第百二十八話 少女と白翼
通信具を介して届いたエイン王女の声は今まで聞いたことがないほど切羽詰まったものだった。なので、転移魔法で戻る判断は間違っていなかった。
浮遊魔法で戻っていたら部隊が全滅していたかもしれない。
私はエイン王女の横に降り立ち、蹴り落とした白い塊を見やる。
それは色は違うが以前一度だけ戦ったことがある生き物だった。私の蹴りは少しは効いたようで軽く痙攣を起こしながら地面をのたうち回っている。
私の不在時に都合良く敵が現れる。それはアルが私をどこかから覗いているようで気味が悪かった。
「リジー、助かった! だが、もう一匹いるぞ!」
私が軽く身震いしているとエイン王女の声が響く。それに一歩遅れて空で大きな破裂音が響いた。
ジーク達がデンベスに重い一撃を与えたのだろう。もう一匹のデンベスも地面に墜落して砂埃を巻き上げた。
「全くいきなり飛ぶから何事かと思ったぞ。ま、緊急事態なら仕方ないがの」
声のした方に目を向けると、ジークを背に乗せたシーズが地面に着地するところだった。
「そうぼやくな。デンベスはまだ片付いてないから次を警戒だ」
「しかしまあ敵も厄介なやつを復活させたものだの。あ奴の骨をどこぞ見つけて来たのやら」
ジークの一言を無視したシーズは、傷が修復されながらゆっくりと起き上がるデンベスを見ながら言った。
「リジー、あれは一体何なんだ? 知っているのか?」
「あれはデンベスと言って神の時代に生きていた神獣です。詳しくはシーズが知ってるはずです」
エイン王女の疑問に答えつつ私はシーズに訊ねた。実際のところ、私が知っているのはデンベスという名と普通の人間では太刀打ちできない事だけだ。
私が見つめているのに気づいたシーズはデンベスから目を話すことなく説明を始めた。
「あれはな、混沌神が生み出した化け物だ。わしのように話すほどの知力は持っていない。ただ本能に任せて殺戮と破壊を繰り返す存在だ」
混沌神が自らの手足として生み出した生物。
デンベスはいくつもの村、果ては国までも滅ぼした厄災そのものだと言う。
だがデンベスは、神々の戦争の最中とある戦場でジークに討ち取られ、その身は完全に朽ちたはずだった。
しかし、目の前にはデンベスが降り立ち大地を震撼させている。白い体はそれが屍体であることを如実に物語っていた。
「あれが神の使い。しかも信仰してない混沌が生み出した奴なのか」
予想以上の存在だったのだろう、エイン王女は絶句したようにこぼした。
神獣相手に勝てる人間などいない。例え束になってかかっても息をするのと同じくらい造作もなく消される。それはエイン王女も例に漏れない。
しかし、今この場には私もジークもシーズもいる。負ける気はしなかった。
私はエイン王女を背に立ち青雷を引き抜いた。昼の光よりも強い光が辺りを照らしてくれる。
「ここは私達に任せてください。ジークは右をお願い。シーズは他の敵が来ないか警戒して下さい」
私は腰に下げていたセディオをジークに渡す。
セディオは彼の手に収まると、瞬時に形を槍へと変形させた。
「承知しました。リジー様もどうかお気をつけて」
銀に閃く槍を誇らしげに眺めたジークは、私に頭を下げてからデンベスに向かって行った。
その先には傷の修復が終わったデンベスが再び空へと舞い上がろうとしていた。もう一匹ものそりと起き上がっている。
「私ももう行きます。ここは任せましたよ」
「ああ! 任せておけ!」
シーズの頼りになる声を背に受け私は空へと浮かび上がった。
前に一度戦った経験からなのか、私よりも何倍も巨大なデンベスは不思議と小さい存在に見えた。
その矮小な存在は、上空で滞空すると、私に攻撃しようと魔法弾の準備を始めた。
「させません!」
私は上昇する速度を上げてデンベスの腹へと接近し、青雷剣に魔力を溜めた一撃を放った。
神殿でデンベスを切り裂いた時よりも数段強力な攻撃は、白い塊を二つに分断できると思ったがギリギリのところで回避された。
しかし私の攻撃を回避することに意識を割かれたため、デンベスの構築していた魔法弾は私の目の前で霞んで消える。
空中だと思うように剣が振れない。
地面に体重を預けられない分、腕力だけで振らなければならない。魔力強化していても体の小さな私には不向きな戦法だった。
それなら不意を突いた背後からの攻撃にしよう。身動きが取れなくなったところを仕留めればいい。
瞬時に戦法を切り替えた私は、転移魔法でデンベスの真後ろへと移動した。
突然の移動に私を見失ったデンベスは。地上のあちこちに顔を振って私を探している。
私はがら空きの背中めがけ、落下の速度を乗せて斬り込んだ。
しかし、直前で私に気付いたデンベスは身を捩って回避行動を取るが、それでも私の振り抜いた青雷は今度はデンベスの片翼を切り飛ばした。
「ギャウー!」
悍しい断末魔を挙げたデンベスはバランスを崩し、転がるように地面に落ちていった。
しかしそのまま地面に落とすつもりはない。
私は落下するデンベスに追いつき、風に煽られている残った翼を斬り飛ばす。
そしてその切り口に剣を突き立て、デンベスの表皮を縫うように移動して手当たり次第に切り刻んだ。
鋭利な爪を持つ両腕に、鞭のようにしなる尻尾。
物理で反撃されないようにデンベスを丸裸にしていく。
地面に激突する時には後ろ脚を切り落とした。
「ギ……!」
重低音を響かせて墜落したデンベスは短く鳴いた。
再び修復されても面倒なので、地面に降りた私はデンベスの腹と胸を切り裂く。
屍体であるため肉を切った感触はあっても血はなく、中も白一色で埋め尽くされていた。
その中に不自然に赤く輝く魔法具が見える。怪しく瞬く魔法具はまるで一つの生き物のようだった。
切り刻まれて本来なら死ぬはずのデンベスは、それでも修復が始まっているようでその体を短く震わせていた。
「せっかく寝てたのに起こしてごめんなさい。でも、もう動かなくていいんだよ」
私は物言わぬ怪物に優しく触れた。忌み嫌われる神の使いでも既に死んだ存在なのだ。それを踏みにじっていいわけがない。
こんな冒涜はすぐに終わらせなければならない。
そう思った私は、目の前の魔法具を空の彼方へ吹き飛ばすつもりで強力な魔法弾を撃ち込んだ。
ゼロ距離で撃ち込んだ魔法弾は赤い魔法具を連れ、青い軌道を描いて空に消えていった。
そして魔法具の支えを失ったデンベスは魔力の粒子となって消えていく。
「ジークの方もそろそろ終わったでしょうか。早くエインさんの元に戻らないとーー」
デンベスとの戦闘で少し離れてしまった私は、本隊に戻ろうとしてその異変に気付いた。
エイン王女達の周囲に複数の魔力反応があったのだ。
アルドベルの次の攻撃が始まったのは間違いない。はやる気持ちを抑えて私は上空へと転移した。




