第百二十二話 一つの後悔
時間はあらゆるものを過去に置き去りにする。
国の荒廃に繁栄、人の生き死になど全てが当てはまる。
そしてそれは目に見えるものだけには止まらない。
私達の心も、全てが次の瞬間には過去になり、いつしか流れ去っていく。過去に経験した嫌な記憶も気がつけば懐かしくなる。
二節前は嫌悪感だけしか感じなかったアセットとも普通に会話できるようになっていて、本当に不思議だ。
とは言え私は基本は聞く側だった。
話し相手にアセットを誘ってみたが、私からは特に何か話すこともなかった。
このまま星を眺めるのもいい、と思い始めた頃、アセットが独白を始めたのだった。
アセットは上院貴族のラブレイル家。その次期当主に当たる人物だ。ルードベル家と同じく王国内有数の名門である。
ラブレイル家は代々国軍に所属し、国境などの守りを固めている。
ストルク王国に攻め入るような国はないが、不法侵入などないように見回りなどを定期的に行なっているのだ。
アセットは、幼少期より現当主ガウフの仕事に同行し、その仕事ぶりを目にしていた。
その影響か、自分の家が国を守る重要な家系なのだと幼心に理解していたのだ。
そしていつかは兵をまとめる立場になれるよう、十歳になったアセットは剣の修行を始めた。
幸い彼には剣士としての才能も指揮官としての才能もあり、早い時期に当主の道が確約されることとなる。
しかし、周囲の期待の大きさや賞賛は次第に彼を歪ませていった。
常に一番を志す彼は、周囲の期待に応えるべく努力を続けたが、どうしても一番になれない時や挫折を味わう時があった。
その一つにエイン王女の存在がある。
王女は彼よりも戦闘技術に優れ、指揮官としての能力さえも優れていたのだ。
相手は王族だから勝てなくても仕方ない。
周囲の人間はアセットにそう言って慰めた。だがその言葉はアセットを次第に追い込んでいく。
一番になれない現実を知ったアセットは、ラブレイル家の名を盾に声を荒げることが多くなった。
自分に向けられる賞賛の声、期待の眼差しを失いたくない。その一心が彼に分厚いプライドを築かせたのだ。
「あの時の私は、世界が自分を中心に回っているものと思い上がる愚か者だった。貴族の名を語れば全てが上手くいくと本気で思っていたんだ。でも違った」
そう言って言葉を切ると、アセットは明かりに触れようと徐に手を伸ばした。
当然、明かりは手の届く距離にはないので、彼の手はそのまま空を掴む。
アセットは何も掴んでいない右手をじっと見つめていたが、やがて独白を再開した。
「リジーさんに負けて、当主である親に見放され、全てなかったことになった。そこで気が付いたんだ。私の生き方は間違いだらけだったと。私は貴族の名にぶら下がるだけの能無しだったんだ」
アセットはそう言って目を閉じて天を仰いだ。途中から歪んで生きてきたことを後悔しているようだった。
小さい頃のアセットは本当に国のことを考え、皆を守れる英雄になりたかったそうだ。
図らずも私に負けてそれを思い出した彼は、この一節の間に血の滲む努力を続け、一人の剣士として生きる道を見出した。
そしてその努力が認められたのか、つい先日にラブレイル家の嫡子として戻ることができたと言うことだった。
「私はラブレイル家の嫡子だが、今この場ではただのアセットとして接して欲しい。この戦いは、私が昔の私に戻るための大事な戦い。国を守る英雄の一人として参加したいんだ」
アセットは鼻息も荒く語った。今回の作戦が決まった段階で、彼は昔の目標を見つけたようだった。
「死ぬ、かも知れませんよ?」
私はアセットに向かってそっと言った。
強大な敵と戦う以上誰が生き残れるか分からない。もしかしたら全滅する可能性だってある。
私の言葉にアセットは微かに笑って言った。
「もちろん死ぬことは怖いさ。でも、死ぬより怖いのは……自分の理想を貫けず逃げ帰った時だ。そんな後悔をするくらいなら私は誰かを守って潔く散りたい」
自らの理想のためなら死地にも赴く。
それだけ覚悟を持って望んでいるのが彼の目を通して伝わってくる。
強く意志の籠もった瞳は宙に浮く明かりを反射していた。
彼がそう言ったところで森の方から強い風が吹き込んだ。日が暮れるとこの辺りは一気に冷え込むようだ。悪戯に吹く風が肌寒ささえ感じさせた。
「冷えてきましたね。アセットさん、もう少し付き合ってくださいますか?」
青雷を鞘に収めた私は足元に置いていた木の棒を手に持った。
気が滅入りそうな話を聞いた後は体を動かすに限る。何も考えずにぶつかれば沈みそうな気持ちも晴れるのだ。
それにアセットの今の実力も測れるので丁度いい。
「え、今から模擬戦? しかも木の枝で?」
私が投げた枝を受け取ったアセットは戸惑いを隠さなかった。
これから就寝する時間なのだからそう思うのも当然だろう。しかし、私に話して自分だけすっきりしているのはずるいと思ってしまったのだ。
「逃げてもいいですよ? その時は私一人でやりますから」
私は少し彼を試すように言った。今の彼ならやり返しても文句も言わないだろう。
少しあっけにとられたアセットは状況を理解したのか罰が悪そうに白い歯を見せて笑った。
「全く……貴女は本当に敵わない人だよ」
そう言ったアセットは膝に手を出して当てて勢いよく立ち上がった。
「さあ、貴方の今の実力、今すぐ見せてください」
私の声かけを合図にアセットは枝を構えて攻撃を開始した。




