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移し絵  作者: 鬼島真吾
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第十二話:夢想(その3)

由紀子が交通事故に遭った事を知ったのは、おふくろからの電話だった。


大学時代は家庭教師と塾のバイトに明け暮れほとんど帰省しなかった。


卒業後も作曲家としての多忙な日々が故郷に想いを寄せる余裕を奪っていた。そしてバブル期はきらめくような日常におぼれ切っていた。


それでも私からの十分すぎる仕送りを受け取る度におふくろは律義にお礼の電話を寄越した。


その中で方言交じりに語られる故郷の様子は、一服の清涼剤のように私にとって貴重な癒しの元だった。意識的にか否かは別にして由紀子の近況がさりげなく伝えられる事が多かった。


だから私は由紀子が同じ会計事務所の7つ年上の税理士と19歳にして早々と結婚した事や、すぐに女の子を産んで幸せな家庭を築いている事、そして念願通り両親と同居している事などを知っていた。


由紀子の話をする時は決まって、私にも故郷に帰って結婚し早く孫の顔でも見せてほしいというニュアンスがにじんでいたが、私は気付かない振りをして今の仕事の楽しさと多忙さを大げさに伝え煙に巻くのが常だった。


それでもご主人と子供そして両親に囲まれて楽しそうに微笑む由紀子の姿を想像すると、ほのぼのとした暖かい何かが胸にこみ上げてくるような気がしていた。


その由紀子の交通事故。由紀子本人は命に別条はなさそうだと聞き胸をなで下ろしたものの、運転していたご主人の意識が未だ戻っていない話には我が事のような不安を覚えた。


10年以上も故郷の土を踏んでいなかった私が、急きょ帰る事を決めたのは多分純粋に由紀子を気遣う心からだったがその事が、あまりに間が空きすぎて帰郷のきっかけを失っていた私の背中を押したのは間違いなかった。


仕掛り中の仕事を慌てて片付け、故郷に向かう列車に飛び乗ったのはそれから2日後だった。

奇しくも季節は15年前に由紀子が私を見送った時と同じく、寒風の合間に柔らかい春風が吹き始める頃だった。


列車が動き始めると私の中に由紀子とそのご主人の安否を気遣う気持ちと同時に、10年ぶりに目にするであろう故郷への郷愁の念が募ってきた。瞼を閉じれば由紀子と行った成願寺の新緑が浮かんだ。特別展示室のほの暗い室内がちょっとかび臭い匂いと共に浮かび上がった。列車から伝わる規則的な震動が心地よい眠りに私を誘うのを感じながら、記憶の糸は過去へと伸びていった。


列車が懐かしい故郷のホームに滑り込んだ時、私の眼には中高生らしい制服姿の集団が作る人垣と、坂本先生おかえりなさいと大書された横幕が映った。


おふくろにしか帰郷を伝えていないのにも関わらず、さも故郷の偉人を迎えるかのような仰々しい出迎え風景に気恥ずかしさを覚えた。同時に才能や努力ではなく記憶だけでいっぱしの作曲家を気取る私の実像を伝えたら、彼らがどんな顔をするか見てみたい誘惑が一瞬脳裏をよぎった。


人垣の中央で両親が少し誇らしげに微笑んでいた。そしておふくろとおやじに挟まれて一人のセーラー服を着た少女が立っていた。十分美少女と言える色白で目鼻立ちのはっきりした顔つきに懐かしい面影を見たような気がした。列車を降りた私は周囲に小さく会釈しながら両親とその少女の方に向かって歩みを進めた。


「おかえり」

おふくろが私の肩に両手を伸ばしながら満面の笑みで言った。

「ただいま……これは一体全体……」

「驚かせてすまんね、あんたが帰ってくる話を、嬉しゅうて隣近所にしたら、地元の新聞社に勤めとる人が昨日の夕刊で紹介してくれてね……」

そんな事だろうと思った。

「ところで……この子は?」

両親の間に立つ女の子に視線を移しながら尋ねた。

「初めまして、山元彩香です。今日は母の代わりにお迎えに来ました。母も来たがっていたんですが、父のそばを離れられないので……」

おふくろが紹介する前に、その子がはっきりと挨拶した。

「山元?」

「由紀子ちゃんの娘さんよ!大きくなったでしょう」

おふくろは私が由紀子の子供とは初対面である事を忘れているようだった。

(そうか……今は山元という姓なのか)

そんな事も知らなかった自分にあきれると同時に、先ほど感じた懐かしい面影が昔の由紀子である事に気がついた。もう一度少女を見ると周りの好奇な視線にさらされて、少しはにかんだ表情を浮かべていた。ますます由紀子に似ていると思った。


人垣に囲まれたまま、駅舎の方に向かった。駅舎にはローカルテレビのカメラが改札に向けられた眩しい照明と一緒に待ち構えていた。


レポーターらしき女性からの簡単なインタビューに、そつなく答える私を両親と共に少し離れた場所から彩香と名乗る少女はじっと見つめていた。


両親と一緒に客待ちのタクシーに乗り込むと、ようやく喧騒から解放された。


そっと溜息をつく私とは反対に、興奮冷めやらない様子でおふくろとおやじが感想を語り合っていた。運転手までもが会話に加わり騒然とする中で、私は車窓を流れる懐かしい風景をぼんやりと眺めながら、今別れたばかりの彩香の顔を思い浮かべていた。


別れ際に、明日の午後病院にお見舞いに伺うと彩香に伝えた。必ず母に伝えておきますと答えるその頬が少し赤らんで見えた。


約束通り翌日の午後、高校のあるH市の中央病院に見舞いに行った。土曜日の午後という事もあって子供連れの見舞客が目立った。


由紀子のご主人の病室は受付ですぐ分かった。病院に隣接する花屋で買った花束を抱え、3階のその部屋に向かった。すれ違う何人かが私の顔を確かめるように見つめていたが気づかぬ振りをしてやり過ごした。


病室は個室でドアが開け放たれていた。小さく声をかけながら足を踏み入れると、ベッドサイドに座っていた由紀子がこちらを振り向いた。


「お久しぶり……ご主人の具合はどう?」

10数年振りの再開の喜びを隠し、ごく普通の会話のように尋ねた。


「来てくれてありがとう。見ての通り相変わらず意識が戻らないの……」

私の差し出す花束を受け取りながら、悲しみを堪えるように由紀子が答えた。


「お医者さんはなんだって?」

「事故の時かなり強く頭を打っているから意識がいつ頃戻るかは何とも言えないって……最悪の場合このまま植物人間みたいになっちゃうかもね……」


唇をかみしめる由紀子の顔から視線を外し、ベッドに横たわる男を見た。頭部全体に包帯が巻かれ何本ものチューブが体中につながれたその姿から、ああこれが由紀子の選んだ伴侶かという感慨は浮かんでこなかった。それどころか今や由紀子を縛り付ける重しのような存在にすら思えた。事故からすでに一か月近く経っていた。


「……それで君自身はどうなんだ? もういいのか?」

「私も事故の時は腹部を打っちゃって、しばらく入院したんだけど内臓自体に大きな傷は負わずにすんだの。でも……」

「でも、どうしたの」

「特に下腹部が強く圧迫されて、子供はもう難しいみたい……」

「……そうか……でも君には彩香ちゃんがいるじゃないか。それだけでも前とは……」

慰めのつもりで思わずあちらの話を口にするところだった。


私の口をつぐませたのは自制心ではなく、その時病室の入り口から飛び込んできた彩香の姿だった。


「先生来てくれてたんですね! ママ、作曲家の坂本真一先生だよ。こんな有名な先生がわざわざお父さんのお見舞いに来てくれるなんて……本当に信じられない!」

意識が戻らない父親の存在を忘れたかのように、彩香は喜びを隠しきれない様子で興奮気味に語った。

「彩香なんですか、大きな声を出して! パパはまだ眠ってるのよ……」

「……起きてもらった方が良いんでしょう……って言うか、このまま意識が戻らなかったら本当に困ったことになるって昨晩もおじいちゃんとおばあちゃんが話してたよ……パパどうなっちゃうの?!」

そう言いながら彩香の眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。子供なりに父親の身を案じている気持が痛いほど伝わってきた。


「……そんな事……大丈夫よ、パパは絶対もうすぐ目を覚ますから! いつものように嫌がる彩香におはようって頬ずりしてくれるわよ……」

自分自身を励ますかのように由紀子が答えた。

「……坂本君ごめんね。ちょっとのどが渇いたわ付き合ってくれる……彩香、パパの事しばらくお願いね」

由紀子に誘われるように、彩香を残して私たちは病室を後にした。事故の後遺症なのか由紀子は少し足を引きずるように歩いていた。


由紀子は無言のまま一階の喫茶ではなく屋上へと私を導いた。エレベーターホールの先の鉄扉を開けると、少し冷たさの残る春風が吹きこんできた。ドアの外に出ると物干し場一面に真っ白なシーツの波が早春の光を受けてきらめいているのが見えた。


物干し場の手前に古ぼけた木製のベンチが座る人もいないまま置かれていた。私は由紀子と並んで腰を下ろした。目の前に新緑に覆われてこんもりと盛り上がる城山と水をたたえた掘割が見えた。


「私……不安で不安でどうしようもなくなると、よくここに来るの。ほらあっちにH校も見えるのよ」

由紀子の指さす先には確かに懐かしの母校がビルの谷間に浮かんでいた。


「彩香じゃないけど……口には出さないけど……みんなこのままあの人が植物状態になったらって心配しているの。今回の事故だって責任は五分五分って言われて慰謝料ももらえないし、あの人保険嫌いだったから生命保険にも入っていないし……それ以前に私自身がどうにかなってしまいそうで……」


「………………」


「やっぱり……こっちに来ても不幸になる運命なのかな……」


「絶対にそんな事ないよ! 彩香ちゃんだっているし、経済的な事なら僕だって少しは応援してあげられると思うよ……だからそんな事言うなよ!」


由紀子の何気なく発した一言がひどく私を動揺させた。これまでの順調すぎる人生の先に広がる深淵を無意識の内に私は恐れているのだと気づいた。だから由紀子の不安が他人事とは思えなかった。


「ありがとう……そうよね、私がこんな弱気じゃだめだよね。うん! ママ頑張るぞ!」

私の心中の動揺に気づいた風もなく由紀子が自分に言い聞かせていた。


それから私たちはようやく10数年振りに会った同級生らしくお互いの様子を語り合った。彩香が新学期から中学3年生になる事を知った。私たちが転生してきた運命の時である事は二人とも認識していた。私が作曲家として活躍している事情も由紀子はお見通しだった。そこで私は業界で出会った4人の転生者の話をした。由紀子は驚きつつも興味深げに聞き入っていた。


「私も後7年ほどでその日を迎えるけど、坂本君の事も忘れずに覚えてるって事よね」

「そうなんだ……」

私は大御所の事を話した。

「転生前の事や、転生に関する事を忘れている以外は、すっかりそのままなんだ。普通に会話も成立するし付き合っていける。ただ、『最近、曲を閃かないんだ』って言われた時は明日のわが身を思って悲しくなったけどね」


「………………あと7年なのね」

由紀子は何かを思案するように沈黙した。私は立ち上がりベンチの前の手すりに寄りかかったまま、大きく変貌しつつも懐かしい街並みを眺めていた。


病室に戻ると彩香が窓際に置いた椅子に腰掛け、ヘッドフォンで音楽を聴きながら雑誌を読んでいた。ヘッドフォンから小さく漏れ聞こえるメロディーから、それが最近私が作った曲である事が分かった。


「ママ遅い!」

部屋に入るなり彩香の叱責が浴びせられた。気づかぬ内に1時間ほどの時間が過ぎていた。


「久し振りだから積もる話ってのもあるの」

「私だって先生といろいろ話したいのに……」

「いいよ。何だい」

それから延々と彩香からの質問に答えさせられる羽目になった。会話の中で彩香自身が歌手に憧れているのが分かった。中学でバンドを組んでボーカルを担当していると嬉しそうに語っていた。

私は聞き耳を立てている由紀子の反応を伺いながら、歌手の世界の厳しさや芸能界の怖さを少し大袈裟目に語った。

「そうよ、こんな田舎でちょっと歌がうまいからって通じるほど甘い世界じゃないのよね」

私の話に大きくうなずきながら由紀子が彩香を諭すように言った。


「……その時は坂本先生に鍛えてもらうから大丈夫だもん」

彩香が私の反応をうかがうかのように上目づかいに私を見つめながら答えた。

「バカ言ってるんじゃないの!」と由紀子の怒りがさく裂した。

「そうだよ……俺なんか何の力もないよ。頼るだけ無駄だよ……」

由紀子の反応をフォローするかのように私もつないだが、その口調は弱々しいものだったかもしれない。


こうして私の見舞いは終わった。帰り間際、由紀子に名刺を渡しながら「何かあれば遠慮なく連絡してくるように」と念を押した。その様子を彩香がじっと見つめていた。


翌日から、地元のマスコミからの取材申し込みを断り切れずに何本かこなし、気ぜわしい思いを抱いたまま数日後に私は東京へ戻っていった。




















 

































































































































































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