し王女の元へ向かった。
「お待ちしておりました、リジー様。王女は執務室にてお待ちです」
王女の部屋へ向かう通路に到着するとフィオが待っていた。彼女に手短にお礼を述べてエイン王女の執務室へ向かった。
エイン王女の執務室にはこの数節で何度も入っていた。軍関連の書類や魔法具の報告が多いが、個人的に呼ばれて行くこともあった。
扉をノックするとすぐにエイン王女から返事が返ってきた。いつもはフィオや他の方が出迎えるのだけど、今日は出払っているようだ。
「失礼します」
エイン王女は普段通りの黒をベースにした戦闘服を着ていた。ただ、その中にも王族としての気品を持たせるようなデザインとなっていた。これはいつでも戦えるようにと考えてデザインされたものらしい。
「急に呼び出して済まなかったな。もうすぐ終わるから、かけて待っててくれ」
エイン王女は直前まで作業していた書類を整理しているところだった。いつもなら終わっている時間なのだけど、今日は珍しく立て込んでいるようだ。
促されたまま机横に設置されている長椅子に腰掛けた。
この執務室は相変わらず物が少ない。部屋の隅に任務で使う魔法具が整理して置かれ、その横には剣が二振りかけられているだけだ。
一度だけ、キンレーン王子の執務室に行ったことがあるが、彼の部屋には装飾品が多く飾られ豪華絢爛を見せていた。兄妹でも趣味趣向が違うのは不思議な感じだ。
「シーラをどうぞ」
「ありがとうございます」
いつの間にか戻ってきていたフィオから飲み物を受け取った。主人の望むタイミングで戻り、招いた人を待たせない気配りも絶妙にフォローする。彼女は全てを完璧にこなしていた。私には到底真似できない芸当だ。そう思いながら待つことにした。
「やれやれやっと片付いた」
少しして仕事を片付けた王女が愚痴をこぼしながら向かいの長椅子に座った。一息おいて注がれた飲み物を受け取った。
「今日は目を通す書類が多かったですね。戦争関連ですか?」
口に含んだ菓子を飲み込んでから相槌をうった。エイン王女を待つ間、フィオさんが並べてくれたお菓子を戴いていた。
前に私がお菓子好きという情報を仕入れ、各地の伝統菓子を調達しては招かれる度に並べられるようになったのだ。餌付けされてる感はあるけど、美味しい物が食べられる貴重な機会だ。
「そうだ、戦争の書類だ。しかし、相変わらずよく食べるな。その小さい体のどこに吸収されているのやら」
エイン王女は机に並ぶ菓子類を見て苦笑した。
私にとって菓子はエネルギーだ。それに、食べれば幸せな気持ちになれる嗜好品。用意されれば食べないという選択肢はなかった。
私が食べ進めるのを眺めていた王女は、カップに注がれたシーラを一飲みしてから語り出した。
……やはり、ストルク王国が天教の神殿を荒らしたという証拠はなかった。
見張りの報告では今まで賊が入り込んだことはなく、最近だと、セレシオン王国の関係者も近づいていないらしい。
それはつまり今回の戦争の理由としては証拠が不十分どころか、何かの策略ではないかと思えるほどだった。それでもストルク王国としては戦争を避けられないでいる。
「厄介な話だが、貴族の連中が黙っていなかったんだ。奴らは放っておいたら自軍で編成して攻撃しただろう」
エイン王女は忌々しいものも見るかのように毒ついていた。千年王朝は伝統や文化を育んできたが、それと並行して貴族達に厚いプライドを築かせることにもなっていた。
建国以来、強国を誇ってきたストルク王国はどんな戦争になっても負けはしないと言う風潮がある。
今回の宣戦布告は貴族達を逆撫でするには十分だった。陛下の元へと詰め寄り、戦争の許諾を申し入れたようだった。
最終的にはキンレーン王子が陛下を説得、開戦の準備が始まった。末端には物資調達や兵の召集が出ていないのでまだ始まっていないものだと思っていた。
ストルク王国にその気が無くてもセレシオン側が強襲すれば戦争は起こる。そうなれば、防衛に徹する必要があるし、万が一城下にでも攻め込まれれば瞬く間に陥落する可能性もある。そういう意味では早期の決断だったのは違いない
ただ、国民からしたら迷惑な話だ。戦うのは貴族ではなく、国民から徴兵した兵士達だからだ。
「それで、戦争前に神殿に行って戦勝祈願ですか?」
今回受け取った書簡には、戦争前に神殿に向かうと書かれていた。私も同行するように書かれていたのでエイン王女達を護衛する任務でも受けるのだろうか。
「……いや、祈願ではない。今回は英雄選出の儀式を執り行うことになったんだ。そして、リジーは候補者の一人だ」
執務室を静寂が支配した。フィオが私のカップにお代わりのシーラを注ぐ音が妙に大きく聞こえた。
英雄選出。初代国王リーグが神アイルから授かったとされる『星の雫』。それを継承するために神に祈るもので、王族が年初めに行う儀式だ。
「儀式は王族の方がされるものだと思っていましたが……」
「普段はそうだな。だが、今回は戦争だ。今の軍の戦力に加えて英雄の力を取り入れるのが狙いだ」
今の今まで継承できた人間はいなかったんだがな、と呟いているエイン王女からは感情が読み取れなかった。
今回の提案は上院貴族が発端だった。国の中で実力者を集め、その中から継承者が現れないか試してみようというのだ。貴族達は自分の身内から英雄の力を継承する者が現れれば、国王の座を取れるかもしれないと考えているのかもしれない。
例え、国王になれなくても、それ以降、国内での発言力は絶大なものになるのは間違いない。すでに貴族達の中で候補者が次々と選出されていると言う。
「それでは、私は誰かの推薦で選出されたんですか?」
「……すまない。私が推薦したんだ。王族からも代表者を選ばなくてはならなくなって……父上、国王の命令だ」
エイン王女は深々と謝罪した。
この国では力ある者が上に立つことを許される。国王もそれをよく理解している。王族の権威を維持するため、張り合う形で候補者を探すということになったのだ。
そして、運の悪いことに候補者の選択をエイン王女に一任させたという。キンレーン王子よりかは実力者を知っているだろうという理由でそうなったようだ。
「お前以上の実力者が思い当たらなかった」
私を選んだ理由を一文で言った王女の基準は簡単だ。単に戦闘で一番強い人を選んだだけだった。
「確かに一度は王女に勝ちましたけど、他にも強い方はいないのですか?」
半年前、軍に入隊した時に一度だけ王女と訓練したことがある。その時はあっさりと勝ってしまった。その事を思い出しながら、他にも適任はいないかと改めて伺った。
「あの時の模擬戦、私は本気だった。それに本気の私に勝った奴は最近はお前だけしかいない。あとはストニア先生くらいだよ」
ストニアさんは既に退役して後続を育てることしかしないため、断られるだろう。そうなると、必然的に私を推薦することになったのだ。
お人好しと言ってしまえばそうかも知れない。だけど、私はこの依頼を受けることにした。私が目的を果たす前に戦争で国が滅ぶ可能性だってある。それはもちろん困るし、ベネスにまで戦禍が広がるのは避けたかった。
「本当にすまない。だが、助かったよ」とエイン王女は安堵した表情で礼を述べた。
「そう言えば、儀式はどのような事をするのですか?」
本当は引き受ける前に聞くべき内容だけど、確認で聞いてみることにした。
「儀式は簡単だ。内容は今は話せないが、危険なものではない」
漏れてはまずい内容なのだろうか、と思ったが王女の反応で違うと分かった。
「話せないと言うよりかは、思い出せないと言った方が正しいかも知れない。あの神殿で起きた出来事は外に出ると思い出せなくなるんだ」
ぼんやりした景色だけが記憶に残るという。ただ、再び中に入ると思い出すと言うことだった。どういう機構でそれが可能なのか分からないが、秘匿性の魔法がかけられているのは間違いない。
「それで、神殿にはいつ向かうのです?」
戦争が間近に迫っている中、悠長にしているはずはない。王女の返事を聞いても驚くことはなかった。
「儀式は明後日行われる。距離があるからな、明日の日の出と共に移動を始める」




