腕時計
「あ」
「吉田?どしたの」
「いや、時計が…」
「あ、ほんとだ。してない」
食堂から教室へ戻ると、腕時計が無いことに気付いた。
「腕時計外して食べてたの?」
「誰がそんな面倒なことをするんだ」
「ん~、腕時計が外れるなんて珍しいこともあるんだね」
デザインが気に入って、母さんに買ってもらったものだ。
日本ではもう絶版されている。
取りに戻りたいのもやまやまだったが、もうあと5分で講義が始まってしまう。
悩む。
非常に悩む。
「おれ次講義無いし代返しとこっか?」
「いや、でも」
「内容はテープで録音?しとけばいいんでしょ?講義と悩むぐらいなら相当大事なものなんだろうし、ねっ」
畠の提案に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、背に腹は代えられぬ。
「…すまない、頼んだ」
「らじゃー!」
にかっと敬礼をする畠にボイスレコーダーを渡し、教室を後にした。
『食堂』
無い。
無い無い。
どこにも無い。
座っていた場所も、その前後左右にも腕時計は落ちていなかった。
「あれ、エリート君」
這いつくばる俺の背後から聞き覚えのある声がした。
「あ、」
そこにいたのはわかだった。
「あれ、また忘れられてる?」
「いや、あの」
「まー君が忘れたのはこれだろうけど。違う?」
わかの指にぶら下げられていたのは、紛れもなく俺の腕時計だった。