……血?
ああ、思い出した。そうだ、そうだった。俺はこの時から強くなろうって思ったんだ。なぜなら、この話には続きがある。
「ダイジョブ?」
俺はその女の子に笑顔で聞いた。笑顔の方が安心するだろうと思ったからだ。
「え、あ、はい。大丈夫……です」
その女の子はオドオドしながら答えを返してきた。まぁしょうがないだろうあんな目にあった直後なのだから。俺はそんな彼女を気遣ってなるべく明るく聞く。
「俺、阿久沢桂。君、名前は?」
「あ、え…と、名前は……」
そこでその女の子の表情は戸惑いから恐怖のそれへと変化した。俺の後ろの方を見て動けなくなっている。何だ?と思って後ろを振り返ると、そこにはさっき俺が蹴り飛ばして林に突っ込んでいったオッサンが顔中血だらけにして物凄い形相で立っていた。そしてその手にはナイフが握られていた。
「このガキが!もう許さん、殺してやる!」
オッサンのその言葉は、やけに俺の心を動揺させた。こんなオッサン怖くもなんとも無いはずなのに。俺は思わず一歩退いてしまった。それは俺の精神的な負けを表す後退だった。
「死ねぇぇぇぇ!」
オッサンが叫びながらナイフで切りかかってくる。
「うわぁぁぁぁ!」
俺は普通なら軽く捌いて肘でも膝でも決めていたところを恐怖のため無様に逃げてしまった。俺はこのとき既に古武術を習ってはいたが、得物を持っている相手と戦うのはこれが初めてだった。いくらませてるといってもたかが8歳のガキである、俺はその時完全にパニックに陥っていた。
「痛ゥ」
散々逃げてはいたが、所詮何の型も無くただ無様に逃げていただけである。とうとう俺は腕を切りつけられてしまった。
「……血?」
俺は血を見た。肘から手首にかけて切りつけられ、そこから流れ出る赤いドロドロした液体。それを見た瞬間、俺の思考は全て飛んだ。
「あ……あ……」
そこにあるのはただ恐怖のみ。俺は動けなかった。オッサンは妖しい笑みを浮かべながらナイフを手に近づいてくる。
「は…ははは…死ね、死ね、死ねぇ!」
オッサンはナイフを逆手に持ち俺の身体めがけて突き刺した。俺は反射的に眼を閉じた。
(死ぬんだ……俺……)
俺は本気でそう思った。だが、一向に痛みは襲ってこない。恐る恐る目を開けてみると、そこには地面に這いつくばっているオッサンと、そのオッサンを見下ろす一人の男がいた。
「隼人さん!」
俺は叫んだ。どうやら隼人さんが助けてくれたらしい。
「桂、大丈夫か?」
隼人さんは慌てた様子で聞いてくる。
「あ、と、駄目かも……」
そこで俺は意識が途切れた。ただ、意識の途切れる前に目に入った女の子の心配そうな表情だけ妙に頭にこびりついていた。
それから後は余り覚えていない。病院のベットで目が覚めて、隼人さんにオッサンは警察に捕まったと聞かされ、それから女の子も帰ったと聞かされた。
「ありがとうございました。また会えると良いですね」
と伝言を残された事も。それを聞いて俺は安心したが、同時に悔しさが込み上げてきた。あんなオッサンごときに恐怖した事。隼人さんの手を煩わせてしまった事。何より、女の子ひとり自分だけじゃ護りきれなかった事。俺は、強さを求めた。何も出来ない自分は嫌だった。それから8年間、俺はずっと自分を鍛えてきた。もう何が俺をこうまでさせたのかもわからなくなっていた。そして、俺は再びその女の子と出会った。名前も知らない、俺が助け損なった少女と……。