第十話:夢想(その1)
私も由紀子も、ある意味でゴールの見えている人生をどう生きていくべきか決めきれないまま毎日を過ごしている状態だった。
そんな私たちの内面的な悩みとは無関係に授業の内容は、県下有数の進学校らしくどんどん高度化していった。
私にとって、改めて経験する高校の授業は結構タフなものだった。45年の人生経験があるとはいっても卒業してから目にした事もなかった古文や漢文、実生活で使う事もなかった数学や物理の公式……それらは結局一から学び直す必要があった。
体は高校生でも頭脳は精神年齢と同じようで、記憶ものがなかなか覚えられなかった。
由紀子も同様で、終いにはH校に来た事を後悔するようにすらなっていた。
それでもどうにか3年間の高校生活のゴールが見えてきた。
その頃由紀子との関係が微妙に変化しつつあった。
何人かの転生者の存在に気づき、いく度かは接触もしている内に、転生直後のようなお互いがこの世で唯一分かり合える絶対無二のパートナーという感情は薄れつつあった。
しかし反面では、それを認めあう事を本能的に恐れる気持も強かった。
結局、仲の良い恋人同士と同級生からも家族からも認められる関係が続いていた。
「私、大学へは行かないわ」
そろそろ最終的な進路(といっても大学に進むのがH校では当然だったが)を決めるべき季節になってある日の事、突然由紀子がそう言った。
「……どうして?」
「いろいろ考えたけど、後20年ちょっとしか私には残っていないのよ。だったらやりたい事もないのに、大学に行って4年間を無駄に過ごすのが、とても無駄な事に思えてきたの」
「それで……どうするんだ?」
「私……あっちの人生では早くに両親と離れて暮らしたでしょう……それに……子供も生んだだけで結局母親としての喜びを感じる事もなかったでしょう。その事を一番後悔しているって事にやっと気づいたの。だから……地元で就職して、早く結婚して子供をたくさん産んで……そしてずっとずっと両親のそばにいたいの!……その日を迎える時に子供たちと両親に見守られていたいの……」
うっすらと涙を浮かべながら由紀子は胸の内にあるものを一気に吐き出すかのように語った。
言われてみれば由紀子の気持は理解できた。と同時に由紀子と一緒に歩んできた道が分かれていくのを感じた。
私は……栄達の道をささいな出来心で踏み外してしまった事を悔いていた。今度こそ人も羨むような華やかな人生を送ると決意していた。残された27年をあちらの記憶をフルに使って生きていけばそれは絶対可能だと確信していた。
「………………そうか……そうかもしれないね」
頭の片隅で……自我を失っていく由紀子を、子供や両親たちと一緒に優しく見つめる自分の姿が一瞬浮かんだ。その情景に惹かれる気持もあった。
だが………………私も、私自身が信じるやり直しの人生を捨てられなかった。
後日聞いた話によれば、由紀子の両親は「せっかくH校に行ったのに……」と最初は反対したようだ。しかし由紀子の決意の固さに負けて、結局由紀子は親戚の会計事務所を手伝う事になった。
私は、史実と同様に東京の某国立大学を受験し合格した。
東京に出発する日。由紀子が駅まで見送ってくれた。
お互いに言いたい事がありすぎて結局何も言えなかった。お互いの選択を尊重し合っているつもりだったが、それぞれに割り切れない想いが残っていた。
発車を告げるベルが鳴り響いていた。ドアが閉まる直前、意を決して私は告げた。
「もし……いい男が見つからなかったら………………」
「今度は軽率に女に手を出しちゃダメよ!!」
……俺を待っていてくれと言いたかったが、そのセリフは由紀子の言葉にかき消された。
無情なドアのガラス越しに、無理やり作った笑顔で小さく手を振る由紀子が見え、そして後方に消えていった。
東京での大学生活が始まった。初めは単純に転生前と同じ人生を、今度こそ失敗なく歩む事を考えていたが、ある時忘れかけていた事実を思い出した。
それは私、少なくとも今、自己認識している『私』は45歳までしか存在しないという事実だった。
自己認識あるいは自我を失った後、どうなるかは分からなかったが、その後存在するのは今の私にとっては別人格(別人)である事は想像できた。
どんなに頑張っても支店長までしかたどり着けない人生、一方でそこに至るまでに歩んだ長時間残業と反吐が出そうな出世競争に明け暮れた壮絶な日々を思い返した時、どう考えても人生の帳尻が合わない事に気づいた。
6畳一間の安下宿での寝入りっぱなだったが、それからの私は夜が明けるのも忘れて、残された人生の歩み方を思索していた。
通学途上であろうか、窓の外からにぎやかな子供たちの声が響き始めた頃、私の腹は決まっていた。
大まかにターゲットをバブルの終焉のタイミングに置く事にした。1990年までに稼げるだけ稼いで、残りの約10年間を愛する人と世界中をゆったりと旅して過ごす。そして自我を失う瞬間は心穏やかに家族に囲まれて過ごす……そんな人生を夢見た。
その日から私の生活が一変した。実際には麻雀と合コンに明け暮れていた大学生活は、バブル期に向けた資金作りのスタートとなった。週3本の家庭教師と同じく週2回の塾の講師のアルバイトを始めた。大学のネームバリューもありバイト先は簡単に見つかった。
生活もできる限り切り詰め、仕送りと合わせ毎月15万、年間180万、4年間で約700万のネタ銭を作ることを目指した。
今よりは預金金利がいい時代だった。それでも次第に貯まっていく資金をもっと手早く増やそうと株に投資する事も考えたが、この頃の短期的な個別株の株価推移など覚えているはずもなく、あきらめざるを得なかった。折しもオイルショック以降80年代前半まで続く不景気な時代だった。
大学3年の後半になると、1年後の就職に向けた青田刈りが始まった。さまざまな会社から送り込まれるゼミのOBから度重なる誘いを受ける中で私は就職先を決めかねていた。
そんな悩みが一瞬にして解消される日が来た。結局私が選択したのは……作詞・作曲家の道だった。
ちょうどその頃、キャンディーズの解散や山口百恵の引退が大きく報道されていた。彼らのファイナルコンサートの映像や、デビュー以来のヒット曲を振り返る番組をぼんやりと眺めていた時、天啓のように閃いた。
私の頭の中には、これから先20数年間のヒット曲の詩とメロディーが(ウロ覚えのものも含めて)詰まっていた。
元手も専門知識もいらないのが良かった。もちろん作曲に不可欠な楽譜など読めも書けもしなかったが、音大出のアシスタントに口ずさむメロディーを書き留めさせる事で事足りると思った。
すでにデビューしていた荒井由美やサザンオールスターズがこれからどんな曲を出すのか、今年デビューのチャゲ&飛鳥や来年デビューする松田聖子に、どんな歌を歌わせればヒットするのかが分かっている。―ーーーーそれは神の能力かもしれなかった。
いよいよ終盤に突入してきました。みなさんがこの話をどんなふうに感じておられるのか、後学のために是非聞かせて下さい。お願いします。