No.70「召喚起」
少し離れた木の上から戦場を俯瞰していたレインは、ある疑念を抱いた。
水神……兄弟なんていたのか……?
でも加勢に来たあいつらは悪魔──……ん?
レインは辛達の援軍を見ながら思考を巡らせる。
そこには一つの明確な矛盾があった。
駆けつけた存在は悪魔だ。
けれど、ウルは神であり、悪魔ではない。
しかし、駆けつけた男は、ウルと瓜二つの容姿をしている。
なら彼の存在は一体……。
しかし、ボクはどうするかな……加勢に入っても邪魔だと言われそうだし。
向こうはまだかかるのかな?
向こうとは玄のことである。
◇
辛は激痛に耐えながらも、沈黙を守っていた。
「大丈夫なの? 加勢する?」
爪戯は冷や汗を流しながら、モドキに問う。
「どうかな……かつての仲間はあいつに殺されたけど……」
「!?」
モドキの答えに、爪戯が驚愕する。
ましゅまろモードの緩い顔をしているが、その眉間には深い皺が刻まれていた。
「割って入らない方が良いと思う」
アヴェルス達を見据えながらモドキが言う。
視線の先では、アヴェルスがウルに頭を地に押し付けられ、身体の自由を奪われていた。
「頑張るねえ……嫌いな言葉だが」
アヴェルスは拘束されながらも顔を上げ、皮肉な笑みで言った。
ウルは、微かな殺気を察知する。
直後、ウルの胸板を魔女の槍が突如として貫いた。
魔女の能力『召喚喚起』を内包した槍。
空間を無視し、心臓を貫く位置に直接出現させたのだ。
ウルの眼が見開かれ、思わず後退る。
「お前を殺すために、少しは努力している」
一瞬の隙をついてアヴェルスは体を起こし、バックステップで距離を取る。
──……ダメか。
頭蓋を狙ったはずだが、寸前で心臓へとかわされた。
「ああ、やっぱりこの槍に使われているのは『魔女』の方か」
ウルの胸から血が滴り落ちる。
地面を少しずつ赤く染め上げていく。
「いや~良いですよ貫かれるのは。この快感を分けてあげたい」
ウルは突き刺さった槍を愛おしそうに左手で撫でながら、恍惚とした表情で右手を頬に当てた。
「あいつ嫌い」
ウミリンゴはウルを見ながら、露骨な嫌悪感を顕わにする。
一方、モドキは終始冷や汗を流していた。
モドキ──魔女の能力は、空気中の水分を媒介にして出現位置を指定する。
召喚喚起を応用し、肉体に魔物を呼び出したり、空間転移を行ったりする。
一度訪れた場所なら、遠く離れていてもその場に物質を呼び出せる。
この時、座標指定のアンカーとして機能するのが、その場の空気中に含まれる水分だ。
空気中の水分を微量に集め、その水分子を起点に能力を発動させる。
ゆえに、最強の水使いであるウル相手では、正確な位置に出現させられない。
ウルに水分子を操作され、座標をずらされてしまうのだ。
「自分のマナは使ってないの?」
ウルは槍が刺さったまま、アヴェルスへ問う。
発動原理はどういう仕組みなのだろうか。
ウルはそんな研究者めいた興味で聞いた。
「マナはシンと違って基本的に共存不可なんで」
シンはオリジナル以外なら複数所持できる。
けれどマナは基本的に一人一つが原則だ。
武器に付与するにも、吸血鬼と魔女、両方のマナを同時に使うことはできない。
アヴェルスは右手をわずかに動かす。
槍を遠隔操作しようとする予備動作。
それをウルは逃さず見つめる。
「あれ? 使わないの?」
「……」
アヴェルスは動きを止めた。
不意打ちじゃなきゃ使いづらいな。
そう判断した。
槍が動くと悟られれば、ウルに水分子を操作され、あさっての方向へ槍を転移させられてしまうリスクがある。
「呼び出す位置を変えられるのが嫌? しょうがないなあ」
ウルは右手で雑に槍を引き抜いた。
傷口から血が噴き出すが、意に介さない。
「ほら返すよ」
そしてゴミでも捨てるように放り投げた。
アヴェルスの視線が槍に向いた、その一瞬。
死角となる地面から氷柱が突出し、アヴェルスの腹を貫いた。
「ところで分かってる?」
ウルは掌から水を生成しながら言い放つ。
「後ろ」
ウルの一言に、アヴェルスが眉を顰める。
今、アヴェルスの射線上には辛達がいる。
ウルは大量の水を一気に解放し、局所的な津波を引き起こした。
質量を持った激流が、敵味方関係なく全員を襲う。
爪戯とウミリンゴの目が見開かれる。
モドキは押し黙ったまま。何かを決断した。
あたり一帯を濁流が呑み込む。
巨木さえも流され、地形が変わるほどの破壊力だ。
「ったく、下手すると巻き込んでるよ」
少し離れた高所に居たレインのもとにも水飛沫が届いていた。
レインは水を避けながら呆れて呟く。
「あれ!?」
爪戯とウミリンゴの眼が驚愕に丸くなった。
辛の腹に刺さっていた氷は、根元から砕かれている。
それを成したのは、シャチの魔物の顕現だ。
「本当に無茶苦茶しやがる」
空中を優雅に泳ぐのは、翼の生えたシャチ。
そしてその背には、黒く長い髪の美しい少女が立っていた。
「人も物も大事にしろよな!」
少女が凛とした声で言い放つ。
少女──モドキだ。
彼女はさらに大量の小さなシャチを召喚し、辛たちを背に乗せて空中に退避させていた。
「誰!?」
爪戯が思わず叫んだ。
「シャチモドキの本体よ」
「えっ……え!?」
ウミリンゴが説明するが、爪戯の混乱は収まらない。
「訳あってこの姿で居られる時間があまりなくてね。凪ちゃんたち察知してみたんだけど……見つからなくて。この子らの力を借りた探索に切り替えるのと、あの二人の戦いを避ける為にも数が必要かなと」
モドキは別の空飛ぶシャチに飛び乗りながら言う。
「でも数を増やすには、あの身体では能力の処理が追いつかないから、元の姿に戻ったってわけ」
モドキが本来の姿に戻るのは、最大出力を必要とする時のみだ。
彼女はリスクを冒してでも、凪とシュンランを捜索し、仲間を守る決断をしたのだ。
「傷の手当は出来ないから。辛君もウミちゃんも、もう少し我慢してね」
申し訳なさそうにモドキは言う。
「オレのことはいい、それよりさっきの、奴の攻撃で──……」
辛の腹部には、砕かれたとはいえ氷の刃が刺さったままだ。
無理に抜けば出血死する。そのまま耐えるしかない。
「シュンラン……」
ウミリンゴが悲痛な声で呟く。
「ってかあいつは?」
爪戯が、地上を埋め尽くす水面を見下ろして言った。
アヴェルスとウルの姿が見当たらない。
パキリ、と空気が凍る音が鳴った。
上だ。
ウルは空中に氷の足場を形成し、モドキたちよりもさらに高高度に出現していた。
「流石だね。しかし上が留守ですよ?」
ウルは氷を蹴り、真下へ向けて落下攻撃を仕掛ける。
モドキたちを完全に捉えた。
右手を突き出し、迎撃不可能な速度で迫る。
その時。
落下の勢いに乗るウルの背中に、アヴェルスが出現した。
「それはお前だ」
モドキの空間転移能力で、アヴェルスを瞬時にウルの背後へ転送したのだ。
「あはは」
ウルが不敵に微笑む。
彼は落下しながら右手で空中に氷の支点を生成。
その一点を軸に、鉄棒の要領で身体を前方へ高速回転させた。
遠心力を乗せた踵が、背後のアヴェルスを強襲する。
「踏んじゃ嫌だよなんつって」
アヴェルスの眼が見開かれる。
地味に厄介……。
そう毒づく暇もなく、アヴェルスはウルの回転蹴りによって弾き飛ばされた。
制御を失い、モドキの乗るシャチへと激しく激突する。




