ころぶちか
あー、はーとうぉーみんぐな作品書いちゃったなぁ。
「ねぇねぇママー、遊ぼうよー、ヒマだよー」
主婦にとっては忙しい時間帯、いつもなら子供は学校という午前九時、ここでテキパキと洗濯やら掃除やらを片付けないとってタイミングで、マコトは母親の脚に絡みついた。
「退屈なら宿題でもしてなさい」
「もう終わったー」
ウソである。顔と言い方ですぐにわかる。母親にとっての子供とはそういうものだ。
とはいえ、こういう態度をとる時のマコトは絶対に宿題などしようとはしない。ウソを見破って机に座らせることはできるかもしれないが、それで宿題をするとは限らないし、そもそも説得している時間がもったいない。
「しょーがないなー。じゃあこれで遊んでなさい」
そう言って普段は物置と化している棚から手の平サイズの白い物体を取り出して渡す。
「何これ、ゲーム?」
「そうそう」
「でも、友達の家で見たのは蓋がついてたよ?」
「あー、それは昔のヤツなのね。これは最新式のヤツなの。レトロゲームっていうのよ」
「へー」
相手が子供だと思って無茶苦茶言いよる。
「普段はお父さんの許可が必要なんだけど、今日は特別よ。良い子だからそれで遊んでなさい」
「うん、わかったー」
小気味良い返事をしながら、意気揚々とスイッチオン。
年寄りと違い、基本的な操作方法から説明する必要がないのは現代っ子の良いところだ。
ちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃーちゃーちゃーちゃー。
テトリスである。
「ねぇママー」
洗濯物を干そうとベランダに出てきた母親を追って、画面を見詰めたままの子供が顔を出す。
「なに?」
直接纏わりついてこないだけマシと考えて、タオルをパンパンと鳴らしながら返事をする。
「これ、白黒なんだけど」
「そうね」
「さいしん?」
「そうよ」
「ポケ○ンとかできないの?」
できなくはない。
「わかってないなぁ、マコトは」
フッと母は笑った。
「今、時代はテトリスなのよ」
「えー、でもこれ古そうだよ。四角いのが上から落ちてくるだけだし」
「それがいいんじゃない。例えばこの出っ張ったヤツ、何に見える?」
「なにって言われても……あ、お鍋の蓋とか?」
「さすがマコト、良い目をしているなぁ。じゃあこっちの曲がったヤツは?」
「うーん……おじいちゃんの使ってる椅子っぽい?」
「うんうん、それは座椅子ね。こんな風に画面を眺めながら、これは一体何だろうと考えるゲームなのよっ」
違う。
「うわっ、そんなの初めて見た!」
「最新の斬新なゲームですもの」
「やべっ、スゲー楽しそう!」
いやいや。
そんなワケでマコトは画面を睨みながら、鍋の蓋を装備したポッキーと座椅子に座ったタマ(猫)の尻尾が言い争いを始めたところまでは何とか頑張ってみた。
「……ねぇママー」
「なぁに?」
「飽きた」
むしろ二分ももっただけマシである。
「というかさー、この四角いのはどう見てもただの四角だよー」
「そんなマコトに朗報です」
「ろうほう?」
「良いこと教えてあげるってこと」
「え、なになに?」
「何とこのゲーム、リズムゲームなんだよっ」
「マジで?」
「そのボタンを押すとね、ブロックがぐるぐる回るの。音楽に合わせて押してね」
ちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃーちゃーちゃーちゃー。
「うはっ、回ってるぅ!」
楽しそうだな、おい。
「えいっ、ほいっ、はっはっはっ、うりゃとりゃやー!」
ちなみにもちろん、テトリスは落ちゲーであってリズムゲーではない。
「もう一つのボタンを押すと反対に回るよ」
「マジでっ? あ、ホントだ!」
微笑ましい奇声が上がり、それがキッカリ一分で止まる。
「飽きた」
「あら早い」
いや、むしろ一分もったのは立派だと言わざるを得ない。
「回すだけなんてつまんない」
「そうでしょうね」
「クソゲーじゃん」
「ふふふ、甘いわね、マコト。そんな程度のゲームが一世を風靡すると思っているの?」
「いっせいをふうび?」
「みんながやったってことよ。そのゲームはね、下を押すことでブロックが急速に落ちていくの。どれだけ早く積み上げられるのかを競うものなのよっ」
逆やん。
「うあっ、凄い落ちる! ママ、これすっごい落ちるよ!」
「爽快でしょ」
ちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃーちゃーちゃーちゃーちゃー。
「ママー、これすぐ積みあがってつまんない」
ゲーム開始直後から下を押していれば30秒ももたないことは自明の理である。
「……仕方ないか」
結局、テキトーにごまかして稼げた時間は3分と30秒だ。やはりゲームはちゃんと遊ばないといけないらしい。
「それはね、落ちゲーといって――」
その後、超下手糞な旦那がコツコツと練習(10年)して積み上げたハイスコアを、僅か30分で超えてしまった子供を見て、母は子供という才能の凄さを実感したのであった。
ちなみにテトリスは、2時間で飽きたようである。
洗濯と掃除は無事に終わったので、母親はヨシとすることにした。