第百五話 朝焼けの迷い
ストニアとの激しい訓練を終えた翌日、私はいつもより早く目が覚めた。
日も昇っていないので寝直そうとも思ったが、夢の出来事が気になって完全に目が覚めてしまった。
横になっていても仕方ないので、私は皆を起こさないよう部屋を出る。
そして誰もいない屋上に登り、膝を抱えて朝日が昇るのをじっと待つことにした。
実はここは私の特等席だ。
誰にも干渉されることもなく自由に想いを馳せることができる。
孤児院で暮らしていた時も、悩み事があれば必ず星を見上げに屋上へ行った。
今日は朝方ということもあり、星の輝きは朝焼けの空に薄く飲み込まれていた。
夜の星空を眺めるのも好きだったが、橙色の空も私は好きだ。
空へと吸い込まれそうな薄明かりは、一日の始まりを感じさせる。それが不思議と私の気持ちを引き締めてくれるような気がした。
ぼんやりと空を眺めていると、少しして朝日が登り始める。明るい東雲色が私の周りを照らした。
その朝日が眩しくなって視線を下に向けると、私の小さな手足が目に入った。
これまで私を支えてきた強い手足だ。同時に多くの命を奪った手足でもある。
クライオ先生、セレシオン王国の人達。
私が真実にたどり着き、別の行動をとっていれば死なずに済んだかも知れない人達だ。
私は目的を果たすため、復讐のため、親友を守るために殺した。彼らに恨まれて当然のことをした。
それでもクライオ先生は私に笑いかけた。部下たちを失ったアレク将軍は私を戦友と言った。
彼らが私を憎まない理由は考えても分からなかった。
クライオ先生の姿を想像すると、昨晩見た夢が蘇る。
薄暗い死者の世界で佇むクライオ先生。
彼は仲介人の老人に操られていた可能性があった。他の加害者達も、父もそうなのかもしれない。
しかしここまで来ると、もはや誰を疑っていいのか分からなくなる。
敵だと思った人間は誰かの操り人形かもしれないのだ。もしかしたら、あのアルドベルだって……。
そう思うとたちまち不安にな気持ちになる。無意識に膝を抱える腕に力が入った。
私が殺す敵、私が腹に抱える怒りをぶつけるべき相手が本当は誰なのか。振り出しに戻ったような気分だった。
そんなことを考えていると、不意に横から声が聞こえてきた。
「今日の日の出は見事な東雲だの。見てて飽きんな」
突然の声に慌てて振り向くと、そこにはあくびを噛み殺して伸びをするシーズがいた。
シーズの接近に全く気づかなかった。どうやら物思いにふけりすぎていたようだ。
「シ、シーズでしたか。いつからそこに?」
私は未だに落ち着かない動悸を誤魔化して言った。私が慌てているのが分かっているのか、シーズの口角は少し上がって長い牙が顔を覗かせていた。
「リジーが屋上に登ってすぐだな。何やら思い詰めとったようだからほっといたんだが、中々戻ってこんのでな、声をかけさせてもらったぞ」
そう言うとシーズは神獣本来の姿で私の横に座った。
それに合わせて私はいつものようにシーズの額や耳の裏を掻いていく。それが気持ちいいのかシーズは目を細めた。
シーズは王都では自由気ままに暮らしている。一日中丸まって寝ている時もあるし、気がつけばどこかに行って翌朝帰ってくることもある。
そんな気ままな神獣だが、大事な時はジークと一緒に私のことを支えてくれる。今の私にはなくてはならない存在だ。
今日も私が心配で見守ってくれていたのだろう。その姿勢が何でも話せ、とでも言っているように見えた。
「少し不安なことがあるのですが、聞いてくれますか?」
そう言って私は思っていることをシーズに全部打ち明けた。
夢で見たこと、復讐の相手が分からなくなっていること。アルドベルの動向やストニアの心境で心配になっていることを曝け出した。
その間、シーズは私の話す言葉を一言も聞き漏らすまいと耳をピンと立て聞いていた。
「……なるほどな」
私の吐露が終わって、しばらく黙っていたシーズはボソッと呟いた。
視線を向けると、シーズは考え込むように目を閉じていた。器用に前脚を額に押し当てている。
しばらく考える仕草をしていたシーズだが、やがて私に顔を向けて言った。
「わしは人の世の怨恨には興味がない。神獣だからな……だがあえて言うなら、リジーは何を悩む必要がある?」
シーズの突き放すような予想外の発言に思わず驚いた。
だがそれも一瞬のことで、すぐにシーズが何を言っているのか理解できた。
それは、私が未熟だっただけのことだ。
さっきまで私の中ではいろいろな思いが整理されずに飛び交っていた。それが漠然とした不安を掻き立てていたのだ。
しかし、それをシーズに一つ一つ打ち明けていくことで、自然と私の中で整理されて行く。
物事に優先度がついたことで私は自分で解決していたのだった。
胸に手を当てれば私が成すべきことが整理されて出てくる。
私がやることはただ一つ。アルドベルを倒し、ストニア達を守ることだ。
彼は今のところ私の復讐対象なのだから今更迷っても仕方がない。彼を追って新たな復讐相手が現れれば、その者も倒してしまえばいい。
一度整理がつけば簡単だった。その証拠に、胸を掻きむしりたくなるような不安はもう消えている。
私はそれに気づかせてくれたことに礼を言うと、シーズは悪戯っぽく笑った。
「リジーはわしらと会う前から芯が一本通っておった。だからほんの少し、落ち着いて話すだけで解決できるのだよ。それが終わりの見えない復讐だったとしてもだ」
シーズは私の胸に前脚を重ねた。ふわふわした感触が伝わってくる。その脚を無意識に撫でていると、シーズは続けて言った。
「わしはリジーの駒であると同時に良き友じゃ。わしらは聞くことしかできんが、迷った時は今日みたいに吐き出せばいい。そうすればリジーのやりたいことが見えてくるだろうよ」
それはシーズなりの気の使い方だった。
例え間違った道に落ちていても、そっと寄り添い暖めてくれる。悩めばこうして元気付けてくれる。
私は本当に仲間に恵まれてると思った。未熟な私をシーズは無言で導いてくれる。
朝日に反射したシーズは心なしか神々しく見えた。




