No.86「話は別」
玖の国。
鬱蒼とした原生林が広がり、遠景には雄大な山々が聳え立つ。
古式ゆかしい和風建築の外廊下にて、機械仕掛けの耳と、額に逆五芒星を持つ男──竜神リューが一人、佇んでいた。
その手には食パンが握られており、和の空間との強烈なミスマッチさが、彼の異質さを浮き彫りにしている。
「う~ん。死んだか~」
リューは遠く離れた地での撃神の死を感知し、軽く呟く。
「それよりあっちの方はまだ終わらないのかな?」
パンを無造作に頬張りながら、思考を巡らせる。
その最中、ふとある気配を察知した。
ん? この感じは……。
リューが考えに耽っていると、横を雨神レインが通りかかった。
「キミも働きなよ」
レインはそう言い捨て、目的の場所へと向かおうとする。
だが、その表情は晴れない。
リューはパンを飲み込み、レインの微細な表情の変化を汲み取った。
「う~ん? 何を思い悩んでいるの?」
「いや……別に」
「言えよ」
逡巡するレインに対し、リューは冷徹に言い放つ。
レインは観念したように口を開いた。
「憶測なんだけど、水神の奴……禁を犯した……だと思う」
水神ウルに口止めされていることを思い出しつつ、レインは右手を口元に当てて声を潜める。
リューは黙って耳を傾けた。
「この場合、奴を処罰すべきなのか、どうなのかなと。蛇神はそれが原因で殺されたわけだし……でもまだ推測でしかないし……」
レインは確証がない段階での処罰に迷っていた。
かつて蛇神も禁を犯し、処罰として殺されたという前例があるからだ。
「あ~そういえば、表向きはそういうことになってたね」
「……?」
リューの言葉に、レインは首を傾げる。
表向きの事情は禁を犯したこと。ならば、裏の事情とは一体何なのか。
「いや……待てよ。もしかしたら──……」
リューの脳裏に、ある可能性が閃く。
水神ウルに直接問いただすべき事案が出来た。
「とりあえず、この件は保留にしておいて!」
「え? 何処に行くつもり」
リューは足早に歩きだす。
レインが制止しようとするが、彼は振り向きもしない。
「一仕事、してくる」
リューは右手を挙げて一言だけ告げ、そのまま去っていった。
◇
伍の国、王都内の屋敷。
一行は撃神のシンを回収し、無事に戻っていた。
「はあ……役に立てなかった」
バルコニーのテーブルに膝をつき、額の前で手を組んだ爪戯が、深い溜息をつく。
「辛君解放の為に、敵を引き付けてくれたじゃん?」
向かいに座る凪が、紅茶を啜りながらフォローを入れる。
「その後がね……」
「それ言ったら私も……」
二人は辛の解放には貢献した。
けれど、その直後の撃神との戦闘では為す術もなかった。
二人の間に、少し重い沈黙が流れる。
「勝ったから良いんだよ! 元気出せよお前ら!!」
バルコニーの柵の近くで、モドキが骨付き肉を頬張りながら明るく言い放つ。
尻尾をご機嫌に揺らしている。
その傍らで、辛が身を屈めてモドキの生態を観察していた。
辛は相変わらず無言で、表情にも変化はない。
「でもやっぱもっと動けたらなあ」
凪は頬杖をつきながら零す。
撃神に対し、囮とはいえ短剣で挑んだが、容易くあしらわれた。
その無力さを悔いているのだ。
「『呪い』で強化するとか? 一朝一夕で身体能力アップだよ!」
凪の後ろをアナナスが通り過ぎざまに提案する。
手にはタンドリーチキンの乗った皿。モドキのお代わりだ。
「あ……今回はありがとう。そしてあの時はごめんなさい」
「……?」
凪は振り返り、感謝と謝罪を同時に口にした。
アナナスは一瞬首を傾げたが、すぐに理解する。
「ああ、解呪しようとしたらナイフで刺された時の?」
かつてアナナスは凪に短剣で右手を刺されたことがある。
アナナスは解呪しようとしただけなのだが、挙動不審だったために凪が反射的に刺してしまった一件だ。
「気にしないで。あの時はこっちが悪かったんだし」
「すみません……」
アナナスの言葉に、凪は再度頭を下げる。
「ところで、さっき強化がどうとか……」
爪戯が話を戻した。
「そのままの意味だよ。呪いの能力を込めた媒介を持つことで、身体能力に補正をかけるの」
アナナスが説明する。
呪い系の能力には媒介が必要だが、それを利用して自身に強化・弱化の補正をかけられるのだ。
「速く動けたりするんだけど。その分身体への負担もあるけどね。不死身な吸血鬼辺りはその欠点も補えるんだけど」
アナナスはバルコニーの床に皿を置いた。
モドキが鼻歌交じりに近寄っていく。
辛はその一連の動作を目で追っていた。
「あとは呪いと同じような能力『音』もあるけど……術者は『音』を奏でる必要があって、効果を受ける方は『音』を聞く必要があるの」
シンによる『音』の能力もまた、バフ・デバフの補正が可能だ。
しかし、演奏しなければならないという手間がある。
「あ゛~もう!!」
突如、どこからともなくティーの叫び声が響いた。
「Xを連想させることを言うな!!」
屋根の上から顔を出し、キセルを咥えたティーが憤慨している。
爪戯は「次から次へと」と小さく呟き、頭上のティーを見上げた。
「会った時からオレのことをB呼ばわりしやがって」
「B? あれ、あんたTじゃ……」
ティーは腰から翼を生やし、滑空して降りてきながら愚痴を零す。
爪戯がすかさずツッコミを入れた。
「階名がTiで音名がBだから。と言うか」
モドキはチキンを貪りながら解説する。
Tiはドレミの「シ」。
英語音名で言えば「B」になる。
「そもそも……昔悪魔の中で階級って言うか、序列みたいなの? そう言うのがあって……Aが一番下でZが一番上みたいな~」
モドキは上機嫌で補足した。
「つまり?」
凪が問う。
「下から二番目って、からかわれてるんだよ。言わせんな! そりゃオレは奴の劣化しか出来ん……」
ティーはバルコニーに膝をつき、両手をついて項垂れた。
Aが最下位。Bはブービー賞だ。
「それで文字入れてんの?」
「そう! ご主人様は元『V』だよ!」
爪戯がモドキの額を指さして尋ね、モドキが得意げに答える。
ちなみにモドキは元『S』、アナナスは『A』、ヒユが『H』、ヤナギが『Y』、ウミリンゴが『U』、そしてシロホンが『X』。
「まあ、六年前に終わったことだけどね」
モドキは骨だけになったチキンを皿に戻し、言い放つ。
「で? 今回私らを差し置いて、メインに据えられてるそのお兄さんはどこ行ったの?」
「何その発言!」
凪が再び頬杖をついて問う。
爪戯がまたしてもツッコミを入れた。
背後でティーが「メインはオレだ!」と虚しく抗議していた。
一方、左頬にXの文字を持つ男──シロホン。
彼は屋敷の玄関前にて、通信符を強く握りしめていた。
『何でそっちに居るのよ!?』
通信符から怒号が響く。
ウミリンゴの声だ。
「うるせぇ……」
シロホンは鬱陶しそうに通信符を握りつぶした。
一陣の風が吹き抜け、木の葉を舞い上がらせる。
シロホンが立ち去ろうとした、その時。
背後から声がかかった。
「おい」
弟、ヒユだ。
シロホンは僅かに振り返る。
「お前、おれに言うことあるだろ!?」
「むしろお前の方があるだろ」
ヒユが叫べば、シロホンも即座に返す。
「助けろなんて言ってないし!」
「そっちじゃない……処分中に抜け出したお前を、一発ぶん殴ってやろうと思ってたが、まあいい」
ヒユもシロホンも、互いに素直さの欠片もない。
「じゃなくて! シャチモドキが言ったんだよ。お前が初めて能力を使ったのはあの時じゃないとか」
ヒユは牢屋でのモドキの言葉を問い詰める。
シロホンは一瞬、沈黙した。
「お前、他にも言ってないことあるんじゃないのか? あの時──……」
ヒユが食い下がろうとした時、シロホンが遮った。
「お前に話すことはない……」
シロホンはヒユを見ることなく、再び歩き出す。
「勝手に恨んでろ。そして、能力を使わずにいろ」
シロホンはそれだけを言い残し、去っていく。
ヒユはその背中を、複雑な表情で見つめていた。
バルコニーから、凪達がその光景を静かに目撃していた。




