三十分と少し前の世界
プラットホームへの階段を上がりきったところで、一つ年下の従兄弟からの電話があった。
『もしもし』
「もしもし」
レールに反射した夕陽が眩しくて顔の向きを変える。少し前の雨はまだレールにしがみついていた。
『さっきおばあちゃん家に電話かけてきた?』
「ああ、うん。六時くらいに駅に着くよって言おうとしたの」
長期休みに母方の実家に泊まるのがいつものことだった。その時にしか会えない従兄弟と祖父母に会うのを幼い私はとても楽しみにしていた。今ではだんだん予定をあわせるのが難しくなってきている。ここ数年は、予定の会う人だけが行くようになっていた。
『六時? わかった――。――』
止まっていた電車が動く音は、電話の声を掻き消した。互いの声が聞こえるように前に進んで少しだけ電車から離れる。
「ごめん、聞こえない。もう一回」
電車が通り過ぎ、しんと静かになる。一泊遅れて風が電車を追いかける。少なくとも後半の声は向こうに届いたようだ。
『んー。三十分くらい前、五時前にまたこの携帯に電話してくれへん? おばあちゃん家の固定電話やと名前が見えへんから。で、その後に家出るわ』
祖父母の家から待ち合わせの駅へは三十分ほどかかる。そして、私が今いる駅からは三十分と少しかかる。だから、三十分前となると、電車の中だ。その説明が少し面倒で、言わずに流した。
「あー了解。名前見えないのによく私ってわかったね」
『夕方に来るって聞いてたしな。それにしても微妙な時間に来るなあ』
「今日は用事があったしね。雨も止んだし、早朝よりかは迎えに来やすいでしょ」
『確かに。まあ、車運転するはおじいちゃんやけど。雨まだこっちは降ってるで。でも止みそう。じゃ、後で。』
「はーい」
今の時間を確認してから携帯をしまう。なんだ、五時半なであと十分もないじゃないか。もう電話しなくてもいい気がするけど、まあいいか。こっちが電話するのは三十分と少し前になる。
飲み物を持ってこなかったことを思い出して、お茶を買おうと赤い自動販売機に百円玉を二枚入れる。
普段は使わない電車を使うのは、ここにいるのが合っているのか不安でなんども電光掲示板を確認してしまう。そのまま自動販売機のボタンを押せば、水が出てきた。お茶の隣に水があった。これは押し間違えたな。予想より数十円多いお釣を財布にしまい、ペットボトルの蓋を開けて、よく冷えたそれを飲む。
向かい合ったホームに人は疎らだった。その十メートル以上先を、視界の隅から徐々に真ん中へと持っていく。あそこには別の線の電車が止まる。確か、北に向かう電車が。ホームに見覚えがある。そうだ、あの場所は知っている。
向かいのホームの柱の近く。修学旅行のとき、あの場所で電車を待っていた。いつの修学旅行だっけ。制服だったから中学か高校だ。電車を使ったのは・・・・・中学か。クラスごとに別れた大勢の中で、数年前、私はあの場所にいたわけで。
中学生の私を見つめたまま、ゆっくりとペットボトルを垂直に戻す。
彼女はこちらを向いた。
低速した電車が視界を遮る。電車は止まるととても静かで、向こうの私は今どうしているだろうか。大きな駅にしては、降りる人も乗る人も少ない。
電光掲示板を見れば、乗る予定の電車はもうすぐで着きそうだった。
「もしもし。今、三十分前」
実はそれよりもう少しかかるけど。
『わかった』
「うん。じゃあ、また」