No.73「戯け話」
伍の国。
この世界で最も科学技術が発展した国であり、和の国・玖とは一線を画す近代的な景観が広がる。
爪戯は、辛に面影の似た少女──ルリに案内されながら、屋敷の廊下を歩いていた。
「いや~驚かせたのなら、ごめんごめん。シャチモドキさんいるでしょ? その仲間なの!」
「は…はあ……」
ルリは爪戯の前を弾むような足取りで歩きながら言う。
「他の負傷者は、別のが見つけてすでに治療を受けてるよ」
「別のって言い方……」
ルリは医療設備のある部屋の前で足を止めた。
「きみの手当てもするね!」
ルリがそう言い、扉を開く。
「あ」
部屋の中に居たのは、ウミリンゴだった。
思わず声が出る。
「ウミさん大丈夫?」
「ええ……私は。でもシュンランが──……」
ベッドに腰掛けるウミリンゴへ、ルリが明るく声をかけるが、その表情は暗い。
ウミリンゴの右肩には、厚く包帯が巻かれていた。
「神……許さない」
ウミリンゴは目を細め、憎悪を露わにする。
それを見て、爪戯は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「なんか、申し訳ない」
「何で、あんたが謝るのよ」
「いや、あいつらの目的がこっちだったわけだし」
「確かに……あんた達を釣る手段に、私の下僕が使われたわね」
爪戯は言葉を失う。
玄とレイン、ウルの目的は、辛を釣り出し凪と接触することだった。
そのための駒として、ウミリンゴの眷属が無残に殺されたのだ。
「でも悪いのはあいつらでしょ。あんたの兄さんだって──……」
ウミリンゴの言う通りだ。
全ての元凶は神側にある。
ルリは慣れた手つきで消毒液などを準備していた。
「って!! 連れて来なくて良かったの!?」
爪戯は兄・爪雲の遺体を回収できなかったことを悔やむ。
「あの状況で兄も兄も、なんて言うのもね……」
緊迫した撤退戦だった。自分たちが生き残るだけで精一杯の状況で、遺体の回収まで要求するのは酷だ。
「まあ、職業上? 死は覚悟の上って言うか……薄情なのも否定はしないけど」
爪戯は自嘲気味に頬をかく。
爪戯の一族は殺し屋を生業としている。死と隣り合わせの日常だ。
ウミリンゴは冷や汗を流しながら、気まずそうに口を開く。
「……あんたの姉兄には、悪いことをしたわね。ごめんなさい」
ウミリンゴはかつて、爪戯の姉・爪嵐と兄・爪雲を眷属の鬼へと変えた張本人だ。
その結果、彼らは神に殺された。
彼女なりのけじめとして、謝罪を口にした。
「なんて……今更謝って済む話でもないけど」
ウミリンゴの言葉に、爪戯は返す言葉が見つからず、沈黙を選んだ。
ルリが近づいてくる。
「後でこっちで探して回収しておくね!」
「は……はあ、どうも」
ルリの手にはガーゼなどが握られていた。
あまりに軽い調子に、爪戯は小さく返すことしかできない。
「そうだったのか~それはおれも悪いことしちゃったな~」
すると、どこからともなく聞き覚えのある声がした。
ウミリンゴの座っているベッドの下、その引き出しがスルスルと開く。
そこには、モドキが『ましゅまろモード』でぴったりと収まっていた。
「そこに居たの」
爪戯は目を丸くして呆れる。
「慌てて逃げ込んだから、少々みんなをバラバラに出現させてしまったぜ! それも含めて謝罪~」
モドキは悪びれもせず緩く言った。
「じゃあ、私はこれで! シュンランのところに行くわ」
ウミリンゴはそう言い残し、足早に部屋を立ち去った。
「なんでそこに居たの」
爪戯はモドキがベッドの下の引き出しに潜んでいた理由を追及した。
「ご主人様を庭の近く──柵の近くに落としてしまって……」
◇
少し時間を遡る。
伍の国への転移直後。
「ふう……危なかったぜ~」
モドキは伍の国に着くや否や、燃費の悪い真の姿からましゅまろモードに戻った。
その隣では、アヴェルスが地面に頭から激突し、盛大に血を流して倒れていた。
すぐ横には植え込みがあり、黒く鋭利な柵で囲まれている。
「おい」
地獄の底から響くような一言に、モドキはビクついて振り返る。
「どうせ落とすなら、柵の、尖った部分に刺さるように落とせよな!!」
「えええ!?」
アヴェルスは額を鮮血で染めたまま顔を上げた。
そしてゆらりと立ち上がる。
「罰としてその肉をハムに換えてやる」
「ひえっ……でも本当に落としたら、落としたで怒るでしょ?」
モドキは大量の冷や汗を吹きだす。
「落としてたら褒美に焼べてやる」
「ヒエッ!」
◇
現在。
「こうしておれは、命からがら逃げてきたってわけだ」
モドキはげんなりした顔で語る。
尻尾もしょんぼりと下を向いてしまっている。
「あの人ドエムなの? ドエスなの?」
爪戯はモドキの心労を察しつつも、純粋な疑問を口にした。
「知るかあんな奴のことなんて!! いつもいつも虐めやがって!!」
モドキは憤慨し、叫んだ。
「楽しそうですね?」
「!!!!!」
扉の隙間から、アヴェルスが顔を覗かせていた。
モドキの冷や汗が滝のように流れる。
「ごごごごごごしゅ……」
「今オレ機嫌悪いんだ~あとは分かるかな?」
アヴェルスは満面の笑みで言った。
けれど表情と声色が全く一致していない。
極めて機嫌が悪いのだ。
直後、モドキの絶叫が屋敷に木霊した。
モドキはとてもじゃないが人に見せられないような姿に変形させられたという。
「Aさん、虐めてばかりは駄目だよ?」
ルリは爪戯の手当てを続けながら、諭すように言った。
「オレは悪くない。あの泣き黒子が生きているのが悪い」
アヴェルスは『泣き黒子』──ウルのことを思い出し、憎々しげに吐き捨てた。
「そういや、あの人とは兄弟?」
爪戯は当然の疑問を口にする。
アヴェルスとウルは、容姿が瓜二つだ。
「死にたい」
アヴェルスは一言だけ答え、死んだように床へ倒れこんだ。
否定も肯定もしないその態度。
爪戯は冷や汗をかく。
一方、モドキは好機! とばかりに尻尾をピンと立てた。
「なんですかソレ~!! 不死身ギャグですか~!?」
完全復活したモドキは、倒れたアヴェルスの上で跳ねながら煽る。
アヴェルスは不死身だ。死にたくても死ねない。
「笑えないわ~」
そう言いつつも大爆笑しながら、モドキは執拗にアヴェルスを踏みつける。
次の瞬間、アヴェルスは無造作にモドキを蹴り飛ばした。
ぷにっと小さく間抜けな音が鳴り、モドキが床に転がる。
「もう!! ご主人様嫌い!! 嫌い嫌い、大嫌い!!」
モドキは体勢を立て直し、抗議の声を上げる。
「いつもいつも、おれを虐めやがって! おれの扱い酷すぎ!! ごはんはレタスだけの日が続いたりするし!! 大体なんなんだ、その触角は!! かっこいいと思ってんのか!?」
モドキの口撃は、アヴェルスのアホ毛へと飛び火した。
額から伸びる二本の触角のような癖毛。
「虫か!? 虫なのか、お前はよーーっ!!」
「……」
アヴェルスは無言のまま起き上がり、モドキの罵倒を聞いていた。
「聞いてる!? ねえ!!」
モドキは叫び続ける。
アヴェルスは右手で金属生成を行った。
──作り出したのは、鋭利な鋏。
「っ! ハサミ!?」
モドキの眼が見開かれる。
「おおおおれは、そんなものには屈しない!」
モドキは冷や汗を大量に吹き出しながらも、必死に虚勢を張った。
アヴェルスは躊躇なく、自らの二本のアホ毛を根本からまとめて切り落とした。
「!?」
爪戯は目を丸くし、ルリは適当な笑顔を浮かべている。
しばしの沈黙が空間を支配する。
モドキの冷や汗だけが、床を濡らしていた。
「これで満足か?」
アヴェルスは爽やかな笑顔で、切りとった自分の髪の毛を握りしめ、そして──
「すみませんでし……」
謝罪しようとしたモドキの額に、それを突き刺した。
「たっ!?」
モドキの白く緩い身体に、二本の青い触角が生えた。
「わ~似合う~」
アヴェルスはモドキを指さし、心底楽しそうに笑った。
モドキは小刻みに震えた。
そして、魂の叫びを上げる。
「ああああああああ~!」
絶叫は虚しく屋敷に響き渡った。
その頃、別室では凪が静かに眠っていた。
◇
おまけ。
「切っちゃって良かったの!?」
爪戯は目を丸くし、アヴェルスに恐る恐る尋ねる。
「生えるまで針金でも刺しておくから問題なし」
アヴェルスは平然と言い放ち、二本の針金を自身の頭皮にブスリと刺した。
「えっ」
爪戯はアヴェルスの常軌を逸した行動に、ただただ戦慄するしかなかった。




