No.85「敗れる」
撃神の脳裏を、走馬灯のように過去が駆け巡る。
正直……被験体を気の毒に思った──……。
無機質な実験室。
白い髪の少年が管に繋がれ、床に転がされていた。
黒髪の少年は左耳を押さえ、止めどなく血を流していた。
撃神はその光景を、ガラスの向こう側から見つめていた。
実験室の床の一部は、常に赤く染まっている。
可哀想……?
不意に思い出すのは、塩神と石神の後ろ姿だ。
墓の前に佇む二人の兄妹。
塩神は、恩人を悪魔に殺されたという。
それ以上に、悪魔に理不尽に命を奪われることの方が悲しいと、私は思った。
撃神は、名もなき被験体の痛みよりも、仲間の神の悲しみを汲み取ったのだ。
またある時の記憶。
実験室の床に転がっているのはルト。
そのルトに寄り添い震えているのはハル。
ルトは竜神リューに蹴り飛ばされ、血を吐いて倒れていた。
リューの足先には、ルトの血が付着している。
「処分決定だってさ」
冷たく言い渡したのは、竜神リュー。
「待って下さい……! その二人はまだ使えると思いますわ」
待ったをかけたのは撃神だった。
「昨日来たばかりだと聞きましたので、判断を下すのは早いかと──……」
「捕まってこんなところに入れられた、弱すぎるこいつらが悪い」
リューは振り返りもせず、背後から声をかけた撃神に言い返す。
そして、虫でも見るような目で二人を見下ろした。
「使えなければ即廃棄。成果を上げる見込みのないものを、飼い続ける必要はない」
「……」
弱ければ生きていけない。それがこの世界の掟。
撃神は僅かに思考し、そして口を開く。
「では……私に譲ってください。必要ないようですので、私がもらっても問題はないと思いますわ」
その言葉に、ハルの眼が見開かれた。
まさか自分たちを非人道的に扱っていた神々の中から、庇う者が現れるとは思ってもみなかったのだ。
「別に良いけどさ、代わりの材料を貢いでくれるのならね~」
リューはハルとルトを譲渡する条件として、実験体の代わりを要求した。
「代わりの……?」
撃神は俯き、復唱する。
「分かるよね? 今こうしている間にも、オレ達の仲間が悪魔に殺されている」
リューの言葉に、撃神は殺された同胞たちの顔を思い出す。
「悪魔だけじゃない、人はすぐに争うし──……それらすべてを無くす為にも、コレは必要なこと──……」
リューは右手を自身の胸に当てながら語る。
「殺されるような弱い奴が悪いとオレは思ってるけどね。でもそんな世界を変える義務があるんだよ」
リューは右手を下ろすと、撃神の瞳を覗き込むようにして言った。
「それを達成するためには、代償が必要……と?」
「うん。その為の尊い犠牲」
撃神はリューと目線を逸らす。
リューの狂気的な理屈に、ハルが冷や汗をかいていた。
「でも大丈夫。犠牲を無駄にはしない。必ず世界を救ってみせる」
って言ってた、と他人事のようにリューは小さく付け加え、そして──
「だからね、オレ達が立ち止まるわけにはいかないんだよ」
その言葉に、撃神の目が見開かれた。
そしてこの日から、撃神は実験体を集める為に人を捕らえ始めたのだ。
あの日救った部下を守るために、別の誰かを犠牲にして。
意識が現在に戻る。
鮮血が舞う中、瀕死の撃神は思う。
『アレ』を手に入れた今……私がこの世界を変えるのだと──……。
脳裏に浮かぶのは、今は亡きハルとルトの姿。
犠牲になった者の為……何より殺された部下の為にも──……。
撃神は最後の力を振り絞り、辛の方へ振り向く。
「何もせずには終われない!!」
右手を前に突き出し、残った全エネルギーを収束させる。
「此処に居る悪魔だけでも、葬って差し上げますわ!!」
撃神の絶叫。
辛の目が見開かれる。
「あいつまだ……!!」
見ていたヒユが声を上げる。
だが、シロホンは腕を組んだまま静観していた。
「いや、終わりだよ」
シャチの姿をしたモドキが、冷酷に言い放つ。
次の瞬間。
撃神の切り裂かれた腹部付近に、何かが強制転移された。
それは、先ほどモドキが噛み切り、飲み込んでいたシロホンの指だ。
シロホンの指──その爪に刻まれた『印』を起点に、急速に再構築された右手が、撃神の腹部から心臓を突き破っていた。
一突き。
な……に……が……?
撃神は何が起きたか理解できぬまま、どうと地に落ち、絶命した。
地に降り立ったモドキと辛は、その最期を静かに見下ろしていた。
戦場に静寂が訪れる。
モドキはマシュマロのような真ん丸なフォルムに戻り、シロホンのもとへ歩み寄る。
「お前自分の使えよ、沢山いるだろシャチみたいなのが!」
シロホンが低く文句を言う。
「この身体じゃ能力使うの微妙なんだって言ったじゃ~ん! というか利用できるものは利用しようかと思って~。それにちゃんとよろしく! って言ったし」
モドキは悪びれることなく言い放つ。
短い尻尾をご機嫌に振っていた。
「で、さっきの何?」
凪が目を丸くして尋ねる。
「シロホンの指っつーか爪、相手のところに喚起した」
「?」
モドキの説明に、凪は理解できず首を傾げた。
「あいつ、爪に『印』を仕込んでて……その『印』に向かって『マナ』を飛ばして身体を再構築したんだよ」
モドキの解説に、「流石に右手だけな」とシロホンが小さく付け加えた。
凪は記憶を辿る。
そう言えば此処に来るときも再構築してたっけ……?
そう、伍の国に来るためにシロホンは再構築を利用し、遠距離を一瞬で移動してきた。
そんなシロホンの爪には、常に『命』の印が刻まれていたのだ。
「ってかその爪、おしゃれのつもりなのかと思ってた」
凪が緩い顔で感想を漏らすと、モドキは不敵に微笑んだ。
辛はシロホンの再構築の瞬間を見ていないため、一人きょとんとしている。
シロホンは不服そうに沈黙した。
その横で、ヒユは気まずそうに顔を背けた。
ヒユの右腕にもまた、『命』の文字が刻まれているからだ。
アナナスはそんなヒユの様子を見て、微笑ましそうにした。
「気絶してたのかああああ」
その時、爪戯が頭を抱えて絶叫し、目を覚ました。
「センスおかしいもんな!!」
ティーはキセルを咥えた状態で、腹を抱えて笑い出す。
「頭の羽、むしるぞ」
ティーの嘲笑に、シロホンが苛立ちを露わにして返した。
◇
屋敷、地下室。
そこに現れたのは、鮫神。
「ったく……玖の国にいるって聞いてわざわざ出向いたというのに……撃神の奴が先に回収してるとはな」
鮫神の独り言を聞く影があった。
撃神が手に入れた『アレ』である。
「しかもそのことを隠しやがって、おかげで苦労したんだぜ?」
『アレ』とは、人だ。
拘束服を着せられ、座り込んでいるその人物に鮫神は語り掛ける。
「ってな訳で、一緒に来てもらうぜ、燦秋」
燦秋と呼ばれた男は、不敵な笑みを浮かべた。
「良いよ。ちゃんと対価を払えるならね」




