第十四話:悲劇(その2)
『熱愛発覚!』というセンセーショナルなタイトルが写真週刊誌の1面を飾ったのは、6月の始めだった。
柿崎雄一郎というその作曲家と彩香の深夜の密会写真が、はっきりと顔が判別できるほど鮮明に紙面に躍り、ご丁寧に彼のマンションに一緒に消えていくシーンまでもが添えられていた。
彩香とはデビュー直後までは頻繁に接触していたが、柿崎に委ねた2曲目がそこそこのヒットを記録してからは、やや疎遠になっていた。
それでもデビュー前から講じられていたスキャンダルからの徹底防衛体制は、当然継続していると思っていたし、何よりもあれほど歌手としての成長を望んでいた彩香が、そんな軽はずみな行動をとるとはとても信じられなかった。
慌ててプロダクションに事情を確認しに向かった。何事か言いたげな事務員に通された応接室で見たものは、渋い顔で天井を睨む社長と、うつむいたままギュッと拳を握り締める彩香、そして二人に挟まれて蒼白な表情をしたマネージャーの姿だった。
「坂本先生!このたびは……」
部屋に入ってくる私の姿を見るなり飛び上るように立ち上った社長を無視して、私は彩香の方に向かった。近づく私に気づき、力なく立ち上がる彩香の姿に、急に怒りがこみ上げてきた。
気づくと私の右手が彩香の頬を張っていた。「パシッ!!」という鈍い音と同時に彩香の体がソファーに倒れ込んだ。
業界に関わる者としては当然の事ながら、歌手の顔を叩くという行為は初めてだった。しかしその時すでに私は、彩香に歌手の道をあきらめさせる事まで決意していた。……いやそれ以上に、彩香の行動が作曲家としてではなく私個人への、決定的な背信行為としか思えなかった。
彩香はもとより、社長もマネージャーも唖然としたまま怒りに震える私を見つめていた。
「……先生……」彩香と社長が同時に口を開いた。
「………………もう……この世界から離れた方がいい。このままだと今までのイメージが壊れた反動でお前はもみくちゃにされる……」
「そんな!……ひどい」
「そうですよ先生! 確かにこのタイミングでのスキャンダルは痛いですけど、大丈夫!挽回してみせますよ」
慌てて社長が取り成すように言った。
「……彩香、俺はお前を預かる時に由紀子に、お前のママに誓ったんだ。絶対に守ってみせるとな。……でももう無理だ……やはり由紀子の元に戻った方がいい」
「絶対にいや!………………先生が応援してくれなくても、守ってくれなくてもいい!私は歌手を続けます。……社長いいでしょう?」
彩香が私を睨みつけながら、きっぱりと言った。社長は私と彩香の顔をおどおどと見比べながらも、あいまいにうなずいていた。
結局私は無言でその場を立ち去った。本心を押し殺したまま、庇護者として支援者としての役割を演じ続けてきた事に、急に徒労感を感じた。
ビルの外に出た瞬間、蒸し暑い熱気が私を包んだ。顔をしかめながら重い足を踏み出した。頭の中では今回の事件を由紀子にどう伝えようかと苦悩し始めていた。
彩香からの連絡が途絶えて2か月が過ぎた。結局私は由紀子に連絡しなかった。何をどう語っても由紀子を悲しませ、苦しめるのは目に見えていた。それに冷静になって考えれば、今回の件は彩香にとって、はしかのように一過性の病に過ぎないように思えてきた。熱が冷めれば元に戻るだろうと信じ、しばらく様子を見る事にした。
急激に燃え上がった熱愛報道も、いつもの事ながらあっという間に下火になった。世間がそんな事件があった事を忘れかけた頃、彩香のニューシングルが発売された。スキャンダルを逆手に取るかのように、ぐっと大人っぽい曲で悪くなかった。しかし結果は……惨憺たるものだった。発売後間もなくヒットチャートから消え、街で耳にする事もなくなった。
それは例年以上に長かった夏がようやく終わりを告げ、風に秋の気配が混じり始めたある日の夜の事だった。突然玄関のチャイムが短く鳴った。
(誰だこんな時間に……)ドアの外に立っていたのは彩香だった。
その思いつめたような表情に、一瞬、去年の暮に事務所を訪ねてきた彩香を思い出した。しかし戸惑いの中に固い決意をにじませていたあの時と違い、目の前の彩香には明らかに疲れと、脅えが感じられた。
部屋に入るや否や、手にした小さなボストンバッグを投げ捨て彩香はソファーに倒れ込んだ。
クッションに顔を埋めたまま消え入るような声で彩香がつぶやいた。
「………………先生、もう一度だけ……もう一度だけでいいから私を助けて……」
あの事件以降、彩香が柿崎と半同棲のような暮らしをしているのは風の噂で聞いていた。何も話したがらない彩香から、柿崎の新しい女と鉢合わせし部屋を飛び出してきた事だけを聞き出した。私に張り合うように懸命に作った曲がまったく当たらなかった事で、柿崎との仲がぎくしゃくし始めたのが、そもそものきっかけだったようだ。
ここ数日ろくに寝ていないという彩香をベッドに寝かしつけた。横になるのが早いか、すぐさま彩香は小さな寝息を立て始めた。その眼にうっすら涙が浮かんでいるのを私は見逃さなかった。その夜私はまんじりともせず彩香の寝顔に見入った。
東京にきてまだ1年も経っていないのに彩香の身には多くの事が起こり過ぎた。深い眠りに落ちていながら、その眉間に寄った深いしわが彩香の精神状態を表しているように思えた。
不意に、このまま彩香を手元に置いて一緒に暮らそうかという考えが脳裏をよぎった。本心ではそれを望んでいる事に私は気付いていた。『結婚』という二文字がぼんやりと浮かんだが、慌てて打ち消した。勘違いするな、彩香が頼っているのは作曲家としての私なのだと何度も自分に言い聞かせた。
翌日昼前に起きて、少し落ち着きを取り戻した彩香に私はきっぱりと告げた。歌手としての彩香に対しもう一度応援する気はない事、その代り由紀子の元に戻ってやり直すというのなら、何でも力になる事を。責任を全うできなかった者として由紀子への謝罪の気持ちを示すには、彩香をその手元に戻してやるしかないと決意していた。
私の話をじっと聞いていた彩香は「……わかりました」と答え少し寂しそうに微笑んだ。身支度を整え出ていこうとする彩香に、咄嗟に手元にあった現金を渡して、このまま一度由紀子の元に戻るよう繰り返し、繰り返し念を押した。
そして彩香は私の前から、そして………………後日分かった事だが由紀子の前からも姿を消した。
由紀子から突然電話があったのは11月も終わりに近づいたある日の事だった。




