第八話:遭遇(その2)
佐倉という名のその代用教員は休職した先生に代わって、物理クラブも担当することになった。
始業式の翌日の放課後、クラブの活動場所に指定されていた物理化学の実験室で私と由紀子は佐倉と対面した。最初の顔合わせという事で一緒に参加していた他の部員は、簡単な自己紹介が終わるとそそくさと帰って行った。佐倉が笑顔でそれを許した。クラブ活動とはいっても、実際には秋の文化祭で簡単な実験ブースを出すくらいの事しかしておらず、私たち以外の部員にとっては、そのまま残ってする事もなかった。
そして、がらんとした実験室に3人だけが残った。
「君たちもそうなんだね」二人の顔、いや、明らかにそこに浮かぶ『あちらの顔』を見ながら、佐倉が言った。私たちは少しためらいながらも小さく頷いた。
「いつから?」
「……二人とも去年の12月からです」由紀子が答えた。
「きっかけは……やっぱり自殺かな?」
「そうです」今度は私が答えた。
「向こうではいくつだった?」
「45と40でした」佐倉は手にしていた手帳に何か書き込み、それからじっと考え込んだ。
沈黙が流れた。―ーーーーー「……あの……先生」
何を考え込んでいるのかという不安と、知りたかった何かが分かるかもしれないという期待が私に口を開かせた。
「……ああ済まない。やはり法則性があるのは間違いないようだな」―ーーー高まる期待
「君たち今日は時間はあるかね」―ーーーもちろん!
それから佐倉(先生)が語り始めた内容は、彼なりに推察するこの現象への説明だった。
最初に語られたのは、彼自身のプロフィールだった。
20代後半に見えたその姿は、実は35歳である事。老人に見えた『あちらの』姿は逆にまだ
54歳である事。某国立大学の教授で理論物理学の世界では名の知れた研究者であった事。結婚もせずに研究に没頭していたが、理論的な行き詰まりと両親の介護でノイローゼ気味になり、ある日発作的に首をつってしまった事。『こちら』に来てからもう10年になるが、違う人生を歩みたくて大学には残らず教員の道を選んだ事。10年間に4人の(彼いわく)『転生者』に会った事。彼らとの話を元に彼なりにこの事態の原因を探っている事……等々
一気に話して疲れたのか彼は突然立ち上がり、「ちょっと待ってて」と言いながら隣の教員控え室に向かった。
私と由紀子は唖然とした表情で顔を見合わせていた。
表面に小さな水滴がびっしり付いた、よく冷えていそうな小さなやかんと、3つの湯呑茶碗を持って佐倉が戻ってきた。「麦茶だけど……」と言いながら二人にそれを一杯に注いだ湯呑を手渡した。
「……それで先生、これは一体何なんですか? ここはどこなんですか?」
手にした麦茶を口にする余裕もなく、私は話の続きを促した。
うまそうに一気に茶碗の中身を飲み干し、2杯目を注ぎながら佐倉があっさりと答えた。
「分からない。本当の所は。………………しかし私と君たちを含めて7人の転生者に共通している事がある」
「何ですか、それは!」
「それはだな………………
一つは、7人とも転生するきっかけは自殺、すなわち自らの意思で死のうとしたという事だ。
二つ目は、7人とも転生先は自分の過去の一時点、しかも自分自身に限られるという事だ。
三つ目は、過去のどの時点に戻るかは7人ばらばらだが、少なくとも自我が確立している年齢以降だという事だ。7人の中で最も若い例が、25歳の女性が12歳に戻ったケースだし、最高齢のケースが私のケースで、54歳から25歳だ。
四つ目は、この世界は限りなく自分の過ごしてきた世界に近いが、決して単純な過去ではないという事だ。君たちの話はまだ聞いていないが、最も大きくずれているケースでは間違いなく生きていたはずの父親が亡くなっていた、なんていうのもある。
そして五つ目が、転生者は全員転生前の記憶をまったく失っていないという事だ。ただし……これはまださっき紹介した25歳の女性の例しかないので、断言はできないのだが……転生時の年齢に到達した瞬間、転生前の記憶をすべて失うのではないかという事だ」
「えっ! そうなんですか」
「そうだったんだ。転生前の記憶が残った彼女と最後に会ったのは、彼女が自殺したという日の前日だった。その後数日経って会った時には転生前の記憶はおろか、こっちに来てから私と話した事さえ覚えていなかった……それ以外のこちらでの記憶は残っているみたいなのに」
「いったいぜんたい、どういう事なんですか?」
佐倉はしばらく黙って天井を見上げていた。まるで語るべき事が多すぎて何から話すべきか戸惑っているこのように。
沈黙の時間が過ぎていった。夏の名残を惜しむかのようにセミの声が響き渡っていた。夕日が窓からその赤い手を伸ばし始めていた。
ようやく佐倉が口を開いた。
「これは……あくまでも私の個人的な考えなんだが……、理論物理学を研究してきた立場としては決して認めてはいけない事なのかもしれないが……聞いてくれるか?」
その後、佐倉の口から語られたのは、にわかには信じがたい驚愕すべき話だった。