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静かな才女は言い訳をしない〜理不尽に捨てられたので、辺境で信頼を積み上げます〜  作者: 九葉(くずは)


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12/12

第12話 静かな始まり

王都を去ってから、数ヶ月が経った。

窓の外では、ゼムスの街に初めての雪が舞っている。

薄く積もった白銀が、夕闇の中で新調された街灯の光を反射していた。


私は最後の一枚の書類に判を押し、深く息を吐いた。

冬の防寒対策予算、執行完了。

これで、この街の誰もが凍えることなく年を越せる。


「リュシア。根を詰めるなと言っただろう」


隣の席で、カイルが自分の机を片付けながら苦笑していた。

彼はコートを羽織り、マフラーを巻き直す。


「終わりました。これでようやく、一息つけます」

「それなら、少し歩かないか。新設した三番通りの街灯、まだ最終確認をしていなかっただろう」


カイルの誘いは、至極真っ当な提案に聞こえた。

私は頷き、厚手のウールコートを手に取る。

マリアが以前「似合うはずです」と勧めてくれた、落ち着いた紺色のコートだ。


役所の玄関を出ると、冷たい空気が頬を刺した。

吐き出す息が白く濁る。


「……静かですね」


私は隣を歩くカイルに視線を向けた。

街灯の光に照らされた彼の横顔は、出会った頃よりも険しさが取れている。

合理主義の塊のような男。

けれど今の私には、その裏側にある不器用な誠実さがよく見えた。


「王都の新聞は読んだか?」


カイルが前を見据えたまま、低い声で問いかけてきた。

私は歩調を緩めずに答える。


「ええ。アルヴァ家は不当な利益供与の罪で爵位返上。私の実家……エルフォード家も、債務超過で屋敷を手放したそうですね」


その事実を口にしても、私の心は凪いだ湖のように静かだった。

かつて私を「噂」という檻に閉じ込めた人々は、自らが撒いた種によって自滅した。

同情も、ましてや歓喜もない。

ただ、正しく計算された因果が、正しく着地した。

それだけの感想しかなかった。


「……そうか。なら、もう君を縛るものは何もないな」


カイルが足を止めた。

三番通りの突き当たり。

そこは街を一望できる、少し小高い丘のようになっていた。

新しく設置された魔法銀の街灯が、私たちの周囲を柔らかな光で包み込んでいる。


カイルが私の方へ向き直った。

彼の耳が少しだけ赤いのは、寒さのせいだけだろうか。

彼は珍しく言葉を選んでいるようで、視線がわずかに彷徨っていた。


「リュシア。私はかつて、王都の腐敗に絶望してここへ来た。数字こそが正義で、感情は不純物だと信じていた」

「……私も、そう思っていました。感情は判断を狂わせるだけだと」


「ああ。だが、君と出会って気づいた。不純物のない完璧な数字を積み上げた先に、何を願うか。それは、極めて個人的で、感情的なものなんだ」


カイルが、私の目をごまかさずに見つめてきた。

彼の瞳には、ランプの光よりも強い、確かな意志が宿っていた。


「私は、この街の未来を君と一緒に描きたい。……主査としての君が必要なだけじゃない。私は、リュシア・エルフォードという女性を……一人の男として、誰よりも信頼し、好いている」


雪の降る音が聞こえるほど、周囲は静まり返っていた。

告白。

それは、合理的でもなければ、計算されたものでもない。

けれど、私の胸の奥に、かつての研究事故では決して起きなかった種類の熱が広がっていく。


信頼は、与え続けた結果として得られるもの。

私は、彼に何を与えてこれただろうか。

そして、彼は私に何を与えてくれただろうか。


「……私の計算に、間違いはありませんでした」


私は少しだけ微笑んだ。

カイルが、意外そうな顔をして眉を上げる。


「ここへ来た日、私はあなたを『信頼できるパートナー』だと判断しました。その予測は、今、確信に変わりました」


私は一歩、彼の方へ歩み寄った。

冷たい空気の中で、彼の手が私の指先に触れる。

拒む理由は、どこにもなかった。


「私も……カイル。あなたの隣にいる時間が、私にとって最も効率的で、何より幸福な時間だと気づいています」


カイルの顔が、一気に綻んだ。

彼は私の手を、壊れ物を扱うように優しく、けれど強く握りしめた。

それは、王都での「所有」としての婚約とは全く違う、魂の同意だった。


【ナレーション】

(静かな才女は、ようやく自分を定義する最後のピースを見つけ出した。それは他人の評価でも、家名でもなく、自らの意志で選び取った「愛」という名の信頼であった)


しばらく二人の時間を楽しんでいたとき。

役所の方から、馬の駆ける急ぎの音が聞こえてきた。

雪を蹴立てて現れたのは、長官の伝令官だ。


「カイル主査! リュシア主査! お二人に緊急の報告です!」


伝令官は、肩を上下させて息を切らしていた。

彼の顔には、隠しようのない緊張が走っている。


「隣国との国境沿い……北西の森で、大規模な魔導汚染の兆候が見つかりました。住民に避難勧告を出す必要があります。長官が、即急に被害予測と物資の分配計算を求めています!」


温かな空気は、一瞬で引き締まった職務の緊張感へと置き換わった。

カイルと私は、同時に手を離し、前を見据える。


「汚染の規模は?」

「範囲は三マイル、拡散速度は時速五百ヤードと推測されます!」


私は脳内で、即座にゼムスの地図を広げた。

備蓄物資の移動時間、避難経路のキャパシティ、魔導防壁の維持コスト。

数字が、滝のように思考を駆け巡る。


「……カイル。三十分で予測モデルを組みます」

「分かった。私は警備隊と輸送馬車の手配に回る。役所に戻るぞ」


私たちは、雪の降り積もる坂道を駆け下り始めた。

先ほどまでの甘い余韻は、もうない。

けれど、私たちの足並みは完璧に揃っていた。


王都での噂、裏切り、そして名誉。

それら全てを通り過ぎて、私は今、自分の能力を捧げるべき本当の戦場に立っている。


静かな才女は、夜の街を駆け抜ける。

その隣には、共に未来を歩む相棒がいる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
面白いはずなのに、ナレーションが入ることで没入出来ません。勿体ないです。ナレーションだけ、登場人物に振るわけにはいかないのでしょうか?
読了後、『静かなる快進撃』という言葉が浮かびました。一仕事終える度に周囲の人々に認められ空気が変わっていくのが、ハイレベルなチェスを見ているようで心地よかったです。 素敵な物語をありがとうございました…
楽しく読ませて頂きました。 ただ途中に入るナレーションが物語を断ち切ってしまうように思えました。 文章も読みやすく話も面白く人物も魅力的なのにちょっと残念で個人的にはナレーションは要らないかと。 …
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