No.78「札と印」
伍の国、郊外。
「……」
ティーは無言で、青く細い管を口に咥えていた。
キセルのような形状をしたそれは、彼にとって生命線とも呼べる代物だ。
「来たか──……」
ティーは風に乗って運ばれてきた微かな音を拾い、そう呟いた。
◇
都市部の喧騒から離れ、草木が生い茂る獣道を行く。
土を踏みしめる音が、静寂の中に響いていた。
「で、その悪魔の人が──……」
凪がシロホンへ事の経緯を伝えていた。
「ティーか」
シロホンは足を止めることなく、前を向いたまま応じる。
その横を、モドキの放ったシャチが空中を遊泳していた。
この案内役が、捕らわれた四人の居場所を示している。
「首輪? みたいなのがついてて。モドキが解放しようとしたんだけど、そいつ一度逃げて──……」
爪戯が補足する。
首輪さえ破壊すれば解決するはずの状況で、ティーは逃亡を選んだ。その不可解さが拭えない。
「大方、薬でも握られたんだろ」
「薬?」
シロホンの指摘に、爪戯が眉を寄せる。
ティーには、ある理由から身体機能を維持するための薬が必要不可欠なのだ。
「ってか、捕まえてどうする気なんだろう? 奴隷化とか?」
「さあ」
凪が疑問を口にするが、答えは出ない。
敵の目的が読めないまま、一行は歩を進める。
その時だった。
ドサッ、と鈍い音が響く。
「わっ!?」
「!?」
凪が何もないところで盛大に転倒した。
爪戯が驚いて目を見開く。
シロホンは前方で足を止めたが、振り返りはしない。
「……」
凪は地面に這いつくばったまま固まり、爪戯は無言でそれを見下ろした。
「……おい、何してんだよ」
爪戯が呆れたように言う。
「いや、あの……足が──……」
凪は足首に纏わりつく違和感に気づく。
上体を起こし、足元へ視線を落とした。
「これ……札……?」
いつの間にか、足に一枚の札が貼り付いていた。
爪戯の表情が一変する。
敵の気配だ。
シロホンも前方で完全に静止した。
次の瞬間、大量の札が空中を舞った。
「な……何!?」
凪が叫ぶ。
シロホンは腕を組んだまま動じない。
「呪い……媒介『札』ってところだな。数枚程度なら剥がせばいい」
シロホンが低く告げる。
爪戯は舞い散る札の軌道を目で追っていた。
「ハハハ」
三人の頭上、木の上に敵──ルトが潜んでいた。
その袖口からは、無尽蔵に札が溢れ出している。
「動けなくしてやるよ」
ルトの言葉と共に、札の嵐が襲い掛かる。
シロホンは右手を無造作に振り抜き、迫りくる札を払い落とした。
「!?」
ルトの眼が見開かれる。
本来であれば、札に触れた時点で呪いが発動し、動きが制限されるはずだからだ。
だが、シロホンの動きは止まらない。
「お前ら、先に行け。札にはあまり触るなよ」
シロホンは背後の爪戯と凪へ指示を飛ばした。
二人は短く頷き、その場を駆け抜ける。
「……」
シロホンは沈黙を守ったまま、二人を見送った。
媒介は『札』。
札を介して能力を発動させる。
触れたのに何故動ける……?
ルトは思考を巡らせる。
それなら数を増やして……!
先ほどよりも大量の札を袖から放つ。
シロホンへ白雪の如く札が降り注ぐ。
しかし、そのどれもが彼に貼りつくことなく、無力化されて地面へと落ちていく。
落ちた札には、いつの間にか『命』の鏡文字が印として刻まれていた。
「……!?」
札が貼れない……?
というより、能力が上書きされている?
ルトは困惑の中で目を見開き、そして気づく。
自身の武器である札に、別の術式が描かれていることに。
「悪いが……オレの方が相性は有利だ──……」
シロホンの能力の一つは呪い、媒介『印』。
触れた箇所に『印』をつけ、その『印』の種類によって効果を付与する。
そして、シロホンにとって触れる対象は生物に限らない。
宿での神襲撃時には、足で地面に『印』をつけ、爪戯と真白を守る結界とした。
そして今回は、身体に触れようとした『札』そのものに『印』を刻んだのだ。
触れた『札』に即座に『印』を上書きし、相手の支配権を奪う。
シロホンが木の上にいるルトへ歩み寄ろうとした、その時。
何処からともなく、ティーの歌声が響き渡った。
「!!」
歌か……。
旋律がシロホンの鼓膜を揺らす。
ティーか……。
ルトもティーの介入に気づく。
シロホンの後方、死角となる位置でティーが歌っていた。
強制的な睡魔がシロホンを襲う。
完全に意識と動きを封じられる寸前、シロホンは左手で『木』の生成を行った。
出現したのは、鋭利な木の板。
迷うことなく、その板が彼自身の頭を貫いた。
鮮血が飛び散り、視界を赤く染め上げる。
「何を……!?」
シロホンの理解不能な自殺行為に、ルトが愕然とする。
だが、彼は忘れていた。
眼前の男が不死身であることを。
完全に動きを封じられる前に、自分で自分を殺し──……
一度「死」を経由することで、状態異常をリセットしたのか……!
ティーが冷静に分析し、戦慄する。
シロホンのもう一つの能力と、悪魔『吸血鬼』としての不死性を利用した荒業。
死ねば、眠りというデバフも解除される。
地面を赤で染め上げ、蘇ったシロホンはその地を強く蹴った。
瞬きする間に、背後のティーへと肉薄する。
「……!!」
ティーの眼が、驚愕に見開かれた。




