No.95「救血Ⅷ」
路地裏。
「なんで殺したの?」
ヒユには、あかねの最期の言葉は届いていない。
当然、殺したのは兄だと思い込んでいる。
「噛みついてたよね?」
ヒユの追及に、シロホンは言い返せない。
事実に変わりはないからだ。
「『悪魔』ってのは知ってたけど、『吸血鬼』だったんだね」
「……」
ヒユは、兄が頑なに能力について話したがらなかった理由を悟った。
「吸血鬼って不死になれるけど、誰かの血を飲まないといけないんだよね?」
ヒユは確認するように問う。
「あの人の血を奪ってまで、生き残りたかったの?」
ヒユはシロホンを見つめ、訴える。
どこか、嘘であって欲しいと願うように。
けれど、シロホンから返ってきた言葉は冷徹だった。
「ああ……そうだ」
シロホンもヒユを見据えて言い返す。
ヒユは冗談ではないと知り、より深い絶望に突き落とされた。
「この能力は一度でも使えば不死になる。その代わりに他者の血が必要……」
何も感じないわけじゃない。
それでもやはりオレは……弟を選ぶ──……。
シロホンは罪悪感を押し殺し、淡々と告げる。
「そして血は……定期的に摂取する必要がある。怠れば意思に反して他者を襲う」
オレの生き延びた理由はお前だから──……。
シロホンは生き延びた。
それは他ならぬ弟ヒユを守るため。
だからこそ、ヒユに能力の代償の恐ろしさを警告するように言った。
「使わねーよ」
ヒユは吐き捨てるように答えた。
「お前とは同じにならない」
ヒユの拒絶を、シロホンは静かに受け入れた。
それでいい……お前はそのままいろ……。
ヒユには吸血鬼としての呪われた力を使って欲しくない。
ただ、その一心だった。
◇
今から六年前のとある日──……。
高級宿の一室にて。
意識を取り戻したシロホンは、異様な状況に息を呑んだ。
薄暗い部屋。
彼は上半身を裸にされ、ベッドの上で両腕を頭上に引き上げられ、頑丈な拘束具で戒められていた。
「コレハナンダ!?」
シロホンは慌てて叫び、身をよじった。
常に冷徹な彼が、珍しく狼狽している。
すると、闇の奥からくすくすと笑う声が聞こえた。
「あいつのことは嫌いだけど、言ってることには賛同するね。
うろたえる姿は見てて楽しい」
影から姿を現したのは、美しい女だった。
艶やかな金髪。
そして瞳は、右が黒、左が白という不気味なオッドアイ。
彼女はベッドに上がり、シロホンの腹の上に跨った。
声神を殺し、その力を奪った本家の死神――ゼニスだ。
「ゼニス……え……お前……何……だ?」
シロホンは状況が理解できず、瞬きを繰り返した。
なぜ自分がここにいるのか、なぜ彼女がここにいるのか。
死神ゼニス(Z)は、愛おしそうにシロホンの頬に手を当て、口を開く。
「実はずっと前からお前のことが好きで~」
「はあ!?」
唐突すぎる告白に、シロホンはただ驚愕するばかりだ。
「お前が『X』についたときからずっと」
「初耳……」
ゼニスは語る。
シロホンが『X』の階級を得たその日から、ずっと密かに想いを募らせ、影から見つめていたのだと。
その瞳には、常軌を逸した執着の光が宿っていた。
「以来ずっと私はひっそりこっそり見てきたわけ、なのに……あの女」
ゼニスは木の陰からあかねがシロホンに近づく様を見ていた。
それを思い出し、憎々しげに言う。
シロホンの背筋に冷たいものが走る。
「あの少女を殺すように嗾けたのは私……」
ゼニスは微笑みながら、決定的な事実を告げた。
シロホンの身体が強張る。
それは、彼の過去にある最大のトラウマ。守れなかった少女の死。
ゼニスはシロホンの顔に自らの顔を近づけ、甘い声で囁く。
「あとは分かるかな?」
「お前が……」
シロホンの目が見開かれる。
運命だと思っていた悲劇は、すべて彼女が仕組んだ狂愛のシナリオだった。
ゼニスは神にわざとあかねを襲わせるために、虚偽の情報を流したのだ。
「あははっ」
ゼニスは楽しそうに笑う。
「……で、お前はオレをどうしたいんだ?」
シロホンには、今の状況と昔の出来事がどう繋がるのか、混乱で思考が追いつかない。
ただ一つ分かるのは、目の前の女が狂っているということだけだ。
「あはは? 実は昔……取引してある女の望みを叶えてやったの。
それを思い出して私もやってみようかなって」
ゼニスは恍惚とした表情で答える。
その指先が、シロホンの胸板を這う。
「今日で色々終わりそーだから、此処を去る前に貰って行こうかなって」
ゼニスは不敵な笑みを浮かべたまま言った。
そして少し体を倒し、シロホンの唇に触れんばかりの距離でさらに告げる。
「私の能力は知ってるね? 身体の自由は利かないぞっ?」
ゼニスの能力は、かつての声神と同じ『声』による拘束や操作。
だが、本物を殺して奪ったその力は、以前より遥かに強力で凶悪になっていた。
シロホンの顔色が変わる。
冷や汗が流れ、端整な顔が絶望に曇る。
ゼニスは滑らかな動作で右手を下ろし、シロホンのズボンのベルトへと指をかけた。
「こんなことをして、お前はそれでいいのかよ」
シロホンが声を絞り出すように問う。
ゼニスは慈母のように、しかし残酷に微笑んだまま答える。
「構わない。
お前が堕ちればそれで良い」
シロホンは抵抗しようと必死に足掻いた。
けれど、言葉の呪縛にかかった身体には力が入らない。
拘束を解くこともできず、ただ無意味にシーツを握りしめるだけ。
「あはははは」
ゼニスの狂った笑い声だけが、密室に響く。
カチャリ、とベルトが外される音がした。
「あ……」
シロホンの瞳から光が消え、絶望だけが残った。
「あはは、ははははははは」
◇
あの後、アヴェルス達が駆けつけ、ゼニスは逃亡した。
その事実は、後になってシロホンに知らされた。
シロホンは凌辱され、部屋の隅でうなだれていた。
抜け殻のようになった彼を、アヴェルスが見つめていた。
こういう時、普通はなんていうんだ? 普通が分からん。
「あ~……」
アヴェルスなりにフォローをしようと試みる。
金属生成でナイフを作り出し、構えた。
「シロホン! この剣でオレを好きにして!!」
「!?」
シロホンは思わず顔を上げてアヴェルスを見た。
アヴェルスは涙ながらに懇願した。
「あ~違う! なんか茶化したみたいになってしまったじゃん~! あ~あ~」
アヴェルスはナイフを放り投げ、床を転がる。
「らしくないな」
「仕方ねーの、普通が分からねーの」
グサッ。
落ちてきたナイフが、アヴェルスの頭に見事に刺さった。
「だからさ、何が言いたかったのかっていうと
お前のストレスの捌け口に、オレを使って良いんだよって。
ほらオレ死なないから~! 殴って良いんですよ? 血が出るまで殴って! いや殴れ!!」
アヴェルスは頭にナイフが刺さったまま床に平伏し、必死に懇願した。
シロホンはその滑稽で必死な姿を、黙って見つめた。
そして──……
「らしくないのはオレか……正直あんな女に屈した自分に嫌気がさしてたんだが、あの女……必ず殺してやる」
シロホンの眼に、微かに光が戻る。
復讐という名の、生きる意志。
そして、守るべきものの存在。
生きる目的──弟だ。
「オレはまだ戦える」
シロホンは低く、自分に言い聞かせるように言った。
「心配かけたな、オレは平気だ。まあ……せいぜい今後もその血を提供してくれ」
シロホンはアヴェルスと視線を合わせずに、強がりを言い放った。
アヴェルスは頭のナイフを抜き、パァっと顔を輝かせて口を開く。
「え? 心配かけてすまない。アヴェルス様のおかげで元気出ました! 血まで提供していただきありがとうございます。……だって!?」
「言ってねえ!!」
そこまでは言ってない、と必死に否定するシロホンと、ニヤニヤするアヴェルス。
そこへ、モドキの慌てた声が聞こえた。
「シロホン大変だよ! ヒユ君が~」
「はあ? また何かやらかしたのか!?」
成長したヒユは、度々問題を起こしてはシロホンが尻拭いをしていた。
弟の世話を焼く日常が、彼を現実に繋ぎ止める。
これがシロホンの過去。
救うのは他者の血液──。




