第百十七話 少女の願い
「ジーク、そちらの荷物は全部こちらの棚に移してもらってもよろしいですの?」
シェリー様の声がうず高く積まれた荷物の裏から聞こえて来た。
「承知しました。しかし、中々の荷物ですね。これ全て資料でしょうか?」
私は箱に詰め込まれた物に視線を落としながら訊ねた。
ここはシェリー様の実家、ルードベル家の本家だ。
近くルードベル家の名を継ぐことになったシェリー様の荷物を、別宅から本家に移す作業をしている最中だ。
今私たちがいる部屋はシェリー様の執務室となる場所だった。
本格的に継ぐのは来節の予定らしいが、継いですぐに動けるよう、今の内に引っ越すことになったのだ。
リジー様も手伝いに行きたがっていたが、今度の遠征に備え、やることが沢山あった。今日はローチェ将軍と国の守りについて部隊編成の話し合いに行かれている。
そのため、私たちはリジー様の代わりとしてシェリー様のお手伝いを買って出たのだ。
シェリー様はリジー様の大切な親友だ。魔核を共有されていることもあり、互いになくてはならない存在となっている。
リジー様が笑うようになったのも彼女の影響を受けているのは間違いない。特に魔核を共有されてからはその傾向が顕著だ。
彼女の明るい性格がリジー様に直接影響しているようにも見える。
そんな方を私たちが無下にするわけにはいかない。
それに、ベネスでの滞在期間中は共に過ごした仲でもある。私も個人的にシェリー様を手伝いたいと言う思いもあった。
「ええ、ほとんどが花の資料ですわ。花の図鑑に産地、花の飾り方、取り扱いしてる商店の情報をまとめたものもありますわ」
シェリー様は運び込まれた大量の木箱から本を取り出しながら答えた。
やはり彼女は相当の努力家のようでこれら全てが私物のようだった。
感心していた私は手を動かしていないことを思い出し、近くの本棚に資料を並べて行く。
「おい、シェリー! こいつも持って来たぞ!」
私とシェリー様が黙々と片付けをしていると、開け放した扉からシーズの大声が飛んで来た。
扉の方に視線を向けると、シェリー様の着替えの服などが詰め込まれた鞄が数個、宙に浮いていた。
リジー様から教わった浮遊魔法を使用しているのだろう。便利な使い方をする奴だ。
「ありがと、それは隣の部屋に持って行くれますの?」
「はいよー」
シェリー様はシーズに礼を述べて再び本棚の整理に集中し始めた。しかし疲れてきたのだろう、浅い息遣いが聞こえて来る。
彼女は元から体力がある方ではない。孤児院で遊んでいた時も連日遊ぶ体力はなかった。
それに、朝から働き詰めで休憩らしいものを取られていない。
そろそろ休息が必要だろうと、私は一つ目の棚を本で埋めたところでシェリー様に言った。
「シェリー様、そちらの棚が終わりましたら一度休憩に致しましょう。無理をされると明日に影響します」
私が声をかけると、シェリー様は手に持った本を棚に入れながら言った。
「そう、ですわね。それならそのままお昼にしましょう。屋敷の者に準備させますわ」
額に滲んだ汗を拭ったシェリー様は、一度片付けの手を止めて給仕を呼んだ。
彼女が昼食の指示をしている間、私は浮遊魔法を展開して残りの本の片付けを進めた。午後からの作業を少しでも軽くしようと思い立ったのだ。
それに浮遊魔法の練習にもなるので次の戦いに活かせる利点付きだ。
最初は苦労して数冊浮かせるのがやっとだった。
しかし、回数を重ねるごとに磁力の操作にも慣れてくるものだ。
最終的には流れるような速さで本棚に収めていくことができた。
慣れると魔力操作より楽で便利だとリジー様は言っていたが、確かにそれも肯ける便利さだった。
そして、シェリー様が部屋に戻る頃には全ての本が片付いていた。
「さ、昼食までの残り時間も頑張っていきますわ……あれ? もう終わってますの?」
私が最後の本を棚に差し込むのを見たシェリー様は口を大きく開けて驚いていた。
「ちょうどこれで最後です。シェリー様、本の並びはこれでよろしかったですね?」
念のためシェリー様に確認すると彼女は驚いた顔を崩さずに頷いた。
それから私達はシーズのいる部屋に行き残りの整理を始めたのだった。
「それにしても、浮遊魔法って魔力操作より便利ですわね。片付けに一日かかると思ってましたわ」
昼食を食べ終えたシェリー様はゆっくりと食後のシーラを口に運んで言った。その優雅な姿勢は流石上院貴族と言える上品さだった。
「シェリー様も使えると思います。リジー様の魔核と融合している貴女なら魔力も知識も共有できるはずですから」
私は彼女の横からシーラを追加で注ぎながら言った。
魔核を融合させた二人の間では、魔力の受け渡しが簡単にできる。そしてそれは魔力だけに留まらず、知識や記憶なども送り合うことができるのだ。
シェリー様のカップを持つ手が微かに揺れた。
横目で盗み見ると少し悲しそうな表情で目を伏せているのが目に入った。
「それはそうなのだけど、リジーに申し訳ありませんわ。だって、力も知識も全てリジーの努力の賜物。私が何もせずに手にしていいものではないわ」
しばらく考えるように目を伏せていたシェリー様は私の方に向いて言った。
それはシェリー様の誇りなのだろう。他人が努力して手に入れた力を無償で受け取ることは貴族の、商人の誇りに欠けるようだった。
この方はリジー様と同じように真っ直ぐに目を向けるお方だ。だからこそ、私もシーズも彼女の力になってあげたいと心から思えるのだ。
私は彼女にすぐに非礼を詫びたが軽く流された。その程度は些細なことらしい。
代わりに私とシーズは食後の休憩も兼ねて彼女の話し相手になることになった。
普段は仕事の話が多く気を張ることも多い。なので他愛のない話でもシェリー様の心は安らぐようだった。
私達に昔の思い出を語る彼女は、年相応のどこにでもいる少女だった。
「そうだ、ジークにお願いがありましたわ。シーズも聞いてくださって」
シェリー様の幼少時代の話が一区切りついた所で、彼女は思い出したように手を叩いて言った。
「お願い、ですか?」
私は彼女に確かめるように伺った。私はリジー様の願いを叶えることを信条にしているので、シェリー様の願いを聞けるかは内容次第だった。
私の問いかけにシェリー様はゆっくり頷いて言った。
「私はリジーの友達で心の支えにはなれると思ってますわ……でも、本当の戦いになれば私は側にいてあげられませんの」
シェリー様は頷いた後も何かを噛み締めるようにゆっくりと話していた。少し重い空気が彼女の口を遅くしているようだった。
「ですから……ジーク達には今度の遠征でもリジーのこと守って欲しいんですの」
彼女は今回の討伐作戦をもちろん知っている。そして、シェリー様は一人王都に残り私達の帰りを待つことになる。
その間、リジー様の支えになれないことがもどかしく悔しいという。
だから戦いに同行できる私達に頼み込んだのだ。
彼女の言葉に私の胸は熱くなった。やはりこの方はリジー様に似てやさしい方だ。
私は彼女の前で丁寧に礼をして最大限の敬意を表した。
「もちろんです。シェリー様の願い。このジークが聞き届けました」
「わしも忘れるでないぞ、ジーク。シェリーよ、わしに任せとけ! リジーは必ず生還させてやるからな!」
私のせっかくの誓いにシーズが割って入って言ったが、見逃してやろう。今回は彼女の願いを聞き届ける同士なのだ。
「ふふっ、さあ、お休みもこれくらいにして、残りの作業も終わらせますわよ!」
シェリー様は満足そうに言うとそのまま書斎の整理に向かって行った。
私とシーズは顔を見合わせる。青い両眼が私を捉えて微かに揺れた。
言葉こそ発しなかったが意思を通わせた私達は彼女の後について手伝いに向かった。




