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【王家の食卓3】 第一次料理革命

 真新しいエプロンとコック帽を被ったリエ――は小柄だったので、ちょっとぶかぶかだが――とカルラは両手を洗って、互いに一礼し、用意された食材に一礼した。


 食神タイベルに対する礼儀である。


 これらひとつひとつの食材が食神タイベルの施しであり―――人感動させる料理には、食神タイベルの祝福が宿るといわれている。



 

「では、開始!」




 料理長の合図と共に動き出す。

 

 厨房には緊迫した空気に包まれていた。

 料理人は勿論、流離人ルエイト二人の護衛である騎士すら空気に飲まれ、こわばった面持ちであった。 

 

 ニコニコしているのはリエと旦那だけだ。 


 カルラは、流離人ルエイトの料理が気になりながらも、自分の手元に集中した。


 八つほど卵をボールに落として泡だて器で溶き、塩と胡椒を少々入れ、それを熱したフライパンにオリーブオイルを垂らしてから、薄く敷いた。


 弱火でじっくりと。


 焼きあがると、また敷いて焼くというのを繰り返した。

 


「卵のつし、か!…本気なんだな」



 ヤルミルが小声で聞いてきたので、頷く。

 二人で夜中まで厨房に残って、『王家の食卓』で開発した料理である。


 焼いた薄い卵生地に、米を炊いた飯にワインビネガーを加えたものを薄く引いて、パイ生地のように何十にも重ねて、二口サイズ程度の長方形に切る。


 高さは三センチ、長さはその倍と少しだ。

 

 最後に卵生地で一つ一つ丁寧に包み、解けないように一センチ程の帯状の卵生地で、見た目も美しさを損なわないように蝶々結びをして完成である。


 シンプルな料理ではあるが、口当たりが解けるようで、味もワインビネガーの風味がしっかりとしており、焼いた卵との調和が絶妙だ。




『焼いた卵とビネガーのかかった飯が重なっている一口サイズの料理』




 その王の話から推測して、改良した『つし』。


 最初は分厚い卵焼きを、ワインビネガーを混ぜた飯の上に置いたのだが、ナイフとフォークで持ち上げるとボロボロと飯が零れた。スプーンで掬うのかとも思ったが、それも困難だった。


 まさかこんな米の上に玉子焼きを乗せただけなんて、ありえないだろう。


 それから、長いこと改良して今の形になった。


 本当は生魚も使うらしいが、ここら辺の魚はあまり大きくない川魚がほとんどだ。生では少し泥臭くて『王家の食卓』でだすのに相応しくない。それに、野菜以外は煮たり焼いたりして、出すのが普通だ。


 二口程度で食べ終わるというのに、手間は惜しみなくかけられている。

 それでも、これはメインディッシュではなく、ただの添え物―――それでも、ヤルミルと二人、恩人である王に報いるように努力したのだ。


 たった六人分とはいえ、一人に一つ作るにしても時間がかかる。


 自分の料理人としての腕があれば40分以内に一人二つ分は作れるだろうとカルラは計算している。



 十数枚の卵が焼き終わった後、ちらりとリエの調理棚を眺めると、驚くべきことが行われていた。



 沸いたお湯に卵を投入していたのである。


 いや、『ゆで卵』は知っている。


 塩をかけて食べたり、野菜に添えるのに、丁度いい食材だ。

 彩り豊かな野菜の色を一層引き立てて、食欲をそそる。



 どうやら彼女が作ろうとしているのが、ゆで卵と、ボールの中で卵の黄身のような色の物をひたすらかき混ぜているだけなのだ。



 それ以外に、手で千切ったレタスに、元々保管されていた楕円形のパンの真ん中に切れ目が入ってる。

 その切り口が光っているので、バターが塗ってあるのだろう。



「卵と、卵だって?ヤルミル?」



 思わず手を止めて一番の戦友の名を呼ぶと、険しい顔で首を横に振った。



「ボールの中身は黄身だ。塩、胡椒―――それに、お前も使っていたワインビネガーだ」

「な、なんだってぇ!アタイと同じ調味料を!?」



 料理人にとって挑発とも取れる行為だ。

 

 塩、胡椒までなら、なんとも思わなかったが、ワインビネガーまで。


 青天の霹靂とはこのことだ。

 カルラはまさか初見であろうワインビネガーをリエが使ってくるなど思っていなかった。



「それをひたすら混ぜている」

「ふ、ふん、どうせ、適当に使ってるんだよ」



 自分の手元でワインビネガーを混ぜた飯と卵の薄焼きを交互にのせながらも、気になった。

 

 まだ料理も中盤ではあるが、その後何度か盗み見ても、彼女はオリーブオイルを少しずつ垂らしながらひたすら混ぜていただけであった。


 ワインビネガーとオリーブオイルをあわせるなんて、初耳だ。

 

 他の料理人の顔色もよくない。

 特に審査員に選ばれたものは、口に運ばなければならない。



「な、なんてことを!?」

「そ、そんな!!」



 どよどよと、『王家の食卓』の料理人が声を上げる。

 

 リエは茹で上がった卵を剥いて、新しいボールに入れると潰した・・・

 

 普通は一口サイズに切る程度だ。

 茹でた卵を潰すなんて、カルラは初めて見た。


 ボールの中で、黄身と白身が混ざって、ぐちゃぐちゃになっている。



 失敗してやけになったというのか?



 味は変わらないだろうが、見た目は気持ちが悪い。


 だがリエは、にこにことしている。

 

 その後も、ひたすら元々手にしていたボールをかき混ぜることに、リエは時間を費やしていた。

 

 時々、旦那と仲睦まじく子供のことで談笑している姿には、何度か切れそうになったか。

 それでもタイミングよくヤルミルが止めてくれたので、怒りに身を任せるような愚かな真似はしなかった。





   + + +





「では、カルラの試食から」



 四十分が経過し、お互いの料理は完成した。

 

 カルラが出したのは、真っ白な皿に、一人二つ乗った卵の『つし』。

 黄金色に包まれ、焼いた卵を細く帯状にしたもので綺麗にリボン結びをされている。



「見た目にも美しいな」


 

 リエの護衛騎士は驚いた様子で、さまざまな角度から見つめていた。


 一介の騎士が口にできるようなものではない。

 見たことがないのも当然だ。


 ナイフで切り目を入れると、何十にも重なったワインビネガーの飯と卵が覗いている。


 この飯と卵の比率も、計算されたものである。


 

「う、旨い!この酸味のついた飯が、卵とマッチしている!」



 騎士はフォークに刺したそれを一口食べて、目を見開いた。


 リエの審査員として選ばれ、食神タイベルの名の下に料理に平等である料理長も、声こそ上げなかったが、『腕を上げたな』というように感慨深げにカルラを見つめていた。


 カルラは、それに笑顔で答える。



「……美味しいぜ、カルラ」



 そして、共に開発したヤルミルの素直な賞賛には胸を打たれる。

 脳裏には、あの開発に深夜まで二人で口論したり、改良をしたりと、厨房で寝泊りする日々が―――



「んん?卵の『ツシ』の味がする」

「あら本当――でも『チラシツシ』に味が近い気がする」

「あぁ、ショーユがないからか?」



 ―――リエと旦那の暢気だが、聞き捨てならない言葉に、走馬灯のような記憶が一気に吹っ飛ぶ。


 しかも二人は、カルラが丹精込めて作った料理を素手で食べていた。



「落ち着け!落ち着け、カルラ!!」



 思わずお玉を振り上げていたカルラを後ろからヤルミルが羽交い絞めにする。



「アンタら、ナイフとフォークの使い方も知らないのかい!」

「「え?」」



 二人はようやく、皿の横に添えられていたナイフとフォークに気がついたようで、すぐに他の者の食べ方を眺めて小首をかしげた。



「これって『ツシ』なのよね?」

「そうよ!これは、王様に言われて作った―――」

「『ツシ』は普通、素手で食べるものよ。もしくはハシかのどっちかだもの」

「な、なに!?」

「それに、ショーユにつけて食べるのが一般的だけど」



 はっと、したようにヤルミルが声を上げる。



「まさか、王と同郷なのか?」



 そこでカルラは、ようやく思い出した。

 誰もが知っている当たり前の事であるし、知らない人間の方が少ないだろう。




 現イシュルス王も―――流離人ルエイトであることを。




 考えてみれば、同じ流離人ルエイトなのだから、同郷であってもおかしくはない。

 

 だから、これを『つし』だと言い当ててたというのか。

 


「そうなのよ~。これも、私たちの国の食べ物なのぅ」

「こ、これは?」



 料理長が戸惑いの声を上げる。


 楕円形のパンの真ん中に切れ目が入っており、そこにレタスと潰したゆで卵と、リエがずっと混ぜてた黄身がクリーム色になっているものと合わさって、挟められている。


 リエの料理もまたシンプルであった。



「卵サンドっていうのぉ。卵新鮮だし、手作り『マヨゥネーズ』だから、美味しいわよぅ。はい、あーん」

「手作り、まゆぅねーず?」



 マヨゥネーズよ~、とヤルミルの問いに答えながら、パンを摘んで旦那の口に運んでいる。

 『美味しいよ』といいながら、旦那はでれでれしながら、それを食べていた。

 

 料理長は意を決したように、リエ達と同じように、素手でパンに齧り付き、大きく目を見開いた。



「こ、これは!!??」

「りょ、料理長?」



 料理人達が見守る中、立ち上がり天井を仰ぐ料理長の手はぶるぶると震えていた。 


 

「ゆでた卵をワインビネガーを使用した酸味のきいたクリーム色のソースが一層引き立て―――もともと同じ卵であるために、まったく反発もせず――口の中で素晴らしい調和を見せ―――味付けが少し濃いが、それはパンとレタスが中和され―――完璧なひとつの料理になっている」



 猛烈な勢いで咀嚼しながら、料理長の瞑られた瞳から涙が流れていた。



「おおぉ、食神タイベルよ!この食の施しを今日ほど感謝したことはありません!!!ありがとうございます!!」



 そのまま、料理長は膝をついて、食神タイベルへの祈っている。

 

 刹那、審査員に選ばれた者たちは勢いよくリエの料理を手に取り、ヤルミルだけが、カルラに半分に千切ると手渡した。


 静寂に包まれた厨房に咀嚼する音と、リエと旦那がいちゃつく声だけが響く。


 ゆっくりとしていた咀嚼の感覚が早くなっていく。


 審査員ではない料理人は驚きを隠せぬまま、リエが使っていたボールに残る『まよぅねーず』を舐めだした。しまいにはボールに顔を突っ込んでなめる始末だ。





 

「う、美味い……」






 あまりの食の衝撃にカルラが呟いたことで、この勝負の勝敗は明瞭についた。

 審査員の全員がリエの料理を賞賛した。



 ヤルミルも、料理長も―――内心では、カルラ自身も。



 カルラは地面に座り込んで呆然としていると、リエが視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 


 ――――初めて、決闘で負けた。



 どんな罵り言葉を浴びるのかと、身構えるが、ノンビリした声がかけられた。



「あのね、私達、王様と同じ国の流離人ルエイトなのぅ」



 それは、さっきわかった。

 だがカルラには口に出す元気はない。



「王様は長いこと、この国で生活してて、きっと恋しいのかなって思ったの―――故郷の味が」



 カルラは大きく目を見開いた。


 料理に求められるのは美味さである。

 それは間違いない。


 だが、毎日のように味見で『王家の食卓』の最高の料理を摘んでいるにもかかわらず、カルラも時折無性に実家で出ていたイシュルス家庭料理が恋しくなったりする。


 イシュルス王は長い間、この国を統治していたのだ。


 カルラ自身ですら、故郷の、家庭の味が恋しくなるのに、王がそうならないはずはない。



 その証拠に王が作れと言った『つし』が王の故郷の食べ物ではないか。



「もし、この調理場を使うことがだめなら、外で作るわぁ。でも王様に生まれ育った場所の料理を食べさせてあげたいの。だから、昼食を作ることを許してほしいのぅ」

「……リエ」



 リエの旦那が、先ほどとは比べ物にならない穏やかな微笑で「ありがとう」と小さく礼を言った。

 それにリエは柔らかい微笑みを返した。

 


「………どうぞ、ここをいつでもお使いください」



 食神タイベルへの祈っていた料理長が涙を拭いながら立ち上がった。



「いいな、カルラ」

「は、はい……」

「楽しかったわ、カルラさん」

「アタイも…多少はね」



 強がりを言ってカルラは、伸ばされたリエの手を取り、立ち上がった。


 その料理を通じて芽生えた友情に『王家の食卓』が沸きあがり、『マヨゥネーズ』と呼ばれたソースの講座を料理人全員で受けながらも、リエは王家の昼食を作り始めていた。 


 『王家の食卓』で起きた小さな料理革命。

 だが後に、料理の最前線で起きたそれは、下町まで飛び火することになる。





 余談だが、リエが故郷から持ち込んだという固形の物体から、おぞまし色味のスープであることに料理人は苦しめられる事はすぐだった。


 そして、朝食の感想を聞いた料理長に正直・・に答えたリエにカルラが再び決闘を挑むのも。


【王家の食卓の『つし』】

王の命令で作られた焼いた卵とビネガーのかかった飯が重なっている一口サイズの料理。流離人ルエイトの世界の正しい発音は『寿司』。実は最初にカルラとヤルミルが作っていたものが正しいが、素手で料理を食べる風習はなく(パン程度)ナイフ、フォーク、スプーンで食べる世界なので、これではないと試行錯誤を重ねた結果、酢飯と卵のミルフィーユのようなものになった。醤油がないため、味は具が卵だけのチラシ寿司に似ているようだ。


【王家の食卓の『まよぅねーず』】

リエの指導監督の元、王家の食卓の料理人たちに伝授された流離人ルエイトの万能ソース。流離人ルエイトの世界の正しい発音は『マヨネーズ』。雑草にかけて食べても美味いと中毒者続出。油・酢・卵・塩・胡椒からできる半固形のドレッシング。油と酢が反発するので、失敗する確率が高いが、実は慣れるとお手軽にできる。

その後、料理人たちの手により、様々なハーブ、香料入り、細かい野菜が入ったタルタルソース状のモノが開発され、イシュルス料理が世界に広められることとなる……かもしれない。



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