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半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】  作者: 神野あさぎ
救血

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No.89「救血Ⅱ」

 少年の意識は、夢現のまま過去を漂っていた。

 トイピアノや木琴が転がる部屋の中に、幼い頃の自分がいる。


 母の言葉が蘇る。


『この能力は、一度でも使えば人でなくなる……だから使ってはいけない』


 優しく頭を撫でてくれた、あの温かい手はもうない。


 少年はハッと意識を取り戻す。

 知らない天井、知らない部屋のベッドの上。

 上体を起こすと、傍らにはアヴェルスが座っていた。


 左頬にはガーゼ。

 左腕には包帯が巻かれている。


 少年は、失ったはずの自身の左腕を確かめるように袖を捲る。

 そこには、傷跡こそあれど確かに腕が存在していた。


「……? オレは確か……」


 少年が掠れた声で呟く。

 敵によって左腕を切断され、致命傷を負ったはずだ。


「悪いな少年。オレが駆けつけるのが遅れたせいで──……」


 アヴェルスは沈痛な面持ちで、少年に詫びた。

 救援が遅れたこと。そしてもう一つ。


「……まだ息のあったお前に、オレの血を飲ませて強引に能力を使わせた──……」


 吸血鬼としての能力を強制的に覚醒させた事実を告げる。

 少年の目が見開かれ、冷や汗が頬を伝う。


「初の能力発動で、血の量も少なめだったから……まだ多少の傷が残っているが、そのうち完治するだろう」


「な、ん、で……」


 アヴェルスの言葉に、少年は震えながら問う。

 包帯やガーゼの下の傷が癒えるのは時間の問題だとしても、失った人間性は戻らない。


「お前の両親は生きてなかった、残ったのはお前と──……」


 アヴェルスが言いかけたその時、扉が開き、少女の姿をしたモドキが入ってきた。

 その腕には赤子──少年の弟が抱かれている。


「おお! 良かった! 目が覚めたんだ~!!」

「……!?」


 少年は目を丸くした。

 モドキとは面識があるが、以前会った時は奇妙な球体だったからだ。

 アヴェルスが「これが本来の姿だ」と短く説明する。


「君の弟も無事だよ!」


 赤子を抱いたモドキが歩み寄る。

 そして壊れ物を扱うように、赤子を少年へと手渡した。

 少年は大事そうに抱え、弟の顔を覗き込む。

 けれど、その表情は硬く強張っていた。


(それ)の面倒を見るのはお前の役目だ」

「……」


 アヴェルスの言葉に、少年は沈黙で答える。


「大丈夫! おれらも支援するから!」

「え~」

「え~じゃないよ!!」


 モドキが支援を申し出るが、アヴェルスが即座に嫌そうな顔をする。

 少年は依然として沈黙を保ったまま、じっと弟を見つめていた。

 そんな少年の姿を、アヴェルスは静かに見守っていた。


 数日が経った。

 隠れ家は、切り立った崖の近くにあった。


 少年はベッドの上に座り込んでいた。

 サイドテーブルには、血液の入った袋とコップが置かれている。


 アヴェルスが様子を見に部屋を訪れた。

 扉を半分開け、顔を出す。


「なんだ……()()飲んでないのか」

「要らない」


 アヴェルスの言葉を、少年は即座に遮った。


「必要ない」


 そう言い捨て、左手の親指を強く噛む。表面に赤が滲む。

 痩せ我慢をしているのは明白だった。


「意地を張っても無駄だぞ? 死を覆したその身体は、代償を払い続けなければいけない。我慢しても無駄だ」


 アヴェルスが諭すように言う。少年の目が見開かれる。

 アヴェルスは冷静に、警告を続けた。


「その衝動は抑えられない」


 それでも少年は拒絶した。


「なんと言われようともオレは……嫌だ」


 そう言い、顔を伏せる。


「オレはちょっと出かけてくる。血、飲んでおけよ。取り返しのつかないことになる前に」


 アヴェルスは低く言い放つと踵を返し、部屋を出ていった。

 扉の閉まる音が重く響く。


 少年は顔を伏せたまま、内から湧き上がる衝動に抗おうとした。


 あんなこと望んでない……。


 脳裏に浮かぶのは、敵の腕から血を啜っていたアヴェルスの姿。

 あんな風になりたくない。飲みたいとなんて望んでいない。


 ……なのに……。


 理性の否定とは裏腹に、どす黒い渇望が湧き上がる。


 血が……。

 血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が血が


 血が欲しい。


 思考は塗りつぶされ、それしか浮かばなくなっていた。

 気が付けば、少年はふらふらと夢遊病者のように歩き出していた。


 別の部屋では、少女の姿のモドキが赤子を抱き、目を伏せて優しい鼻歌を歌っていた。

 少年が背後から、音もなく忍び寄る。

 ゆっくりと、獲物を狙う獣のように。


 そしてモドキの背を捉え、飛びかかった。

 血が欲しい、ただその一心で。

 モドキは驚いて振り返り、少年の異様な瞳を見て冷や汗をかく。


 その時、赤子が火がついたように泣き出した。

 産声のようなその響きに、少年はハッとして正気を取り戻す。


 少年は弾かれたように踵を返し、部屋を飛び出した。


「待って!!」


 モドキが叫ぶが、少年は止まらない。

 そのまま家の外へと駆け出して行った。


 何故、あんな……身体が勝手に──……。


 少年は荒い息で外を走りながら考える。

 脳裏にはアヴェルスの言葉がリフレインしていた。


『我慢しても無駄だ』


 その言葉の意味を、骨の髄まで理解させられた。

 自分がどんなに我慢をしても、本能には勝てない。


 このままではオレが殺してしまう……。


 我慢の果てに理性を失えば、誰かを見境なく襲うだろう。

 その最初の標的が、弟になってしまうかもしれない。

 それが理解できたからこそ、少年は絶望した。


 少年は崖の上に立つ。

 迷いなく地面から足を離し、虚空へと身を投げた。


 アヴェルスが出先から帰宅する途中だった。

 肩には鞄を背負っている。

 そこへ、モドキの呼び出した小さなシャチが泳ぎ寄り、緊急事態を告げる。

 報告を聞くや否や、アヴェルスは崖下へと疾走した。


 崖下。

 少年の身体は砕け、鮮血で地面が赤く染まっていた。


 不死身のことは分かっている。

 こんなことをしても無意味だと──……。


 少年は薄れゆく意識の中でそう思いながら、土を握りしめる。

 そして、ぐちゃぐちゃになった身体を無理やり起こす。


 それでも、悪い夢か何かだと思いたかった……。


 少年の抱いた、あまりにも儚い希望。

 その震える背中を、アヴェルスは見下ろしていた。


「死なないんじゃない、死ねないんだ……諦めろ。これが現実だ」


 アヴェルスが静かに告げる。

 少年は頭から血を流しながら、ゆっくりと振り返った。

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