PERFECT BLUE
「わたし」とは何か。
それはこれまでも、これからも考え続けるものだろう。
大学1年生。
パソコン演習の講義の初回、
『GHOST IN THE SHELL』を観た。
脳までも、ありとあらゆるものがネットに接続された世界。
ひとの意識は「ゴースト」と呼ばれている。
ひとの記憶とは曖昧なもの。
それをクラウドに補完できる可能性と、
それが時に改変される脅威。
最も、ひとの記憶の改変は現代でも普通に起こりうるものだけど。
わたしには刺激の強い作品だったのには変わりない。
アニメまでは当時追いかけなかったけれど、
『イノセンス』は繰り返し視聴していた。
それからだいぶ時が経ったある日。
『屍者の帝国』の映画ポスターに惹かれて映画を観た。
「魂の重さは21g」
それを構成するものは何か。
屍者は魂を持たない。
だけど、言葉によって魂に似たものを持ちうる可能性──フライデー。
作品に魅入られた。
原作と、『ハーモニー』『虐殺器官』を読んだ。
この人はまるで武器を持たずとも、
ずっと戦争をしているよう。
伊藤計劃。
まるで未来を生きているようなこの作者が、
既に死去していることを知った。
齢32歳、
「わたしはこの人より先を生きられるだろうか」
そうふと思った記憶があった。
シリーズで映画化された作品は全て観に行った。
『ハーモニー』では秩序に支配された世界では、ひとは意識との歪みで苦しむ様が。
最終的に「意識なんて無くしてしまえばいい」。
主人公たちが選んだのが意識のハーモニクスであったこと。
どこか共感を覚えた。
『虐殺器官』はまるでこれからの世界を予見しているようだった。
「虐殺の文法」
言葉が持つ力に感じいるものがあった。
言葉は時に暴力的である。
ルールさえ見つけてしまえば、
それが社会を容易に支配できてしまう。
またある時は『空の境界』に魅せられた。
両儀式という個の中に存在していた両儀性──
「式」と「織」。
似たような側面があることを、
わたしはずっと感じていた。
実はPERFECT BLUEは観ていません




