No.76「音能力」
頭上から垂直に突き立つような蝙蝠の羽を持つ男。
その左頬にはガーゼが貼られ、首には武骨な枷が嵌められていた。
腰には小物入れのポーチを提げている。
せっかくの自由時間が……
男は楽しめなくなったとばかりに肩を落とした。
「言っておくが、これは生まれつきのもので──……」
男は、自身の羽に視線を向けていた凪に対して口を開く。
凪は小さくすみませんと謝罪しつつも、その目は丸く見開かれたままだった。
隣に立つ辛は無言を貫いている。
男は一瞬、その場の空気に固まった。
「あのー……?」
凪が男の反応を不思議に思った、その時だ。
「あ~! ティー君!」
モドキの声が響く。
いつの間にか、額に植え付けられていた青い触角は外れていた。
「ティー君じゃん! おひさ~!」
モドキは口元に食べ物の欠片を付着させたまま、親しげに歩み寄る。
その後ろには爪戯が続いていた。
「何? あんたの知り合い? ってことは悪魔?」
凪が問う。
「そう! 悪魔『蝙蝠』ってやつでな。頭に変な羽が生えてるのが特徴で、奴の名はティー!」
「変なっていうな!」
モドキの紹介に対し、男──ティーは即座に食って掛かった。
「へーお茶さん」
爪戯が目を丸くしながら言い放つ。
「Teaじゃんくて、Tiだから!!」
ティーは右手の指で空中をなぞり、文字を描くように動かして訂正した。
飲料のTeaではなく、別の意味を持つTi。
発音こそ同じだが、意味するものは異なる。
辛は脳内で連想する。
Ti……元素記号、チタンか。
「ん? あれ? その首輪は──……」
不意に、モドキがティーの首にある枷に気づき声を上げた。
ティーは悔しげに歯噛みする。
直後、彼は腰のあたりから能力による翼を展開し、地を蹴って空へと舞い上がった。
「!?」
凪が驚愕に目を見開く。
「あ! ちょっと!!」
モドキは空を駆けるティーを見上げて声を張り上げた。
「なんで逃げるんだよ!! おれが解放するのに!!」
モドキは叫びながら駆けだした。
「ま……待って!!」
凪が手を伸ばすが、事態は既に動き出している。
「追いかけるよ?」
「あ、はい」
爪戯が促し、凪もまた駆け出す。
辛も既に走り出していた。
モドキを追いながら、辛は金属生成で短剣を作り出し、凪へと手渡す。
凪はまたしても武器を紛失したことを申し訳なく思いつつ、それを受け取り懐へと忍ばせた。
そんな一行を監視する二つの影があった。
「仕事だよ~」
その影は、上空のティーに届く声量で呟いた。
ティーの聴覚は常軌を逸して鋭い。
その呟きを正確に拾い、彼は再び歯噛みした。
街から少し離れた場所まで来たところで、一行は足を止める。
「ねえ、あの首輪に何かあるの?」
凪は呼吸を整え、モドキへ問うた。
「アレは能力で出来たもので、他人を従えさせることが出来る物。つけられた者はつけた者の従者になる。主従関係ってことだよ」
モドキは緩い表情ながらも、眉を顰めて説明する。
辛と爪戯は周囲への警戒を怠らない。
「まあ、呪い系の能力だから、あの首輪が媒介となって支配力が発動してる」
「破壊すればいいのね」
モドキの言葉に、凪は納得した表情で応じた。
呪い系の能力には必ず媒介が存在する。
その媒介、あるいは術者を無力化できれば解決するはずだ。
「そう、でも自分では壊せないから、こっちで壊してあげないと……なんだけど」
モドキが口ごもる。
「あれ? じゃあなんで逃げた?」
「うん、だからもしかしたら──……」
爪戯が核心を突いた。
首輪をモドキたちが破壊すれば解決する話だ。
だが、ティーは逃亡を選んだ。
そこには別の理由がある。
「あ、いた!」
モドキの視線の先。
ティーが空から舞い降りてくる。
すっと一呼吸おいて、ティーは歌いだした。
歌……?
凪が目を見開く。
その瞬間、全身の力が抜け落ちていく感覚に襲われた。
マズい……歌のせいで既に──……。
モドキは地に伏しながらも、必死に思考を巡らせる。
能力『音』。媒介は『声帯』。
発せられた音を聞いた対象に、様々な効果をもたらす能力だ。
今回の場合、歌を聞いたことによって強制的に身体の自由を奪われた。
強烈な睡魔がいざなう。
少しでも動けるうちに──……。
モドキは残る力を振り絞り、自身の身体から小さなシャチを二匹ほど『召喚喚起』で呼び出した。
意識が遠のいていく。
直後、鈍く濡れたような音が鳴ると同時に、モドキは何者かに踏みつけられた。
一行を監視していた影──ティーに指示を出した二人組だ。
名はルト、そしてハル。
「捕獲完了」
ルトの宣言と共に歌声は止み、凪達は抗えぬ眠りにつき地面に転がった。
「さて」
ルトが短く口を開く。
彼は何枚かの札をばらまき、踏みつけていたモドキを掴み上げた。
意識を失った凪と爪戯のもとへ、モドキの放った小さなシャチが忍び寄る。
次の瞬間、二人の姿はシャチと共に消失した。
一方、ばらまかれた札が辛の身体を包み込んでいた。
「消えた!?」
「……」
ルトの眼が見開かれる。
「そこの丸い奴の能力で移動させたんだよ」
ティーが淡々と告げる。
何とか二人は逃がせたってところか──……。
ティーは心中で独りごちた。
「まあいい、二匹だけでも連れていく」
ルトがそう言うと、札に包まれた辛は重力を無視して宙に浮き、運ばれていく。
その手にはモドキが握られている。
ティーはただ、それに従い歩を進めるだけだ。
その一部始終を、木の陰から覗く第三者がいた。
右眼を眼帯で覆った、黒ずくめの男である。




