No.96「詫びる」
伍の国、郊外の屋敷。現実世界。
「……」
無言で目を覚ましたのはヒユだった。
固い床の上、毛布を跳ね除けて上体を起こす。
なんとなく分かってはいた。詳しい真相は知らなかったし、兄貴は基本自分のことは話してくれないし……。
ヒユは何かを隠していることくらいは察していたのだ。
だが、あんなことがあったなんて。
……どんな顔をして兄貴に会えばいいんだ、コレ。
ヒユは沈黙のまま思考を巡らせ、冷や汗を流す。
黒幕はゼニスだった。その事実も含め、合わせる顔がない。
「さあ、みんな! 目覚めの時間よ!」
思考を遮るようにルリが唐突に現れ、ヒユの隣で寝ていたアナナスを叩き起こした。
「相変わらず急に現れやがって」
「おっはよ~」
驚いて飛び起きたアナナスの怒号にも、ルリは緩く挨拶を返すのみだ。
「それよりどう? ご感想は?」
凪たちも目を覚まし、上体を起こし始めていた。そんな中、ルリは平然とヒユへ問う。
そこへ、扉が開く音がした。
シロホンがウミリンゴに頼まれた酒を土産として持ち帰り、部屋に入ってきたのだ。
「ウミリンゴの奴、まだ来てねーのか」
ぼやきながら入室したシロホンを見て、ヒユは思わず声を上げる。
「げっ」
「おかえりー」
笑顔を作るルリとは対照的に、凪や辛、爪戯たちは気まずそうに冷や汗をかいていた。
「いや……あの……別にお前の過去、なんて……」
「なんだよ、言いたいことがあるなら、はっきり言え」
口ごもるヒユに、シロホンは苛立ちを含んだ声をぶつける。
その重苦しい空気を、一人の悪魔が切り裂いた。
「お前って童貞じゃないんだ!?」
直球な感想を言い放ったのはティーだ。
その場の全員の背筋が凍る。
「お前はデリカシーなさすぎだろ!!」
「お前がはっきり言えって言ったんじゃん!!」
ドゴッ、と鈍い音が響く。
シロホンは手に持っていた酒の箱で、迷いなくティーの頬を殴りつけた。
「あ~暴力木琴命やろう~いつか殺す!」
「あほだ」
頬をさすりながら床に転がり悪態をつくティーに、爪戯が冷静に突っ込みを入れる。
「ちょっと待てお前、まさかアレまで見せたのか!?」
「うん☆」
シロホンがルリを指さして問いただすが、ルリは元気よく朗らかに肯定した。
ヒユの冷や汗は量を増すばかりだ。シロホンは、六年前のゼニスの話までは見られていないと思っていたらしい。
「はあ!?」
「本当の敵が誰なのか……ちゃんと示してあげないとって思って」
シロホンの怒号をルリは緩く受け流す。
ティーは床に転がり、アナナスが心配そうに覗き込み、爪戯と凪はあたふたし、ヒユは必死に目線を逸らしている。
辛だけは、何か思うところがあるような表情を浮かべていた。
「いつまでも『オレのせい』とかなんとかいって、ヒユ君にわざと恨まれ続けるでしょ?」
ルリは右手の人差し指をシロホンに向ける。
シロホンは無言で聞き入った。
「でも大丈夫! アレなシーンの詳しい部分はきちんとカットしたので安心安全!」
「恐れを知らないってのは気楽でいいな!」
ルリは左手で拳を作って頭にコツンとあて、右手は開いて横に置くポーズをとる。
シロホンは呆れ交じりに吐き捨てた。
「あの……知らなかったとは言え、私軽率なことを……」
凪がおずおずと謝罪した。
シロホンが再構築で裸身を晒した際、「ありがとうございます」と言ってしまったこと。ゼニスに辱められた過去を知らず、軽率な発言をしたことを悔いていたのだ。
シロホンは遠くを見ながら口を開く。
「いや、まあ……別にオレは気にしていない。というか、オレに限っては気を遣う必要ない」
過去は乗り越えた。
気を遣う必要はない、それがシロホンの本心だ。
「ヤナギなんて、知ってて軽率な発言してくるしな」
シロホンはため息をつく。
宿にてヤナギは『女の子に手を出すなよ~』『Aさんもキミもそうなんでしょ?』と言っていた。
Aさんとはアヴェルスのことである。アヴェルスとシロホンは簡単に女の子に手を出すのだろうと、あの少年は冗談めかして言っていたのだ。
「トマト少年、酷い……」
凪は素直な感想を漏らす。
あの少年に倫理観を問うこと自体が間違いなのかもしれない。
「じゃあ遠慮はいらないな! このブラコッ……」
言いかけたところで、再び酒箱がティーの顔面にヒットした。
「気を遣うなと言ったのはお前……」
「お前は例外だ」
ティーは器用に箱をキャッチしたが、扱いの差は歴然だ。
そんな二人を爪戯は呆れた様子で見守っていた。
「……」
騒がしい中、ヒユはずっと黙ったままだった。
「で? ヒユ君は言うことある?」
「……」
ルリがヒユに問いかけ、言葉を促す。
「正直……何を言ったらいいのか分からない」
ヒユは床を見つめながら言った。
シロホンは弟の方へ顔を向けるが、ヒユは目線を合わせようとしない。
「私も事情分かってて責めたことあるし、人間そんなもんでしょ」
凪が腕を組みながら、彼女なりにフォローを入れる。
「……能力を使った理由とか、何も分かってなかった。分かろうともしなかった。何も知らないのに一方的に責めた」
ヒユは幼い頃、路地裏で一方的に兄を責めた記憶を反芻していた。
「……責めたことについては謝る」
ヒユは意を決し、顔を上げる。
兄シロホンの顔を正面から見た。
「べき……かな……と、思……」
言いかけた言葉が尻すぼみになる。
シロホンの視線が、あからさまに天井の方へ逸らされていたからだ。
「なんだよその顔」
「お前がオレに謝るとか……気持ち悪い」
シロホンは左手を前に出し、拒絶するような仕草を見せる。
何とも言えない、嫌そうな表情だ。
こいつ……!
ヒユは心の中で毒づく。
意を決して謝罪したのに、「気持ち悪い」と言われて傷つかないわけがない。
もっとも、普段のヒユはシロホンに日常的に悪態をついているのだが。
シロホンはため息をついて口を開いた。
「言っておくが、あいつにトドメを刺したのはオレだ。その事実に変わりはない」
死にかけていたとはいえ、あかねにトドメを刺したのは事実だ。
「攻撃を仕掛けたのは神だし……どのみち、あの状態からじゃ助からなかったんだろ?」
ヒユは前のめりになって反論する。
「それにゼニスって奴が元凶で……一番悪いのはあいつだろ?」
「だとしても自分だけが生き残る方を取った。オレに非がない訳じゃない。良いからお前はそのままでいろ。謝ったりするな、調子狂う」
シロホンが淡々と答える。
「自分だけが生きる方を取った……弟の為に。弟の為に!!」
横からティーがここぞとばかりに茶々を入れた。
ヒユが即座に「そこまで言ってない」と突っ込む。
「いや、別にこいつの為に生きてるわけじゃない。オレが生きる目的の為に弟を利用しているだけだ」
「やっぱブラコンじゃねーか」
ティーは酒箱を持ったまま笑う。
シロホンが無言で歩み寄る。
そして、殴られた。
「あ゛ー!!」
ティーの悲鳴が屋敷に木霊した。
「ってか何で今頃になって真相を教えたんですか?」
「なんとなく?」
アナナスの問いに、ルリは適当に答える。
「……ねえ、そのゼニスって人悪魔なんだよね?」
ふと、凪が疑問を投げかけた。
「うん! 元階級『Z』の人」
「悪魔で『死神』──……」
「死神? 悪魔なのに神?」
爪戯が目を丸くして聞く。凪も首を傾げた。
ルリは説明を続ける。
「そう! 悪魔だけど唯一『神』って名の付く呼ばれ方をしてるの。でもちゃんと『マナ』を持つから悪魔だよ」
この世界の定義では、能力を発動させる源である『マナ』を持つ者を悪魔と呼ぶ。
死神もまた、悪魔の一種だ。オッドアイという身体的特徴を持つ。
「でも『神』って付くせいかな? 裏切者が多いのもこの種類の特徴かも」
ルリがさらりと付け加えた。
六年前、裏切った悪魔。それは死神だった。
「裏切り……?」
爪戯が呟き、凪は目を丸くする。
後ろでは、ティーが持っている箱を見て「ってかこれ何」と聞き、シロホンが「酒だ」と短く答えていた。
「神側についているってこと! 悪魔と言っても全員がうちらの味方ではないし、神だからと言って全てが敵とは限らない」
ゼニスのように裏切る悪魔がいる一方で、蝶神のように友好的な神もいる。
「でも基本構図は『悪魔』対『神』に変わりないけどね!」
ルリは笑顔で締めくくった。
「なるほど」
爪戯と凪は納得したように頷く。
凪は「じゃあ蝶神さんは大丈夫ってことかな?」と考えていた。
爪戯は、ふと辛の方を見る。
今回も辛は全然話していない。いつものことか、と思いかけたが、様子が違った。
辛は沈黙したまま、明らかに動揺していたのだ。
「?」
爪戯は友人の異変に、怪訝そうに首を傾げた。




