第四話:邂逅(その1)
翌日の金曜日、昨日より30分も早く登校した。がらんとした教室で、ぼんやりと窓から外を眺めていると、おそるおそるといった様子で扉が開けられた。
「……やっぱり来てたんだ。昨日の坂本君の別れ際の言葉が気になって……」制服姿の由紀子が入口に立ち尽くしていた。相変わらず、二重写しの顔だったが、制服のせいだろうか、昨日とは逆に昔の由紀子の顔の方が濃くなったような気がした。
昨日の帰り際に私は、由紀子に向って「早く学校に来いよ」と何度も繰り返し伝えていた。
由紀子の母親とひとみには、回復を願うメッセージに聞こえるように……。
「お前も……こっちの世界に来てしまったんだな……いつだ?」
「火曜日……何がなんだか分からなくて……ねえどうなってるの?」
聞きたいのはこっちだと思いながら、一番気になっている質問をぶつけた。
「お前……もしかして……あっちの世界で死のうとしてなかったか?」
「………………もしかして坂本君も!?」
「そうなんだ、俺は……崖から飛び降りたと思ったら、この体になって目が覚めた」
「………………私は睡眠薬を何十錠も……頭がボーっとしてきて、ああこれで死んじゃうんだと思ったら、まっ白い光に包まれて……」
「それいつのことだ?」
由紀子が告げたのは、私が自殺しようとした時点より5年ほど早い日付だった。
「じゃあお前、今、歳は……40か?」
「そう……坂本君は?」
「……45」
ますます訳が分からなくなった。どうやら二人とも死に直面した瞬間に、『こちら』に来たのは同じようだが、きっかけとなったその時点は大きく異なっていて、しかも来たタイミングも微妙にズレていた。
納得のいく答えが見つからないもどかしさと、お互いの身に起こった出来事のあまりの不思議さに、二人とも言葉を失った。
開け放った扉の向こうから、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「今日、授業が終わったら成願寺の境内でな! 今日一日うまく乗り切れよ、思い出せない事や記憶があいまいな時は、上手にごまかせよ!」そう早口で忠告した。
その時入口から入ってきた(竹本とかいう名前の)女の子が由紀子の顔を見て、4日振りの再会を喜んだ。由紀子は複雑な笑顔を浮かべながら心配させたお詫びを告げていた。
二日目ともなると、私の方は随分自然にクラスメートたちと接することができた。気になって
何度となく由紀子の様子をうかがったが、何とかボロを出さずにすんでいるようだった。
授業中何度か、由紀子が答えを求められたり話題にされる場面があったが、実に如才なく対応していた。その大人びた雰囲気に先生が何度となく怪訝そうな表情をしていたのが印象的だった。
(あいつ……『あっち』で何してたんだろう?)
今朝の短い会話の中では、とても聞ききれなかった由紀子のその後の人生、そして自殺という最終手段を選択せざるを得なくなった経緯―ーーー多くの男子生徒を魅了した、そのさわやかな笑顔とはとても結びつかないように思われる結末。
わき上がってくる疑問と好奇心で私の頭は一杯になっていた。授業が終わるのが待ち遠しかった。
成願寺は中学校からほど近い小山の中腹に建つ古ぼけた山寺だった。その寺への急勾配の登り道は各運動部にとって恰好のランニングコースで、春から秋にかけては『園田中』と大きく書かれた体操服姿だらけになるほどだった。
さすがに12月に入ったこの時期、境内は嘘のように静まりかえっていた。
久しぶりに懐かしい坂道を上り切った心地よい疲労感を感じながら、石のベンチに腰かけていると、少し息を切らして由紀子がやってきた。
「こんなにキツイ坂だったかしら……ああ疲れた」
由紀子が私の横に倒れ込むように腰を下ろした。動悸が収まる時を待つかのように沈黙が流れた。荒い息の音だけが由紀子の口からこぼれていた。不気味なほど赤く西の空が染まっていた。
「坂本君、なんで自殺なんかしたの?」沈黙を破ったのは由紀子の方だった。
まさに私の方から投げかけようとしていた問いを、ストレートに切り出された。由紀子も同じ疑問を感じている可能性を、不用意にも考えていなかった。どこまで正直に語るべきか一瞬悩んだ。
銀行の金を使い込んだ事にしようかとも考えたが、後々つじつまが合わなくなる不安を感じた。結局……ほぼ正直に経緯を語った。―ーーーちょっとファザコン気味の彼女の方から誘惑されたという部分だけは嘘をついた。こんな時にも見栄をはる自分に嫌悪感を覚えた。
その後も由紀子は私が口をはさむ間も与えずに、矢継ぎ早に質問を重ねた。特に自殺に至る経緯については、何度となく質問が繰り返された。警察と会社での尋問の耐えがたい苦痛が甦ってきた。私の表情の変化に気づいたのか、話題は変えられ、さらに時を遡って行った。
私の中学卒業以来の人生が、あからさまにされていった。
「………………坂本君も大変だったんだ」
長い自叙伝を語り終えた時、由紀子がポツリと言った。周りはすっかり暗くなっていた。
「何か俺の事ばかりだったね。ところで由紀子は……」
満を持してそう話し始めた私の言葉をさえぎるように、不意に由紀子が立ち上がった。
「もう遅くなったから帰ろう、続きは明日」
そう言うが早いか由紀子は坂道の方に向って歩き始めた。私は急いで後を追った。
それぞれの家に向かう分かれ道に着くまでの間、由紀子は私の問いに何度も「明日ね……」と繰り返すだけで、何も語ろうとしなかった。よほど辛い経験をして気持の整理がついていないのだろうと思った。
「じゃあ明日授業が終わったら、また同じ所で」と別れを告げ、それぞれ家路についた。
「こんな時間まで何やってたの!」と私を責めるであろう、おふくろの甲高い声を想像すると温かい何かが胸の中に満ちてきた。遠くに家の明かりが見えてきた。
私は、心の底からこの世界に蘇れた事を喜んでいた。同時に、さっきまであれこれと想像していた由紀子の人生への関心は急速に薄れていった。