【王家の食卓2】 食神タイベルの聖域で決闘を
二人の料理人が互いに三人の審査員を選び、合計六人の審査員が料理の食す。
いたってシンプルな料理対決である。
調理道具は自由に使用でき、料理によって、材料や時間の制限があったりする。時には助手の制限などがあるが、今回は一対一の形式となった。
だが、流離人のリエは知らなかったようで、額の汗をハンカチで拭っている料理長から説明を受けていた。
どうやら、リエの世界ではその風習はないようだった。
騎士が手袋を相手に叩きつけ、決闘を申し込むが、料理人はコック帽か、エプロンを相手に叩きつけるのが一般的な流儀だ。
「(おい、なんてことしてくれたんだっ!)」
羽交い絞めにしてくる男が、小声ではあるが叱り付けてくる。
同期で雇われたヤルミルだ。
腕は大して変わらないのに、男だってだけで、カルラよりも三年も先に第一厨房に入ったのは憎らしいが、料理人で最初から普通に接してくれたのはヤルミルだけだった。
彼もまた雇われた当初は小僧だった。
王宮の厨房は上流階級の人間がほとんどで、優秀ではあったが彼は貧乏な家の出身であったために、城に入ることもできなかった。
それがカルラと同じように、差別の撤廃で雇われた。
付き合いが長い分、気心の知れた親友といっても過言ではない。
青春時代は、睡眠時間さえ抜けば、一日の大半を男社会の厨房で過ごせば、自然と昔ながらの女友達とは距離ができている。
「(だって、アイツ!)」
「(だってじゃねぇ!相手は貴族じゃねぇけど、護衛がつくほどの人間だぞ、庶子の俺らの首なんて、一発で飛ぶんだぞ!!)」
「っ!」
早口で言われて自分のしでかしたことを察した。
彼女の一言で、王宮料理人を辞めさせられる可能性もあるのだ。
さっ、とカルラの顔が青ざめた。
それも長くは続かず、奥歯をかみ締めた。
カルラの瞳には燃えるような決意が浮かんでいる。
「(でも、アタイは、この厨房で実力もないやつが立つなんてヤだよ!)」
「(それは、そうだが…お前さ、相手が……)」
ヤルミルは何か言いかけたが、首を横に振った。
料理長の説明が終わったようで「わかったわ~。よろしくねぇ、カルラさん」とこちらにリエが話しかけてきて、中断された。
「で、では料理は――え~…卵料理対決で、時間は四十分もあればよろしいでしょうか?」
試食の十分ほどと、その後始末の時間を足して、一時間ぐらい調理時間が少ないだけなら『王家の食卓』が昼食の準備に取り掛かって、なんとか間に合うであろう時間である。
幸い食事を提供する人数が『王城の胃袋』のように多いわけではない。
料理長だって、カルラの勝利を信じているのだ。
負けるわけにはいかない。
そもそも安全性のため、本来は厨房に他国の人間が入ることは許されていないが、護衛騎士の話だと、王から自由にさせるようにと命令されているようだ。
たった一晩で何があったのか、流離人は、よほど王の信頼を得ている様子だ。
意外と乗り気なリエの様子を伺いながら、料理長が恐る恐る告げる。
王家の要人が台所で、決闘だなんて前代未聞のことだ。
料理長が萎縮するものしかたないし、下手するとカルラが決闘を申し込んだことで監督不届きとして、職を失う可能性がある。旧体制のイシュルスならば、それだけで言葉どおりに首が飛んだ。
それでも止めないのは、第一厨房の長としてのプライドがあるからだろう。
いくら『王家の食卓』でカルラが下っ端でも、『王城の胃袋』で副料理長として最前線を経験してきた一流の料理人だ。
「かまいませんよぅ」
「アタイも」
とはいえ、決闘の開始は少し遅れた。
厨房が変わるということは、料理人にとって一大事である。
慣れ親しんだ厨房であるというだけで、カルラに十分有利だが、場所の把握している調理道具に、同じく慣れ親しんだ調味料。
料理長は少しでも公平であるようにと、彼女に調理道具の在り処や使い方、食材を説明している。
基本的な調味料である塩、砂糖、ワイン、オリーブオイル、チーズなど理解しているようだが、胡椒、グローブ、ミント等の香辛料はまちまちのようだ。
「あら、珍しい味ねぇ~」
調味料の説明を聞きながら、味見をしていたリエが声を上げた。
リエが口にしていたのは高級調味料であるワインビネガーであった。
『王城の胃袋』でも使われていたが、一般的にはまだまだ普及しているわけではない。
独特の酸味の利いた味の扱いが難しく、『王家の食卓』でもあまり使われていないぐらいだ。
流離人の彼女が知らなくて当然だが、この名誉ある厨房で料理を作ろうとしているのに、それすら知らないのかと――カルラは鼻で笑った。
同時に、それで王の提案で作られたあの料理が頭をよぎる。
何日も試行錯誤して、完成した後お褒めの言葉をいただいた『つし』と呼ばれるものである。
カルラの作るべき料理は決定した。
それが終えると、カルラはヤルミルを始めとする『王家の食卓』の料理人を審判員として選び、リエは自分の護衛をしていた騎士と、驚いた事に料理長を選んだ。
この場では味方ではなく中立であることは間違いないし、食神タイベルの敬虔なる信者である料理長は料理に関して、嘘をつくことはできない。
それを知ってか知らずか。
不利になるとは少しも思っていないようで、にこにこと、笑っている。
「最後は誰にいたしますか?誰か捕まえてきますけど」
さすがにヤルミルが誰か呼んできましょうかというニアンスで問うと、リエは首を横に振った。
「大丈夫ですぅ。呼べば来ますからぁ」
「は、呼ぶ?」
「あなた~。あなた~」
既婚者だったようで、愛らしさの増した声で呼んだのは夫のようだ。
流離人だとは思っていたが、まさか子供ではなく、母親のほうであったことも驚きだが、呼んだら夫が来ると信じて疑っていない様子が、さらに料理人たちを困惑させる。
「え、え~と、貴方の旦那様を呼べば、―――」
いいのでしょうか?とヤルミルが続けるより先に、物凄い勢いの足音が聞こえてくる。
まるで、廊下を暴れ牛か暴れ馬でも駆けてくるような音である。
それが、第一厨房の前で止まると、ばたーん、と開かれて、中年の男がデレデレとした表情で、リエを抱きしめた。
「呼んだか、ハニ~」
「「「「え、ええ~~~!!」」」」
旦那、本当に来たよ!と、厨房の悲鳴が今ひとつになった。
うっかり、カルラさえも悲鳴を上げる。
「そうなのぅ。私の料理を、た・べ・て」
「お願いされるまでもない。お前を食べるぞ」
「もぅ、料理よぉ」
「あはは、そうか。喜んで食べるぞ」
まるで新婚のようにいちゃいちゃしだした二人に、料理長が咳払いしてみせた。
どうやって呼ばれたことに気がついたのかは分からない。
流離人特有のものなのだろうか?
しかし首を振ってカルラは考えることをやめた。
今はそんな些事に気をとられている場合ではない。
目の前の料理対決がすべてである。
暫くして、廊下から厨房へ息を切らしたリエの旦那の護衛らしき騎士が登場した。
まるで、酔ったみたいに足元がふらふらしている。
「っ、負けた……一般人に…直線で引き離された」
荒い呼吸の合間に呟いていて、地面に倒れこんだが、料理人は騎士を邪魔にならない場所に移動させただけで、見向きもせずに、眼前の料理対決に意識を向けている。
第一厨房には微妙な熱が立ち込めていた。