幾度目かの別離
休日に澄江は菓子折りを持ってひろしの実家に行った。
月緒に挨拶をする。
「このたびはわたしの入院に際して抄子のことをお願いして申し訳ありませんでした。」
いえいえ、と月緒は返す。
「澄江さん、お一人で立ち直られたのは流石だな、と思います。」
「いえそんな。みなさまの助けのおかげです。」
抄子は母が退院しているのを知らなかったので驚いた。
「お母さん。」
「抄子。いろいろありがとうね。」
抄子は澄江の隣に座り澄江の手を取ろうとしたが、澄江はさっと手を引っ込めてしまった。
「体調の許す限りですが、これからは若い頃からやりたかった精神科についての活動をしたいと考えております。わたしがまた家庭に入って、調子が悪いだのごろごろだのしていても、同じことの繰り返しになると思うんです。抄子には、入院なんて経験はさせたくありませんし。」
月緒のとなりにさよいも座って澄江の話を聞く。かおるがコーヒーのおかわりをみんなのカップに注いだ。
「抄子、あなたグループホームに入りなさい。規則正しい生活と人との交流でしゃきっとなるわよ。」
「いやよ。そうなんでもかんでも勝手にしないでお母さん。わたしのことは放っておいて。人に迷惑かけているのはわたしもお母さんも一緒よ。」
さよいが言う。
「落ち着いて。」
月緒がにこやかに言う。
「抄子ちゃんがこちらにいるのは構いませんよ。そりゃ、いつまででもとは言いませんが。うちの主夫が良いと言ってますから。」
澄江がかおるを振り返る。
「すみません。かおるさん。抄子のことでご厄介をかけます。」
かおるは言う。
「俺は大丈夫です。澄江さんこそ、急に活動して、プレッシャーとか大丈夫ですか。ちょっとペースを落とした方が良いかも知れません。失礼ですが。」
「いえ。」
それは澄江自身も感じてはいた。
何か活動と言っても、何をすればいいのか分かっていない。気持ちばかりがはやっている。
ゆっくり地に足を着けていないと、躁みたいになって抑鬱になるかもしれない。
さよいが言う。
「ひろし兄さんと話し合えると良いよね。今日も来ないんでしょ。一番良いのは、家庭らしく暮らすことだよね。その中で抄子ちゃんも自分と向き合えたら良いよね。」
抄子ばかり、と澄江は思う。そして自分は母親失格だとも思う。
抄子が大学に行かない、就職もしない、家で毎日ぶらぶらして、何をしたいのか分からないと言う。これも澄江にはストレスだった。
でも抄子がそうなってしまったのは、澄江と、ひろしのせいなんだそうだ。学校に行かせ、食べさせてやり、寝る家がある。なにが不足だったというのだ。夫婦の仲が悪いことか。そんなことどこの家庭でも珍しくない。抄子が弱いのだ。弱すぎる。
こんな子!
抄子が澄江の隣から立ってかおるの側に行く。
「お母さん、なんか人が変わってて怖い。」
「お前んちの問題はまさに夫婦仲だもん。お前は被害者だよ。逃げて良いよ。」
月緒は言った。
「抄子ちゃんをうちで預かるのは構いませんよ。こちらとしても、繊細で感じやすい抄子ちゃんを、兄とあなたのいざこざに巻きこませたくないし。」
「主人とわたしのいざこざ? そんなことはございません。失礼じゃないですか。ですがまあ、抄子のことはよろしくおねがいします。」
かおるは思う。
人は人に迷惑をかけずには生きられない。それならば、調子が悪くなるのを承知で、結婚や子供を得ること、そうした生き方もありかもしれないと思わないでもない。だけど分かっていてそれができるほど、かおるは図太くない。
自分の両親だって。ずるいと思う。かおるが病気になったときにはどんなにか恨んだか。
抄子を守ってやりたい。自分勝手に生きる夫婦は娘を愛しもせずに邪魔にする。
抄子だって今は、薬を飲んで心身を調節している、微妙な時期なのに。なんだこの親は。
抄子は澄江に受け止めてもらいたかったが、それは諦めるしかなかった。もともと育つ課程でも、不安定な澄江には振り回されるばかりで、抄子は不安な気持ちになることが多かった。怒りも溜まっている。話をまともに聞いてもらったこともほとんど無い。
「なんでこんな人をお母さんだなんて慕っているのかしらわたし。」
「そんなこと言うなよ。お前のことでここに来てくれたじゃんか。俺たちに抄子をまかせてくれたじゃん。」
きぬさやの下拵えをかおるとしている抄子。
「わたしちょっと、駅前にでてくる。ごはんはいらない。」
「今からか。」
抄子は行ってしまった。こまめに連絡は寄越すように言った。
さよいが言う。
「いくら考えても答えが出ないんだよ。発散したいんじゃない。」
カニ缶のカニ玉、きぬさやのあんかけ。チャーハン。カボチャのスープ。
「あいつの分取っておく。朝食べさせる。」
抄子は本屋でぶらぶらして、最近の実用書ってウゼエとか思っていた。あれしなさいこれしなさいって、命令されて、嬉しいかね。謎である。
マックに入って単品バーガーとドリンクを頼む。なんとなく、セットのバーガーより単品の方が大きく感じるのだ。
こういうだらしないのも、わたしなんだよね。抄子はだらだらと過ごした。
はっきりきっちりと、自分というものを持っている人なんていない。誰もが、他人を知るのは言動からだけだ。中身はみんな一緒。自信が無くて、他人ばっかり良く見えて、概念にとらわれていて。
なんてことを抄子は考えた。




