5.気まずい馬車
馬車は速足で整備された道を進んでいた。
ルークセントの道はまずまずといったところだ。たまに跳ねても、縛られて身動きがとれないような状況でなければ、尻が痛くなるようなことはない。
それでも、馬車の中の空気は重かった。
「このペースなら、王都までは二日と少し、というところか……」
隊長がぽつりと呟く。
馬車内には俺とルース、隊長とムキムキがそれぞれ隣同士で、向かい合わせに座っていた。さらに、ガリガリは一人御者台だ。
それにドラゴンは俺のベストについたフードの中にいる。一切鳴き声も上げず、大して動かないのは、もしや眠っているのだろうか。なるべく存在は隠したいし、そうなると隠す場所もない馬車内で騒がれても堪らないので、非常に助かるのだが。
「…………」
ルースはルースで黙りこくったままだ。それほど狭くないとはいえ、大剣を背負ったままでは馬車の座席にはいられないので、やけに装飾的な鞘に入ったままの大剣を抱え込むようにして座っている。
ムキムキは腕組みをした上で口を真一文字に結び、瞑想するように目を閉じている。
結果として、馬車内で発言するのは隊長のみ。誰も相槌一つ打たないとあって、気まずい雰囲気は一向に晴れない。
俺は仕方なく口を開いた。
「……我々も同行することになった経緯を聞かせてもらえますか?」
「王都の憲兵本部からの命令だ。盗賊団壊滅の報告を行ったところ、至急関係者を含めて直接来るように、との返答をもらった」
隊長はスラスラとそう言った。憲兵隊の詰め所には通常、通信用の共感水晶が置いてある。かなりかさばるし、地脈の影響を受けやすいので、携帯して使うには不向きだが、速い情報のやり取りには欠かせない物だ。
「憲兵隊本部でもう一度報告をすることになるだろうな。それほど気負う必要はあるまいて」
嘘ではないだろうが、といったところか。だが、真実全てを話している訳でもないだろう。少なくとも額面通りに受け取ることは出来ない。
「我々に拒否権は……」
訪ねる俺に隊長は冷ややかな目を向ける。
「ないな。逃げたとしてもお尋ね者になることは避けられん。大体、聴取を避けなければならないような理由があるのか?」
隊長はルースの実力を知っている。その上で釘を刺しているのだろう。俺は慌てて言った。
「いえ、ありません。しかし、一般市民というのは、国家権力には意味なく怯えるものですよ。それも本部となると余計です」
恭順を示しておくと、隊長はにんまり笑った。
「気負う必要はないと言っただろう。我が憲兵隊は紳士の集まりだ」
これは考えるまでもなく嘘だ。
ルースがピクリと反応した。どうやら俺と同意見らしい。
「こういった報告の為に王都に行かれることは、よくあるんですか?」
「私自身は年に何回か行くぞ。ルークセントでは憲兵隊に弓引くような愚か者はいない。心配は無用だ」
別にそういう意味で心配してるわけじゃないんだがなぁ。
結局、車内の空気が良くなることもなく、気まずいまま半日が過ぎた。
「ここに泊まってもらうことになる」
日が沈む寸前、サートレイトから半日かかって、辿り着いたのは小さな村だった。
だが、二十戸あるかないか、というぐらいの村でも、普通の宿があるのがルークセント王国だ。
国営の宿が等間隔で点在するのだ。それほど豪華ではないとはいえ、貴族でも我慢が出来る程度には広く、清潔。ついでに値段も高い。
どこから出発しても宿の心配だけはいらない、というのがこの国のウリだった。
隊長一人、ガリガリとムキムキ、俺とルースでそれぞれ一部屋が割り当てられた。
宿の中でも従者や奉公人向けの部屋なのだろう、ベッドが二つに机が一つ、あとはランプが一つあるぐらいだった。
前日から続く寝不足と、ルースの行動に対する一喜一憂、ついでに馬車内の空気に疲れていた俺は、ほとんどベッドに倒れこむように眠りについた。
「さぁ、朝だぞ!」
「ぐほあっ!?」
「グァン!?」
昨日の朝と同じ激痛を伴う起床を経て。
朝特有のやけに眩しい太陽の光を浴びながら、俺たちは宿を出発した。
相変わらず気まずい雰囲気の中、昼には小さな町で昼食、午後もずっと馬車の中だ。日の光が赤くなる頃、昨日よりは大きな村に辿り着いた。家々が寄り集まるように十数軒、少し離れて森を背負うように宿が立っている。
昨日泊まった宿よりは大きい、それでも泊まれる人数は30人前後といったところだろうか。
「明日は早めに出発したい。日の出には起床、一時間以内に出発。以上」
隊長はそれだけ言うと、自分が泊まる部屋に引っ込んだ。
「私たちも失礼します。余計な気など起こさぬよう……」
ガリガリがそう言い残し、隣に泊まる憲兵二人も、一礼して部屋に入った。食事も部屋で取るのだろう。
談話室兼食堂といった感じの広間に取り残された俺たちは、顔を見合わせた。
「俺らはここでメシにするか……」
「やれやれ。肩が凝ったな」
「グァー」
丸一日ともなると、馬車でただ揺られているだけでも、結構疲れるものだ。気まずい他人と一緒では尚更である。さっさと食事をとることにした。
丸いテーブルにつき、適当に注文をする。
料理を待つ間、暇そうにしていたルースが頬杖をついたまま言った。
「そう言えば……、腰の物についての説明をまだ聞いていないぞ、カインド」
「あ?」
「盗賊の一人が使ったほとんど動きなく黒魔法を打ち出したアイテムがあっただろう。一昨日の夜、後で説明してやると、君が言ったんだぞ」
確かにそんなことを言った気もする。
俺はホルスターから魔銃を抜き出してから口を開いた。
「アイテムじゃなくて武器な。黒魔法の紋章とか、精霊魔法の呪文を封印した魔弾を解放、発動させるってモンだ。名前は魔銃」
「魔力を通す? 昨日の盗賊が<貫く枯れ葉>を打った時には何も感じなかったんだが、その魔力はどこから来るんだ?」
「魔力は弾の後部に蓄えられてる。このサイズだとCクラス程度の魔術師が使う魔法とほぼ同じ威力だ」
俺は弾倉から魔弾を抜き取って、そのうちの一発をルースに渡した。
「38口径<貫く枯れ葉>弾だ。弾頭は<貫く枯れ葉>の呪紋が描かれた紙を粘土で封印してあって、鉄製の薬莢に魔薬として水晶の粉が入ってる。これはメイプラ製の弾丸だから水晶の粉が使われてるけど、地域によっては魔力を有してる植物とか魔物の骨を魔薬として使ってる所もあるらしいぞ」
「……ふむ。これは……凄いな」
ルースは俺の言葉に反応出来ないぐらい弾を見つめている。
少し大きな街ならいくらでも売ってるものなんだがなぁ。
買い与えられた玩具に夢中になる子供のようなルースがおかしくて、少し笑ってしまった。
「む。笑うことはないだろう。初めて見る物なんだ」
「いや、悪かった。お詫びじゃないが、こっちも触ってみるか?」
機嫌を損ねたようなので、弾を抜いたままの魔銃を銃身を握って渡す。
「いいのかっ!?」
飛びついて来たルースの笑顔は、喜び一色で塗り潰されたような、本当に無邪気なものだった。
あれだけの実力にこれだけの容姿なのに、行動は素直で飾ることを知らない。変な奴だ。
「おおぉ……。ふむ、なるほど。この筒の――内側部分は魔力反射で……。持ち手辺りに力場のようなものが……。微かな魔力を発生させて、それを起爆剤として用いるのか……。ふむふむ、良く良く見れば確かに武器だ。余計な装飾がない代わりに、全ての動作を円滑にする為の配慮がある。分解しては――駄目だよな?」
「ああ……、駄目だ」
ちなみにこの銃は、技術国であるメイプラ、その中でも名工と名高いジイさんの最新作だ。手入れはともかく、ヘタに分解などしたら、その辺の鍛冶屋には直せない。
「一度撃ってみるのは――」
「駄目だ」
「……そうか、残念だ」
途端にしょんぼりするルース。魔銃のグリップを握ったまま、俺に差し出してくる。弾が入っていないとはいえ、非常に怖い。
「一発とはいえ、そこそこ値が張るんだ。一応、旅の途中だから無駄遣いは避けたい」
魔銃を受け取りつつ言った。というか、俺から言わせれば、自由自在に魔術を使えるルースの方がずっと羨ましい。
「それなら仕方がない。僕もどこかで手に入れるとしよう」
「グアッ」
ドラゴンが鳴き声を上げたので、辺りを見渡すと厨房から料理が出てくるところだった。
「今の今まで黙ってたのにな」
「フードから出した方が良くないか、カインド? いや、是非テーブルで食事をさせてやるべきだ!」
料理は普通だった。昨夜の夕食、今日の昼食と印象がほとんど変わらない。サートレイトの料理屋の方がはるかに美味い。それでも量はあったし、俺もルースもドラゴンも文句は言わずにしっかりと食べた。
食事を終えれば、特にやることもない。俺たちはさっさと部屋に引っ込んだ。用意された部屋も昨日と同じ。また同じ部屋に戻って来たか、と錯覚してしまうほどだ。
「……風呂に入りたいなぁ」
鎧を脱ぎ、一応装備を点検している時にルースがぼやいた。
巨大な剣を鞘から抜きながら言うような台詞ではない。
「そりゃあ、無理難題ってところだろう」
「わかってる。思わず言ってしまっただけだ」
「サートレイトなら風呂屋ぐらいあっただろうけどな」
「……それを聞いたら、またあの隊長への怒りが沸いてきたぞ……」
隣のベッドから確かな圧力を感じる。これが――怒気?
「忘れて、寝ろ。王都につけばさすがに入れるって」
「グァー」
「おお、慰めてくれるのか、可愛いなぁ」
鼻を寄せて鳴き声を上げるドラゴンに、ルースの雰囲気が一変する。元々本気で怒っていた訳ではないだろうが、それでもこの変わり身の早さには感心することしきりだ。あと慰めるというよりは宥めているんだと思う。
横になれば、すぐさま眠気が襲ってくる。
ドラゴンを抱き上げようとするルースの猫撫で声と、それでもしっかり嫌がっているらしいドラゴンのむずがる声を聞きながら、俺は眠りについた。
「……ンド……、……きろ、カインド……」
自分の体を揺り動かされる驚きと、囁くようなルースの声で起きたのは何時間後の事だったか。二日連続で鳩尾に鉄拳を食らっていたこともあって、俺はわりとあっさり目を覚ました。
上半身を起こして、室内を見渡しても暗い。
「クァ」
ドラゴンまで起きている。俺の懐から見上げるようにして俺の顔を覗き込んでいた。無意識に赤い毛でフサフサの頭を撫でつつ、重たい口を開いた。
「……何だよ、まだ夜じゃないふぁ~……」
「あまり音を立てるな。この宿は囲まれている」
「――あぁ?」
「宿が囲まれていると言ったんだ。人数は五人ほどだが、猟犬かそれに近い生き物が十頭以上いる」
「!?」
俺の意識は一気に覚醒した。
この二日とちょっとでルースの性格と能力は大体把握している。こんな冗談を言うような奴ではないし、盗賊のアジトで俺には聞き取れない音を正確に把握していた実績もある。
「気付いたのはどれぐらい前だ?」
「つい、さっきだ。不穏な気配とでも言えばいいかな、囁き声や極力たてないようにする足音などが耳に入った。おそらく……、そろそろ包囲が完了する」
そう言いつつルースは鎧を着始める。俺も慌てて、毛布の上にのせたままだったベストに袖を通し、鎧と剣帯に手を伸ばした。
「目的は……?」
「それこそ彼らに聞かないとわからないだろうな」
口元を歪めながら、ほとんど音を立てないで大剣を背負うルースの姿はとても様になっていた。俺の方も準備完了。最後にドラゴンをフードに押し込み、考えを纏める。
「包囲ってのが気になる。物取りならそんなことする必要ないだろ」
「感じとれる気配が暗殺者レベルだ、普通の物取りとは思えない――っと完全に包囲されたな」
時間はないということか……。
「とりあえず、僕が出て行って相手をしよう。敵の目的が何であれ、向かってくる者がいれば出足は鈍る」
「それでいくしかないか。ルースが注意を引きつけている間に、俺は憲兵たちと宿にいる人間を起こす」
「なるべく多く相手をするつもりだが、全員を引きとめるのは難しいだろう。君は逃げに徹した方がいいぞ」
ルースはその端正な顔を心配そうに歪めて言った。
「俺一人ならともかく、憲兵たちがいれば、こっちの安全は何とかなるだろ。お前こそヘマするなよ」
「グアー」
「ふふ。そうか、君もいたな。カインドを頼むぞ」
「グアッ」
ドラゴンの頭を一撫でして、ルースは大剣を抜き放つ。音もなく窓を開けると、するりと外へ出て行った。
「ふぅー……っし、行くか」
俺も魔銃を抜き、慎重に部屋のドアを開けた。
右。左。ついでに上。臆病かもしれないが、ここまで確認してから廊下へ出る。
音を立てないように隣のガリガリとムキムキの部屋に。俺たちと同じ広さの部屋で二人は普通に寝息を立てていた。
「起きて、起きてください」
二人を同時に揺り動かす。
「……あァ?」
「一体何だと言うんですか……」
とてつもなく不機嫌そうな声を上げながら起きるムキムキとガリガリ。それでも一応兵士らしく、突然の起床にもそれほどうろたえた様子はなかった。俺は人差し指を口の前で立てる。
「静かに。先ほど私の従者が奇妙な気配を感じ取りました。彼はすでに外へ出て、曲者の相手をしています。しかし、人数が多いらしく、全員を抑えるのは難しいかもしれません。彼が言うには、暗殺者のような気配が五人ほど、さらに猟犬のような気配が十頭以上いるとのことです」
具体的な内容に、すぐに二人の顔が真剣なものになる。
「逃げる為に嘘をついてる訳じゃねぇよな」
俺を睨みつけるムキムキに、ガリガリが少し間を置いて言う。
「……こんな嘘をついても意味はないですよ。わざわざ我々を起こすのならなおさらです」
「まずは隊長に報告か」
ムキムキは壁に立てかけてあった剣を抜いて言った。すぐにでも飛びだしそうだったので、慌てて口を開く。
「宿の主、それにもし他に宿泊客がいるならその人たちにも、伝えないと」
「なら、ウェイバーは隊長の所へ」
「おう」
ムキムキことウェイバーは鎧も着ずに部屋を出て行った。そういえば名前すら聞いていなかったんだな。
ていうかウェイバーて。
「貴方も、彼と一緒に隊長のところへ行ってください」
ガリガリは胸当てだけを着け、枕元にあった指輪をいくつか指に嵌めた。
「いいえ、私も主のところへ向かいます」
俺は即答した。
こんなにバタバタしている中、ただじっとしているだけなんて嫌だ。
この状況なら、どうせどこにいようとも襲われるリスクは存在する。
それならより派手で、起伏に富んだ、後々話す時に面白い方を――。
「貴方たちは本来護衛対象なんですがねぇ」
ため息交じりの言葉に暴走しかかっていた思考から覚める。
「この状況なら、目と耳は一つでも多い方がいいでしょう?」
「それは説得力のある言葉ですね。よろしい……では、一緒に行きましょうか」
ガリガリがそっとドアを開け、俺もその後ろに続く。
当然のことながら灯りはつけられない。廊下はかすかに外の光が入ってくる程度で、充分に目が慣れている今でも、ぼんやりとした輪郭しか確認出来なかった。
パキパキと音がする。
「――ッ!?」
驚いてそちらを見ると、ガリガリが指の関節を鳴らしていた。思わず囁いてしまう。
「この状況で何してんすか……」
「僕は白魔法が専門なのでね。指の動きは少しでも滑らかにしたいんですよ」
言葉で精霊に呼び掛ける精霊魔法、紋章で理を超える黒魔法に対して、形で奇跡を起こす魔法を白魔法と呼ぶ。手指で印を組み、それを何度か組み替えることで、魔法を打ち出すのだ。基本的に防御や敵の拘束など、補助的な魔法が多い。
この状況では少々心もとないがこればかりは仕方ないだろう。
それに、戦闘に関して素人で、唯一まともに使える武器といったら魔銃ぐらいの、この俺が最も心もとない存在である。
「緊張で気が立っていたもので……失礼しました」
「いえ……。援護をお願いしますよ」
曲がり角だ。ガリガリは片目以外を壁に隠すように、そっと角の向こうを確認し、一拍を置いて一気に踏み込んだ。
「ふぅ――……。オッケーのようですね」
一歩一歩足音を殺しながら進み、何度も何度も視線を動かし、怯えた鶏の様な動きで、ようやく宿の主の部屋と思しき場所まで辿り着いた。
「もし……、もし、主……」
ガリガリがドアを小さくノックし、小声で呼びかける。その間、俺は彼と背中合わせになって、周囲を警戒していた。
「ルークセント憲兵団、サートレイト隊所属、フィリップ・ゴゥラです。火急の用件で参りました」
ガリガリが憲兵として名乗り、耳を澄ますが、返事はない。
思わず背中合わせで、顔を見合わせてしまう。暗闇の中、相手の表情までは読み取れないはずなのに、俺にはガリガリの顔が引きつっているのが、見えた気がした。
「……い、行くしかないでしょうねぇ……」
頑張れ憲兵。
廊下側に気配がないので、俺は少し距離をとり、魔銃を構える。ガリガリがドアの取っ手に手をかけ、こちらを向く。互いに呼吸を計る。心臓が煩い。グリップを握る手が汗で湿っているのが今になってわかる。一度銃を持ち替え、ズボンで手を拭いてから、今度はしっかりと握った。
「…………」
俺が頷くと、憲兵はドアを蹴破るように勢いよく開ける。
「ガァァァゥウウ!!」
咆哮とまったく同時に躍りかかる黒い影。
俺の体は反射的に魔銃の引き金を引いていた。
9月14日初稿
2月19日指摘を受けて誤字修正
別にそういう意味で心配してるわけじゃないだがなぁ→わけじゃないんだがなぁ
どこから出発しても宿の心配だけはないらない→心配だけはいらない
30人前後といったところだろうかか→だろうか