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第百二十四話 暗闇の姫

 アセットとエイン王女と訓練したその夜、見張りを交代して就寝した私は不思議な空間に迷い込んでいた。


 光の中に意識だけが揺蕩い、何をするでもなく、ただ光の世界に存在している。そんな場所だった。



 死者の国とは違い、実態はなく意識だけが伴う世界。

 私はここを夢の一つだと結論づけて白い世界の中で微睡むようにゆったりとした時を過ごすことにした。



 しかし、それも長くは続かない。


 ふと気がついた時には視界の一方が光を失い黒い点が出現していた。


 それは不気味なほど黒い点で、初めは僅かなシミのような点だったのが、徐々に大きな暗闇となって広がってきたのだ。



 あれはこれ以上広げてはならない、何もないこの世界が汚れてしまう。


 そう思った私は何とかそれを食い止めようと手を伸ばす。

 しかし光の一部である私に腕などなく、意識だけが黒い渦へと注がれるだけだった。


 そしてなす術もなく黒い渦に飲まれた私は、今度は黒い粒子の一つとなって白い世界を蹂躙していった。

 さっきまで守ろうとしていた白い世界を無意識のまま黒へと変えていく。


 そしてすべての白を覆い尽くした私は黒い世界に漂う存在となった。

 だがそれは白い世界にいた時と何も変わらない。


 色を変えたことに何の意味があったのか。私は思考を巡らせるが何一つ思い浮かぶものはなかった。



 ただし一つだけ違うことがあった。黒い世界には私以外の意識が漂っていたのだ。


 だれ?


 反射的に問いかけても返事はない。そもそも私から声が出ている訳でもない。

 しかし私の思考が届いたのか、近くに漂う意識は微かに揺れたような気がした。



 あなたはだあれ?



 声が聞こえた訳ではない。ただ私以外の発した何かが私に届き無意識に理解した。

 ここは考えていることを直接伝えられるようだ。


 私はリジー。あなたは?


 思考を飛ばせるとわかった私は自分から名乗り出た。どんな相手でも会話には名前が必要だ。



 私の返答に漂う意識は少し震え、しばらくするとその振動とともに声が返ってきた。



 私はリリー。この世界に唯一漂う者。ここで誰かと話すのは初めての経験だわ。

 ねえ、あなたはまだ死んでないのにどうしてここにいるの? どうして意識が消えないの?



 リリーと名乗った意識は矢継ぎ早に私に質問を被せた。

 会話を楽しんでいるのか、声は聞こえないはずなのにどこか楽しそうにしているような気配があった。


 しかし、リリーという名前の方が気になってそれどころではない。


 分からない。ここはどこ? あなたはどうしてここにいるの? 私のお母さんなの?



 分からないことだらけの私は思いついた言葉をそのままリリーにぶつけた。

 リリーの意識は今度は激しく揺れ動く。



 ごめんね。わたしはあなたのお母さんじゃないよ。子ども、産んだことないから。

 あと、ここは黒の世界。全ての魂は死者の国へと向かうためにここで罪を洗い落とすの。


 リリーの少し沈んだような声が届いた。わたしの母でないことに対することなのか、この世界に一人でいることなのかは分らない。



 ここは死んだ者が一度通る世界のようだ。そしてここを抜ければ私のよく知っているあの空間に移動する。


 俄かには信じ難いが、声の主の自信ありげな声と、この奇妙な世界がそれもあり得るかもしれないと思わせるには十分だった。



 ただ、その答えで私ははある程度の予想ができた。少し間を開けて私は意を決して聞いた。


 あなたはアトシア神聖王国のリリー・アトシア?



 私の知っているもう一人のリリー。それはかつてジークが仕えた姫の名前だ。

 リリーは私の質問にまたしても震えた。今度は一度大きく震え、徐々にその震えは治っていった。



 そっか。わたしの名前知ってるんだね。でもどうして知ってるの? わたしの名前なんてみんな忘れたと思ってたんだけど。


 リリーの驚いたような声が届いた。

 どうやら彼女はあのリリー姫のようだ。ここが夢の世界なので本人かどうかは分からないが、ここではそうしておこう。



 貴女のことはジークから聞きました。王国の人達の暮らしも、神が起こした戦争のことも。貴女がどんな最期だったかも知ってます。


 

 私はジークが語った過去を思い出しながら言った。


 この人も生きていたかったはずなのに、それすら叶わなかった。それと同時にリリーがどんな無念を抱いて死んだのか、想像するだけで胸が痛んだ。



 ジーク? あなた、ジークのことも知ってるの?


 しかし私が一人気を落としていると、リリーは嬉しそうに震えた。

 彼は今私の従僕をしていることを伝えると、リリーは一瞬声を詰まらせ、納得したように言った。



 そっか。ジークもやっと前を向いてくれたんだ。あの人、わたしのことでずっと後悔していたでしょ?

 わたしのせいで、いつか壊れちゃわないか心配してたの。でも、リジーが拾ってくれたのね。ありがとう。前の主人としてお礼を言うわ。



 リリーの意識が私に向かって頭を下げたような気がした。


 実体がないので感覚としてだが、リリーが心のそこから感謝していることは伝わってきた。


 その姿を感じ、私は何故かやるせない気持ちになった。この人はどうしてこの世界にい続けるのだろうか。


 ここは死者の国へ向かうまでの通過点に過ぎないのだ。


 疑問に思った私は彼女に訊ねたが、リリーは「答えられない」とだけ言って黙ってしまった。

 しかしそれも少しの間で、すぐに気を取り直したリリーは私に話を振った。



 そんなことより、貴女の話を聞かせてくれない? 

 この世界はわたししかいないから退屈してたの。リジーの目が覚めるまででいいから、お願い!



 リリーは勢いよく私に頼み込んできた。


 この人は死んでからずっと一人で過ごして来たのだろう。

 この黒い世界でただ一人、精神が狂うことなく存在していた。寂しかったのは間違いない。



 そして少しでも安らげるのならと思った私は、今の暮らしを話して聞かせた。


 リリーは私の話に一つ一つ反応を返した。


 王都の暮らしを懐かしむように思いを馳せたり、戦うことになった時は緊張したように息を詰まらせる。場面によって表情がコロコロと変わる人だった。


 しかし楽しい時間もすぐに終わりが来る。

 私がジークとの訓練話をしていると、不意に浮遊感を覚えた。



 ……もうすぐ目覚めの時みたいね。まだまだいっぱい聞きたかったけど、仕方ない。生者は元気に生きないとね。


 私の変化に気づいたリリーは少し残念そうに言った。

 しかし私が何か言おう考えたところで、リリーの声が先に届いた。



 ね、起きる前に一つお願いしてもいい?

 ここで私と会ったことはジーク達には秘密にして欲しいの。私が一人でここにいるって知ったらジークは迷わず助けに来そうだから。


 そう言うとリリーの意識は少しずつ私から離れ始めた。それと同時に視界の端で白い世界が戻り始める。



 分かりました。でもその代わりに約束します。リリーのことは私が助けます。いつか、必ずです。



 またこの夢に入れるか分らなかったが、私はリリーにそう約束した。


 ジークを屍人魔法の呪縛から解放する時、併せてリリーも救えれば二人は長い時を経て報われる。そんな気がしたのだ。



 薄れゆく意識の中その事を考えていると、リリーの嬉しそうな返事が私に届いた。



 本当?

 それじゃお願いしてみようかな。あ、でもすぐじゃなくていいよ? リジーのやりたいこと、全部終わってからでいいから。それじゃ、また夢で会いましょうね。



 そう言い残してリリーは黒とともに姿を消し、私の意識は光に包まれて行った。

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