表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
移し絵  作者: 鬼島真吾
16/16

第十五話:悲劇(その3)

「……お元気ですか」

抑揚のない淡々とした口調だったが、私はその声の主が由紀子である事にすぐ気づいた。

「久し振りだね、そっちは変わりない? 彩香ちゃんも元気にしてる?」

その時点で私は、彩香のその後を知らなかった。由紀子の元で平穏に暮らしているものと思い込んでいた。

「ええ、まあ……」

「ところで、どうしたの今日は?」

「……実は来月、例の日を迎えるの。それで是非その前に、あちらの記憶がある内に坂本君といろいろ話をしておきたいと思って……時間取れる?」

忘れていたわけではなかった。今年の年末に由紀子は転生してきた時のあちらで年齢に到達する事は、折にふれて気にはしていたが、ほとんど連絡もなくなった昨今の状況ではこちらからわざわざその事を確認するのもためらわれていた。

それだけに由紀子の方からそれを伝えてくれたのは素直に嬉しかった。前世の記憶が失われる前に会いたいというその言葉の裏には、青春時代のひと時を二人だけの秘密を共有して過ごした事への郷愁みたいなものが含まれているに違いない、と能天気にも思っていた。

急いでスケジュールを確認し、来週末の土日なら大丈夫である事を伝えると、電話口の向こうから一瞬の沈黙を経て、

「じゃあ土日で。泊まり大丈夫?」

こちらのセリフだと思いながらも、その言葉に心が浮き立つのを感じた。

結局、土日の一泊二日で、場所は由紀子の行きたいという福井の芦原温泉に決めた。

一生に一度のアニバーサリーのつもりで、浮き浮きとした気分のまま最高級の宿と料理をなじみの旅行社に頼んだ。


当日、私は羽田から小松空港を経由しタクシーで、由紀子は新幹線と在来線でそれぞれ芦原温泉に向かった。小松空港に降り立った時は生憎の雨模様だったがこの時期にしては、ばかに暖かい気候だった。芦原温泉に向かう車窓からは山の頂上付近に残る紅葉が秋の名残を伝えていた。


由紀子との待ち合わせ場所に決めた芦原温泉駅に着いたのは午後4時過ぎだった。コートを手に駅舎の庇の下にたたずんでいた由紀子は、私の車を見つけるとのろのろと近づいてくるのが、もどかしそうに駆け寄ってきた。ドアを開けてもらい乗り込んできた由紀子は運転手に、

「すみませんが、東尋坊に行ってもらえますか?」と尋ねた。

「ええですけど……これから向かうと着くころには暗くなっちまうよ……」

窓の外には雨模様の中、確かに薄闇が迫っていた。人の良さそうな運転手の優しい忠告だった。

「そうだよ。明日行こうよ、今日は雨も降っているし……」

「だめ!明日は朝早く出発しないと……主人の付き添いもあるし……運転手さん、とにかく行ってください」

たしなめる私を無視するかのように、由紀子はきっぱりと言った。運転手が心配そうに振り向いてを私の顔を見た。しょうがないなという表情を浮かべ、うなずく私を確認した後、小さな吐息と共に車が走り出した。


「どうして東尋坊に?」

「彩香がまだ幼稚園に入ったばかりの頃、あの人と3人で来た事があるの……」

「そういえば彩香は今……」

「それは後からゆっくり話すわ、それよりその日を迎えてからどうなるのか教えて」

私の問いを遮るように由紀子が尋ねた。結局それから到着までの約20分、運転手の耳を気にしながらも、大御所をはじめ私が目の当たりにした何人かのケースを詳細に説明する羽目になった。私の独りよがりの期待感は薄れ、興醒めした気分になっていた。


「運転手さん、遊覧船乗り場の方まで行ってもらえますか?」

勝手知ったる道を案内するかのように由紀子がそう告げたのは、車が東尋坊に到着する寸前だった。ほどなく船乗り場の見える場所に着いた。私は運転手にしばらく待っていてもらうように告げた。他にも客待ちのタクシーはあったが無理な行程変更した詫びのつもりだった。


「お客さん、暗くなると危ないから早く戻ってきて下さいよ」

トランクから備え付けらしい傘を取り出しながら運転手が言った。

「大丈夫だよ、どうせもうすぐ何も見えなくなるだろうから、すぐ戻るよ」

私の声に少し安心したように運転手が頷いた。


由紀子は私の先に立って遊歩道らしい道を足早に進んだ。雨の夕刻ではすれ違う人もまばらで、岩壁に激しく打ち付ける波の轟きと相まって、漠然とした不安が私を締め付けていた。


数分ほどで『ろうそく岩』と看板の立てられた場所に着いた。周囲には既に人影がなかった。雨脚が少し強くなった気がしたが、由紀子は境界を越えて平然と崖の方へ近付いていった。その時突然私は由紀子がここで死ぬ気ではないのかという恐怖に駆られた。咄嗟に由紀子の後を追いかけた。引き戻すつもりで腕をつかもうとした瞬間、由紀子が体を翻した。駆けだした勢いのまま空をつかんだ私はたたらを踏んだ。次の瞬間足もとが消えた。


崖の際に生えた頼りない草木にしがみついていた私の足元では、獲物が落ちてくるのを待ちわびるように荒海が怒り狂っていた。

「由紀子! 助けてくれ! 誰か呼んでくれ、木が抜けそうだ!」

そう叫ぶ私の声は、はるかに大きな波音にかき消されていった。そんな私を由紀子は上からじっと見つめていた。その眼はガラス玉を埋め込んだように微動だにせず、無表情だった。


這い上がろうと必死でもがく私に、由紀子が波音に負けないような叫びにも似た声で語り始めた。


「あなたは2度も私の子供を奪ったのよ!」


「………………」


「一度目はあっちの世界で、私の娘をもてあそんで自殺に追い込んだ!……そして今度は彩香の気持ちをボロボロにした挙句、突き放した!……あなた彩香がどうしてるか知りたがったわよね……教えて上げるわ、今月からH市の精神病院に入っているわよ!」

嘘だろうと思った。そんな事……信じられなかった。

「あっちで、養子先のご両親からあの子の自殺を教えてもらった時、まさかその相手があなただとは気づかなかった……立場上葬儀にも出られず、埋葬された後あの子の墓の前で一晩中泣き続けたわ。でもこっちに来てあなたの話を聞いた瞬間、相手があなただと分かったわ」

「………………でも、そんなあなたを許そうと思ったのよ。事件の後のあなたの苦しみを一緒に聞いてしまったから……」

「だから彩香が東京へ出る事を決意した時も、あなたに預けたのよ。一度地獄をみたあなただから、今度は間違いなく守り切ってくれると信じて!……彩香が最近よく呟くのよ、先生どうして私を愛してくれないのって……あの子は、あの子はあなたの事がどうしようもないほど好きだったのよ………………そんなあの子を、あなたはじゃれつく子犬を捨てるように放り出した……警察から連絡があってあの子を迎えに行った時、あの子の顔は歌手時代の、いえ生まれてこの方見た事もないほど、やつれ果て血の気がなくまるっきり別人だった……多くの、たぶん見も知らぬ男たちに凌辱されたむごたらしい痕跡も残っていた……おそらくあの子はもう子供が産めない!」


叫びながら、由紀子の瞳からはとめどもなく涙がこぼれ落ちていた。

(違う!)と言い返したかったが、握りしめた細い木がいよいよ抜けてしまいそうだった。


「だから……私のあっちでの記憶が失われてしまう前に、私にはすべき事があったの。二人の大切な子どものために………………さようなら……」


由紀子の言葉を聴き終える前に、私の体重を支えていた細い木が根っ子と共に抜け切った。私の体は日の落ちた薄暗闇の中に落ちていった。そうあの日のように。



―ーーーーー微かに話し声が聞こえる。隣の部屋からか? その瞬間全身を襲う激痛。思わず発するうめき声。


「……気がついたみたいじゃな、おい分かるか?」

部屋を隔てていた襖が開け放たれ、老人が顔を覗かせながら尋ねた。私は激痛との戦いに忙殺され答える余裕はなかった。そして再び気を失った。



―ーーーーー枕元で話し声。うっすらと目を開けると老人と老婆、それに警察官の制服を着た若い男、そして中年の医師らしき白衣姿が目に飛び込んできた。全身を包む痛みはまだ消え去っていなかった。


「あれ! 目が開きましたよ! よくもまあ10日間も眠り続けていたものですね……」

「それより、あんな崖から落ちて、骨折と全身打撲だけでよく助かったものですよ」

「下に生えている大木の太い枝にバウンドして、うまく川の中に跳ね飛ばされたんじゃろう……本当に奇跡としか言いようがないな。山寺の神様のおかげじゃ」

「本当にそうですよ、おじいさんが偶然通りかかって水音に気づいたのだって……」

「とにかく……意識が戻ったらいろいろ聞かせてもらわないといけないから、必ず連絡して下さい」


周囲の会話が子守唄のようにもう一度私を眠りの世界へと引き込んだ。薄れゆく意識の中で、私はここが東尋坊ではない事だけは確信していた。




移し絵【完】



































































































ようやく一編の小説(らしきもの?)を完成させる事ができました。今、次回作の構想を練っているところです。これからのためにぜひ率直な感想をお聞かせ下さい。お読みいただいて心より感謝します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ