第百十六話 親友の願い
アルドベル達の討伐作戦が決まるとそこから先の動きは早かった。
父であるキンレイス国王は、物資調達と各国へ協力要請を出すよう貴族会に命令を出した。
そして、自らも自国で戦えるよう、衰えた手足に鞭を打って剣を振り始めたのだ。
もう握れないとおもわれていたか、しばらく療養して効果か思った以上に動けるようになっていた。
父が以前のように戦えるようになるのも時間の問題かもしれない。
貴族会は父の命令に忠実に従い、部隊編成の準備を進めた。
ローチェ将軍が先頭に立って指揮したので、隊員達への通達や、物資調達の準備は着々と進められていった。
各国の反応も意外なほど早かった。会議から二日経った今、パテオ山脈へ向かう道中の国々では既に補給の準備が進められていた。
ここまで早くできたのはリジーの移動魔法と宰相の交渉術による功績が大きい。
リジーの空間転移で各国を瞬時に移動し、ダンストール宰相が交渉する。
そして、本当なら二十日以上かかる移動を僅か一日で終え、一日掛りで行われるはずの各国の会談を全て同日に終えてみせた。
先の大戦では操られて碌に働けなかった反動だろうか、宰相はここ最近でも一番精力的に活動していた。
そして私はというと、新しく編成された中衛隊の面々を書面で確認し、小隊の編成を考えていた。彼らが連携を取りやすい小隊に振り分けるのが私の仕事である。
この部隊は集団戦の要と言ってもいい重要な部隊だ。
中衛隊は近距離では魔力強化した武器で敵を攻撃し、離れた場所からは中・遠距離魔法で狙撃する。
前衛部隊と後方の魔法部隊の両方を補助する役割を担っているのだ。
そして、隊員はすべて魔法剣士隊の者達で編成されている。
「まあこんなものだな。あとは実際に組んでもらって合わせていくか」
一通りの編成を終えた私は小隊の用紙を丸め、横で待機していたジェットに手渡した。
「エイン様お疲れ様です。こちらの編成表はローチェ殿へお持ち致しましょう」
ジェットはそう言うとゆっくりとした足取りで部屋を後にした。
リジーは今日はローチェと一緒に軍議に出席している。そのため手隙となったジェットが私の手伝いに出されたのだ。
恐らく私の激務をリジーが気遣ってくれたのだろう、そのお節介は非常に助かっていた。
「エインー、いるー? 遊びに来たわよー」
扉が勢いよく開く音とともに間延びした声が聞こえてきた。書類の山に手を伸ばしかけていた私は、突然の来訪者にため息を吐いた。
この無遠慮な登場をするのは一人しかいない。
視線を扉に向けると、ふんわりとした笑みを浮かべるレイが立っていた。
かれこれ十年以上の付き合いがあり、互いを認め合っているからこそ、レイは友達感覚で私の元へやってくる。
そんな彼女はいつも笑顔を絶やさないが、今日は一段と機嫌がいいようだった。軽くステップを踏みそうなほど軽い足取りで私の元に歩いてくる。
「仕事はどうした? 今日はリジーがいない分忙しいんじゃないのか?」
新しい書類を手に取った私は書面に目を通しながら訊ねた。
レイは書類仕事になると途端に遅くなるのを私は知っている。今まで何度せがまれたことか。
王女にすがるのもどうかと思ったが、そこは親友として喝を入れたり手伝ったり、手を焼いたこともあった。
「あー、あれね? もう終わらせたわ。王都見回りも私は必要ないって放り出されたのよ〜」
隊が優秀だと暇になるのよねーと言ったレイは、近くに置かれていた椅子に腰掛けた。
しかしそれ以前に、私は彼女が仕事を終わらせていることに驚いていた。
思わず書類から目を離して言った。
「レイが書類仕事を終わらせた? まさか、悪い物でも食べたのか?」
もしかしたらこの後雨が降るかもしれない。
そんなことを考えていると、レイはひらひらと手を振りながら笑った。
「まーそんな反応になるわよね。普段の私からだと想像もできない早さだもの。でもね、今日の私はちょっと違うのよ」
レイは自分の性格がよく分かっているようで自嘲気味に語った。
しかし、すぐ後に真剣な顔つきになり、私を見つめて言った。
「近々始まるんでしょう? 『灰』の討伐作戦ってやつ、ローチェのおじさんから聞いたわ」
そう言うとレイは手に持っていた紙を机に広げた。
少し距離はあったが、遠目で見てもそれが何かは分かった。今朝、一部の隊員達に配られた通達だ。
そう、彼女も討伐部隊に招集されている一人、そして中衛隊の副官だ。私が人選したのだから間違えようがない。
「目標は十日後の出撃を目標に準備しているところだ。もしかして、手伝いに来てくれたのか?」
彼女の性格上期待はしてないが、私は二枚目の書類に目を落としながら聞いた。
「エインの仕事? そうねえ、一つお願い聞いてくれたら手伝うわよ?」
だが意外なことにレイは手伝う姿勢を見せた。
今日はいつもと様子が違う。そう思った私はレイをまじまじと見たが、そこにはいつもの笑みを見せる彼女が座っていた。
「そんな驚かないでよー。私が不真面目な人間に見えるじゃないの」
レイは口に手を当てて笑った。いつになく上品な仕草に彼女が真剣な態度で語っているのが伝わってくる。
「お願いって言うのはね、リジーのことよ」
そう言うと、レイは小さな魔法具を取り出した。
あれは、確かリジーが作った小型の通信具だ。八番隊では隊員一人一人に渡されいつでも報告ができるようになっている。
彼女はその魔法具を光にかざし、目を細めながら言った。
「あの子、放っておいたら一人で無茶しちゃうでしょ? だから、私にもしものことがあったらエインの方で気にかけてほしいのよ」
私はそれを聞いて書類をめくる手が止まった。まるで遺言を言っているように聞こえたのだ。
確かに今度の戦いは激戦になる可能性が十分ある。誰が生き残るか見通せていないのも事実だ。
「弱気なこと言ってたら本当に死ぬぞ?」
戦いに行く前から負けることを考えていては勝てるものも勝てなくなる。
私は彼女を焚きつけるつもりで言ったが、レイはそれでも動じずに言った。
「でも、万が一のことだってあるわ。聞けば敵はリジーに匹敵する強さだし、他にも強いのがいるじゃない。何が起こるか分からないなら、今できることをするのは当然でしょ?」
敵を殺しに行くと言うことは返り討ちに遭うことも念頭に置かなければならい。レイは戦いの前に身辺整理をしているのだ。
死地に赴く以上その行動は咎められることはない。
このままでは話は平行線で進まないと判断した私は観念して言った。
「分かった。もしそうなったら私が責任持とう。だが約束してくれ……絶対死ぬなよ?」
レイは魔法剣士隊の中でも私の次に実力がある武闘派だ。だから互いの背中を守れば死ぬことはそうないだろう。
私は真面目に言ったのだが、レイは何が面白いのか急に笑顔になって言った。
「ふふっ、やっぱりそういう頑固なところはエインらしいわね」
今は大事な話の最中なのだ。有耶無耶にされたら後で面倒なことになる。
彼女をじと目で睨みつけたが、すでに上機嫌に戻ったレイに弾かれてしまった。
「はいはい。約束しますよー」
そう言ったレイは徐に立ち上がり、私の仕事を手伝い始めたのだった。




