小林の家
バスの中で考えた。
お母さんはまた統合失調症で入院した。お父さんはそんなお母さんを放棄して仕事。ついでに言うならお父さんはわたしのことも放棄している。
わたしも、統合失調症かもしれない。感情のコントロールが出来にくい。怖くてまだ病院に行ってないけど。高校を卒業してからだらだら家にいる。お母さんとずるずる楽しくやっていた。
でもなんかイヤで。違うって感じで。
お父さんの弟に当たる叔父に電話してみた。そしたらおいでよとか言われて。お父さんは行けばって感じだし。来てみたわけ。途中、お母さんのお見舞い。
「抄子。あまり叔父さんたちに迷惑かけないでね。」
「大丈夫だよ。お母さんとこにもしょっちゅう行くから。」
お母さんは嬉しそうにしたあと、困った顔をした。
それは分かる。精神科の入院は長いので、見舞いをする家族にも負担になるのだ。入院患者は自分で服の洗濯などしている。入院歴がすごく長くて、一生じゃないかと言われる患者のことを慢性と呼ぶ。
わたしはお母さんに慢性になって欲しくなかった。でもお母さんは自分が慢性になってでも家族に迷惑をかけないようにしようとする。
お父さんのせいだ。お母さんをいつも悪者にして責めるから。病気であることがもう悪なのだ、父にとっては。そんなのはおかしい。
目的の停留所で降りる。黄色いバスが行ってしまうのをちらと見て方角を定める。叔父さんち。
「抄子ちゃんだよねえ。」
抄子がバスを降りたときからじっといる男。
「一番下の叔父のかおるだよ。覚えてない?」
「かおる、さん?」
かおるはにやっと笑った。まだ若いのか。三十に近い二十代だろう。
「荷物持って上げる。」
「いえいいです。」
着替えと携帯電話、それに原稿用紙しか入っていない。
「いいから。」
横断歩道を渡るときにエコバッグを二つ取られてしまった。
普通のおじさんに囲まれて癒されるつもりだったから、若い叔父さんがいることには戸惑ってしまう。
「入院棟に澄江さんいたな。」
「え。」
澄江はお母さん。
「俺も入院してるからなあ、あそこには。たまに顔出すんだよ。澄江さん、疲れてたな。」
「うん。お母さんは、うちにいると疲れちゃうんだよ。」
かおるは言う。
「お前は自分のことだけ考えていいんだよ。」
そうもいかないとわたしは思ってしまう。
月緒叔父さんが次男。茶宵叔父さんが三男。芳留が四男。お父さんが尋司、長男。
子供の頃にあったきりだった父の弟たちは、オジサン臭くなかった。いかにもオジサンという雰囲気になってしまったのは父だけのようだ。
これはこれで、というかわたしが恥ずかしい。わたし地味で子供っぽくて、死にそう。
縁側でうだうだしていたら月緒が麦茶を持ってきてくれた。
「はい! 抄子ちゃん。」
太いたくましい首筋。広い厚い肩。
「あ、ありがとう。」
本当に父のすぐ下の弟だろうか。引き締まっていてしなやか。少し色っぽいくらいだ。
わ、わたしも髪くらい編んだりして、アイメイクはしようか、最低でも。
かおるがドーナツを揚げているらしい。さよいが邪魔にされている。手伝うにしても気が利かない、黙って側に立っていられても鬱陶しい。
やっぱりかおるがいると安らげないかも。抄子は軽く笑った。
かおる。入院歴があるって。鬱病とかかな。今は何ともないのかな。おじいちゃんとおばあちゃんが、そう言えばどうしてるかハッキリは知らない。老人ホームでも無いらしいし、もしかして精神病院かと思っているけど。祖母と祖父はイトコ同士で、二人とも風変わりなところがあった。老後に二人とも薬を飲んでいた。
かおるの揚げたドーナツを食べる。甘くてふわふわ、油っぽいのでつい食べ過ぎた。わたしは油が好きなんである。
さよいが吸い込むように山積みにされたドーナツを食べている様子が印象的だった。線が細く繊細そうなその様子で、どうやらさよいは大食らいらしい。
かおるは二つほど食べていた。
「俺、太ってたんだよね。薬の副作用でよ、満腹中枢が働かなくなって食いまくったんだよ。そんで太って。痩せるのも大変だったぜ。運動がロクに出来ねえし、うつっぽくて。食を減らしても夜寝付けないから地獄でよ。結局豆乳とかあっためて飲んじまう。どうやって痩せれたのか自分でもわかんねえ。ダイエット本とか出して儲けられもしねえ。」
死に物狂いだったのだろう。なんとなくそれはわかる。なんとかの糞力で、不可能も可能にすると言う奴。
尊敬するよ、かおる、と心で言う。
「かおるはウォーキングで痩せたんだろう」
と、月緒。
「なんだか一日に何回も外に行っていたぞ。その頃。一回に十分程度だったが、疲労が取れるとまた外に飛び出していた。」
かおるは食生活は変えずに、一日に短い時間、何度も外に出ることで痩せたらしい。原始人ダイエットに似ている。日光に良く当たると痩せやすいらしい。あと、原始人ダイエットだと肉食やフルーツが中心となるが。
夜は手巻き寿司パーティーをした。わたしを歓迎してくれたのだ。このしたくもかおるが手際よくしていた。
後かたづけを手伝いながら訊く。
「かおるさんが、ここの主夫なのね。」
「そうだよ。リハビリをかねてな。俺は作業所が苦手だから。」
作業所ってなんだろうと思って後日聞いた。かおるが言ったのは精神障害者が通うタイプの作業所のことで、利用目的などは個人でさまざま。
寝る前にわたしは原稿用紙に向かった。自分を見つめる時間。自分の世界にはいる。そうすると落ち着くのだ。
あした、かおると行動しよう。邪魔かも知れないけれど。