No.69「久方振」
「その右眼を貰おうか」
ウルは無造作に、爪戯の右眼へと指を伸ばす。
次の瞬間。
空間を食い破るように、巨大な影──シュヴェールトヴァールが突如として顕現した。
ウルの右手を食いちぎらんばかりの勢いで、シャチの形態をしたモドキが宙を泳ぐ。
ウルの目が見開かれた。
「簡単に頭はとらせてくれないか」
シュヴェールトヴァール──モドキは、最初からウルの頭部を狙って出現していた。
だが、出現位置が紙一重でずらされている。
ウルは顔を上げ、頭上のモドキを観察していた。
氷に貫かれ身動きのできない辛は、その鋭敏な気配察知で気づく。
この戦場に、もう一人。
アヴェルスが来ていることに──。
アヴェルスは空中に浮かぶモドキの尻尾に着地した。
そして慣性を殺さず、そのまま尾を蹴り跳躍する。
眼下のウルへ向かって、一直線に落下した。
「久し振り」
ウルは笑顔のまま、頭上から迫る死を見上げて挨拶する。
アヴェルスの黒い槍がウルを襲う。
必殺の突き。
だがウルは、あえて「少しかすめる」位置で身をかわした。
「いつ以来かな?」
ウルは槍に左胸を微かに引き裂かれながら、楽しげに問う。
「知るか」
アヴェルスの答えは短く、冷淡だ。
実に六年ぶりの再会である。
黒い槍を、ウルは左手で鷲掴みにし、地面へと強引に突き刺させた。
固定した槍を支柱に、自身の身体を持ち上げ、遠心力を利用して地面を蹴る。
蹴撃。
空中のアヴェルスへ向けて、腹部に重い一撃が入った。
「そう寂しいことを言うなよ。ヴィヴラフォン君」
ウルはかつての呼び名──アヴェルスの別名を口にしながら、地へ降り立つ。
腹を蹴られたアヴェルスもまた、空中で体勢を立て直し、距離を取りつつ着地した。
「ああ、本名に戻したんだっけ? じゃあ、今はアヴェルス君か」
ウルは奪い取った槍を半回転させ、切っ先を上に向けた。
「まあ、いいや……にしてもこの槍、そうかついに『マナ』も武器に──……
どおりで水に変換できないわけか!」
ウルは歓喜の表情で叫ぶ。
黒い槍──魔女の槍は、通常の金属で作られてはいない。
悪魔の能力源である『マナ』で構成されている。
ゆえに、金属を水に変えるウルの能力『金生水』は通用しない。
「ったく……オレの教育が悪かったせいで、こんなことになってしまって」
ウルの歪んだ称賛に、アヴェルスは不快そうに眉を顰める。
「本当に最高だよ! また殺しに来てくれてありがとう」
ウルは血に塗れた満面の笑みで言った。
傷ついた右手を、自身の治癒能力で修復しながら続ける。
「そして殺されに来てくれて嬉しいよ。惨たらしく殺してあげよう」
ウルの右手は、瞬く間に完全に元通りになった。
「あ、アヴェルス君は不死身だったね。それはそれでずっと遊べるか」
アヴェルスは吸血鬼の能力を持つ悪魔だ。
その特性は不死身。
「惨殺されるのは好きだが、お前は例外だ。オレが殺す」
アヴェルスが殺気を込めて言葉を紡ぐ。
「ただし即死しろ」
「えっ」
「痛めつけても喜ぶだけだって知ってんだよ! そろそろ黙れ、黒子抉るぞ!」
「お願いします」
「……」
アヴェルスの罵倒に、ウルは恍惚とした様子で即答した。
アヴェルスの調子が狂う。これだから話の通じない相手はやりづらい。
辛は動けないまま、歯噛みする。
その隙に、モドキは小型の『ましゅまろモード』に変形し、辛の近くへ爪戯とウミリンゴを能力で転移させた。
「隙を見て逃げるよ!」
モドキは撤退の算段を立てる。
「でも、凪が……敵がまだ居て……」
辛は凪の身を案じ、抵抗の意思を見せる。
凪は未だ、玄の手によって捕縛されている。
「シュンランも連れて行って」
「ウミちゃん……」
ウミリンゴは左手で、破壊された右肩を抱きながら懇願した。
シュンランが死んだとはいえ、その亡骸を置き去りには出来ない。
爪戯は痛ましげにその様子を見ていた。
駆けつけられたのは良いけど……他の神が相手ならともかく、あれが相手ではおれの能力も──……。
モドキが焦燥する。
水神ウルとの相性が、彼女にとっては最悪なのだ。
ウルは背後に居るモドキたちへ、首だけで振り向きながら口を開く。
「もう帰るの? もう少しオレと遊んでよ」
左手に奪った槍を持ち、空いた右手で水を生成しながら言い放つ。
「モドキ!」
アヴェルスが叫ぶ。
ウルの左手にあった槍が、煙のように消滅した。
直後、槍はアヴェルスの右手の中へと再出現する。
これが魔女の槍の特性だ。
悪魔「魔女」の能力を内包した槍。
能力は召喚喚起。
その応用により、投擲すれば戻り、狙えば必中となる因果の槍である。
「さっさと探し当てろ」
「……!!」
アヴェルスは魔女の槍を構え、一気に間合いを詰める。
ウルへ一直線に突き進む。
「お前は、オレが相手をしてやるよ」
アヴェルスはウルの標的を自分に固定する。
鋭い突き。ウルはそれを左手一本で捌く。
受け流す動作は水の流れのように滑らかだ。
「仲間を殺されるのは嫌い?」
槍を繰り出すアヴェルスへ肉薄し、その懐へ侵入する。
「そんな教育はしてないのに。どうしてこうなったのやら……」
言いながら右脚でアヴェルスの脇腹を蹴り上げる。
だが、アヴェルスは踏みとどまり、簡単には吹き飛ばない。
「……蹴りじゃイマイチ」
ウルは不満げに呟き、右脚を引いた。
入れ替わるように、左掌をアヴェルスの胸板へと突き出す。
掌底と共に、爆発的な水流を放つ。
水圧の衝撃を利用し、アヴェルスを後方へと強引に吹き飛ばした。
そして間髪入れずに地を蹴る。
「ところで、武器はそれだけ?」
水流に飛ばされたアヴェルスだが、即座に受身を取り、地に足をつけて冷静な表情で構え直す。
だが、その背後を既にウルが取っていた。
足元に氷を放ち、摩擦係数を消して滑るように高速移動したのだ。
アヴェルスが反応し、振り向く。
その瞬間、ウルは真上へと跳躍していた。
「金属が水に変えられてしまう以上、あんたは二つも能力を封じられる」
落下しながら、アヴェルスの頭蓋を右手で鷲掴みにする。
「頼れるのは『マナ』で出来たその武器と、悪魔としての身体能力だけだ」
ウルはアヴェルスの頭を、勢いよく地面へと叩きつけた。
鈍く重い音が響く。
アヴェルスは金属生成能力と、その金属が奏でる音を強化・弱化にできる能力を持つ。
だが、金生水を持つウルの前では、その二つは無力化される。
「死なないと言っても、動きを封じられないわけじゃない」
ウルが冷徹に告げる。
アヴェルスは額から血を滲ませながら、眼光鋭く顔を上げた。
「そうなったら、あんたが寝てる間に仲間は死ぬんだ。頑張らないと同じ過ちを繰り返すよ?
昔みたいに──……」
ウルはアヴェルスの身体の上に乗り上げ、拘束しながら言い放つ。
周囲の木々が、不吉な予兆のようにざわめき続けていた。




