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さくざのせがれ

作者: 彩雲桂

 対陣していた赤く染められた鎧を着込んだ兵達がこちらの陣を抜き本陣へと向かう

 俺はすれ違い様にニ騎を斬り捨てる。

この一当てでかなりの相手方の戦力を削っていた。

 そしてこちらを抜けた先頭の騎馬に鹿角の兜に立物に六文銭を付け、十文字槍を携えたあの男が間違いなくいたのを確認する。

 思い通りの状況になったのが分かり口元に笑みが浮かぶ。

 「御家老、真田の兵本陣に突撃を開始致しました。如何なさいますか?」

 近くにいた配下の者が俺にそう問いてきた。

 「好きに行かせるが良いさ。どうせ長くは持つまい。我々が目指すのは大阪城一番乗りだ。真田の首は他に譲ってやれば良かろう。」

 そこまで言ってふと考える。

 あの直情的な我が殿がそんな事で納得する訳も無い。

 これまでの失態を考えれば、自分の命も考えずに形振り構わず真田の兵に突っ込んで行ってもおかしくはなかろう。

 それに後からごちゃごちゃ言われても面倒臭い、それに放っておいて死なれるのも困る。

 あのような愚か者でもあのお方の忘れ形見である。

 「よし追撃をせよ。但し正面から当たるのは避けよ。後方と側面からじわじわと疲弊させて磨り潰せ。我が殿の監視は怠るなよ。絶対に死なせてはならんぞ。正面に前田や浅野の連中もいる事だ、本陣もその程度は持つであろう。」などと言っていたら、前田と浅野の陣が一気に抜けられている。

 俺は思わず天を仰ぎため息を吐いた。

「前田と浅野のあの無様さはなんだ。先代達があの姿を見たらさぞかし嘆くのではなかろうか。それにしても、こちらの策が上手くいく前に本陣が崩壊しそうだぞ。まあ、大御所様は逃げるのは上手かろうさ。その昔、三方ヶ原の戦の時は武田の兵に追われ、馬の鞍に切な糞、いや焼き味噌を付けながら逃げ果せたと親父殿が言っておった。」

 その言葉に周囲の兵たちがドっと笑う。

 何せ、その糞たれ爺に前日【日本一の臆病者】と誹られたのだ。

 短気な我が殿は憤りを隠せず、「全員自分と共に骸を戦場の土と化し今日の汚名を雪ぐべし。」などとのたまって、態々抜け駆けしてまで今日の戦に臨む羽目になったのである。

おそらく抜け駆けされた他家は、大いに憤っていることであろう。

 俺はニヤリと笑った後、真面目な顔に戻し、

「冗談はさて置き、そろそろ城に向かうぞ。逆らう者は悉く討取れ。女子供とて容赦するな。おとなしく投降した時のみ、生かして本陣に連れて行くのだ。」と命令を下した。

 非情と言う無かれ、これが戦国の倣いである。

 歯向かってくる敵兵を次々と斬り捨てて行くが、一向に数が減らない。

 すると遠目に水野の奴が猛然と城門に向かって進んで来るのが見えてくる。

 流石に猛将と言われるだけの事はあるが、こちらも意地というものがある。

 あの良く肥えた糞爺をギャフンと言わせるためにも簡単に一番乗りを譲る訳にはいかないのだ。

 俺は傍にいる相棒に向かって言った。

「おい伊豆、いや源四郎、このままじゃ埒が明かないからお前さんが城門まで行って来てくれ。俺たちが道を開ける。その間によろしく頼む。このままだと水野の野郎に先を越されちまうぜ。」

相棒はやや考えた後頷き、「解った。ここは任せたぞ。丹下いや、仙千代!」凄まじい勢いで、猛然と前進を始める。

 俺達は、露払いの如く相棒同様に猛然と敵兵を討ち払っていく。

 相棒は確実に前進しているが、水野の奴も前進を止めない。

 負ける訳にはいかないのだ。

 どのくらいの刻が経ち、何人斬ったは覚えていない。

 だが、この声だけは確実に聞こえた。

 「松平左近衛権少将が臣、本多伊豆守富正、大阪城一番乗り!」

 どうやら、相棒はやってくれた様である。

 俺は兵達に告げる。

「敵は城門までたどり着かれた事で戦意を失っている。今のうちに一気に城内に攻め入り、中の者達を悉く討ち取り、貰える物は全て頂いていくぞ。者共追いて参れ!。」

 兵達はおお~!という鬨の声を上げながら、城内へ攻め入っている。

 城からは火の手と煙が上がり、落城へと一歩づつ近づいている。

 俺は城内に向かいつつ二人の人物へと想いを馳せた。

 大阪城の主であった太閤と我が親父殿の事である。

 まさか太閤も自分の最も嫌っていた男の倅とその甥に自分の城を攻め落とされるとは思っていなかったであろう。

 そして親父殿はあの厳つい顔の相好を崩し大笑いしながら、『太閤の城を攻め落とすとは我が倅たちながら天晴れな事じゃ。』と言ってくれるのではないだろうか。

 この戦の後がどうなるかはまだ解らないが、徳川の天下が盤石となり、戦乱の時代が終わりを告げ、本当の天下泰平の世が始まるのであろう。

 その世の中、俺がこれからどうなるかは神や仏のみが知る事であろう。

 

 俺の名は本多成重、太閤に最も嫌われた男、鬼作左こと本多作左衛門重次の倅だ。

   

その後、力尽きた真田信繁は休んでいたところを松平の兵に打ち取られる。

大阪城は落城し、豊臣秀頼と淀君は自殺し、これをもって豊臣氏は滅び、徳川氏の天下となり、徳川幕府265年の天下泰平の世の中となる。

戦後、本多成重は従五位下飛騨守に任ぜられる。

そして松平忠直の改易後の1624年、本多成重は丸岡4万6300石の譜代大名へと任ぜられる。


真田幸村こと真田信繁の大活躍の裏でこんなことがありましたよって話です。

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