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静かな才女は言い訳をしない〜理不尽に捨てられたので、辺境で信頼を積み上げます〜  作者: 九葉(くずは)


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第11話 視線が変わる瞬間

夕闇がゼムスの街を包み始める。

私はマリアを連れて、中央広場へと足を運んでいた。

今日から、予算再編の第一成果である「新型街灯」の稼働が始まる。


「……リュシアさん、見てください。あんなにたくさんの人が集まっています」


隣を歩くマリアが、少し興奮した様子で声を上げた。

広場には、点灯を一目見ようと多くの市民が集まっている。

一ヶ月前、私が初めてこの街に降り立ったとき。

人々は私を見て、「爆弾令嬢が来た」と石を投げるような視線を送っていた。

今は違う。

彼らの視線には、期待と、そして明らかな敬意が混ざっている。


カチン、と小さな音が響く。

定刻になり、魔法銀の芯に魔力が供給された。

街灯が一斉に、柔らかな白い光を放つ。

従来の黄色い光よりも明るく、それでいて魔力消費は抑えられている。


「わあ……明るい!」

「これなら夜道も怖くないわね」


市民たちの歓声が、冬の冷たい空気に溶けていく。

私は手元の記録帳に、点灯の安定性と照度の数値を書き込んだ。

予定通りの出力だ。


「リュシア・エルフォード様ですね」


不意に、背後から声をかけられた。

振り返ると、恰幅のいい男性が立っている。

広場で果物屋を営んでいる店主だ。

私が着任したばかりの頃、役所へ苦情を言いに来て、私の顔を見るなり逃げ出した男だ。


「はい。街灯の具合はいかがでしょうか」

「最高ですよ。おかげで閉店時間を一時間延ばせそうだ。……あの、これは、その。つまらないものですが」


彼は照れくさそうに、紙袋を差し出してきた。

中には、蜜の詰まった大きな林檎がいくつも入っている。


「いつも助かっています。あんた、王都では色々言われてたみたいだが、俺たちはあんたの計算を信じてる。あんたが来てから、この街は本当に良くなった」


男はそれだけ言うと、脱帽して一礼し、足早に去っていった。

私は重みのある紙袋を見つめ、少しだけ目を瞬かせた。


「……リュシアさん、驚いてます?」


マリアがクスクスと笑いながら顔を覗き込んできた。


「知っていますか? 今、街の皆さんはあなたのことを『賢者』って呼んでいるんですよ。爆弾なんて言葉、もう誰も使いません」

「賢者、ですか。大袈裟ですね。私はただ、数字を整理しただけです」

「その『だけ』が、誰にもできなかったことなんですよ」


マリアの言葉は、確信に満ちていた。

彼女の視線もまた、出会った頃の恐怖や警戒は一切消え、温かな信頼に塗り替えられている。


【ナレーション】

(辺境都市ゼムスにおけるリュシアの評価は、もはや一過性の噂ではなく、生活の改善という実感を伴った確固たるものとなっていた。社会的な再定義は、彼女の知らないところで完遂されつつあったのである)


役所に戻ると、カイルが私の席の横で一通の書状を持って待っていた。

彼の表情は、どこか晴れやかで、同時に少しだけ呆れたような色を帯びている。


「リュシア。王都から『正式な』報せだ」


彼から渡されたのは、王立学院の公印が押された特級親書だった。

セドリックや父からの私信ではない。

国の機関が発行した、公的な文書だ。


私は封を切り、中身を確認した。


『一ヶ月前の研究事故に関し、再調査の結果、リュシア・エルフォード氏の計算に過失はなかったことが判明した。事故の原因は納品業者の不正による触媒の不純物混入であり、当時の学院側の判断には重大な手続き上の誤りがあった。ここに氏の名誉を回復し、多大なる不利益を強いたことを深く陳謝する』


文書には、私の「危険思想」という嫌疑を全面的に否定する文言が並んでいた。

かつてあれほど欲しかった、白日の下の潔白。

事務局長が目を逸らし、セドリックが沈黙した、あの日の絶望に対する回答。


「……そうですか」


私は一通り読み終えると、それを事務的な処理済み書類の山の一番下へ置いた。


「驚かないのか? 王都が公式に君の無実を認めたんだ。君を貶めた噂は、これで完全に消滅する」

「事実は最初から分かっていましたから。認めるのが一ヶ月遅かった、というだけのことです」


私の淡々とした反応に、カイルは堪えきれないといった様子で吹き出した。


「君らしいな。王都の連中は今頃、君を呼び戻すための口実を必死に考えているはずだ。名誉を返せば、君が喜んで戻ってくると思っているんだろう」

「戻りません。私の価値を、噂や他人の承認でしか測れない場所に、私の居場所はありませんから」


私は計算盤を引き寄せ、明日の物流計画の頁を開いた。

王都から届いた名誉の回復。

それは、私にとってはもう、済んだ計算の余りのようなものだ。

重要度は低い。


「カイル。名誉回復の文書ですが、役所の掲示板にでも貼っておいてください。街の皆さんが安心する材料にはなるでしょう」

「掲示板か。王立学院の謝罪文をそんな扱いにした人間は、歴史上君だけだろうな」


カイルは可笑しそうに肩を揺らし、その文書を預かった。

彼の指先が、私の指に微かに触れる。

その瞬間、私の胸の中に、数字では説明できない小さな温かさが生まれた。


【ナレーション】

(名誉とは、誰かに与えられるものではなく、自分自身の手で守り抜くものである。リュシアは、辺境という不遇の地でそれを証明してみせた。彼女の戦いは、今、ひとつの区切りを迎えようとしていた)


「……よし。計算を続けましょう。街灯の稼働で浮いた魔力予算を、次は冬の防寒対策に回せます」

「ああ。君の言う通りだ、リュシア」


私たちは並んで席に着いた。

窓の外、新調された街灯が、ゼムスの街を明るく照らし出している。

人々の視線が変わるとき。

それは、かつて私を閉じ込めていた冷たい檻が、完全に消滅したときでもあった。


私は、もう二度と過去を振り返ることはない。

私の前には、私が描き出した、確かな数字の未来が広がっているのだから。

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