No.66「金生水」
森の中。
姿を消した辛を探す凪の身体を、鋭利な影が貫いた。
衝撃に、凪は膝をつく。
黒髪の軍人──玄が音もなく近づいてくる。
動きを封じられた凪へ、彼が手を伸ばしたその時。
凪の懐から、カランと乾いた音を立てて短剣が転がり落ちた。
辛が作り直してくれたその刃が、身代わりとなって致命傷を防いでいたのだ。
「あれ!? 何ともない?」
凪は自らの無事に慌てる。
そしてようやく、目の前まで迫っていた男、玄の存在に気づいた。
「……あまり手荒な真似はしたくなかったけど」
玄が感情の読めない声で一言。
彼の意思に呼応するように、紐状に変形した影が凪の身体を締め上げ、空中に吊るす。
凪が驚愕に目を見開く。
「さっさと済ませよう」
玄は右手の指を、無防備な凪の額へと向けた。
抵抗する間もなく、凪の意識は深い闇へと沈んでいく。
◇
事態が動き出す少し前。
神達の作戦会議にて。
「水神にはまず、鬼狩りに行って欲しい」
玄は水神・ウルへ淡々と指示を出した。
「鬼退治、すごく遊べそうです」
ウルは無邪気に目を輝かせ、やる気を見せる。
「キミはいつも遊んでいるよ」
隣で雨神レインが呆れたように突っ込んだ。
「その後で、鬼に恨みのある者を送り込む。鬼の方も仲間を殺されてるから犯人だと思い、争いになる」
玄の描いた絵図はこうだ。
ウルに鬼狩りをさせ、その現場へわざと爪雲を誘導する。
「鬼に恨みのある奴は、辛君の仲間の一人と兄弟なので、加勢に入るよね的な」
爪雲がウミリンゴと争えば、兄弟である爪戯は必ず加勢に入る。
そして、その仲間である辛も動かざるを得ない。
「こうして、引き離します」
「回りくどいと思う」
玄が説明を終えると、レインが指摘した。
だが、この迂遠な策には明確な理由がある。
「こうでもして辛君の注意を戦闘に向けないと、オレの存在が気付かれる~!」
辛は気配察知において異常なほどの鋭敏さを持つ。
潜入と確保を担う玄は、この作戦の要だ。彼に捕捉されるわけにはいかない。
「それに鬼を殺すという行為については問題ないよね? 悪魔は抹殺対象」
玄は飄々と語る。
その横で、ウルは既に話を聞くのに飽きていた。
茂みの行列に目を向け、「わ~蟻の巣だ~水攻めじゃ~」と言いながら、指先から水の珠を生み出して遊んでいる。
「いや、鬼を殺した犯人が違うと分かったら、そもそも争いにならないよ」
レインの言葉はもっともだ。
誤解が解ければ、冷静に話し合う展開もあり得る。
「その時は二人が周囲を巻き込んで戦いを起こして」
玄の無茶ぶりである。
「いや……普通に三人で戦えばよくない?」
レインが提案する。戦力を集中させ、三人で正面から凪を攫えばいい、と。
「戦闘しながらとか器用なこと、オレはできないよ?」
玄、レイン、ウルの目的は凪の確保だ。
けれど、その最大の障壁となる辛たちを、まずは盤面から排除したかった。
「塩達にきちんと通達できていれば、こんな……二度手間」
レインは殉職した塩神と石神のことを思い浮かべ、苦言を呈する。
彼らは一度、凪を捕らえている。
あの時、情報の連携が取れていれば今の事態はなかった。
「いや、でも……悪魔の介入があったしどのみち邪魔されてたよ」
玄が返す。
ヤナギとシロホンというイレギュラーの介入により、神側の計画は狂わされた。どのみち失敗は避けられなかっただろう。
「別に良いけど……でも、人選ミスでは?」
レインはため息交じりに言う。
人選ミス。視線の先にはウルがいる。
ウルは溺れる蟻を掴み上げ、無邪気に笑っていた。
「ボク達が戦うことになったら、彼らではアレの相手にならないよ。話聞いてないし」
レインの懸念通り、ウルの戦闘力は隔絶している。
まともに戦闘になれば、作戦など関係なくすぐに蹴りが付く可能性がある。
「手加減するでしょ、アレは性格的に」
玄には確信があった。
ウルが本気を出すことはない。
その歪んだ加虐性が、必然的に「遊び」という手加減を生むはずだと。
◇
現在。
『そこの片目の奴を巻き込まないと、辛とかいう奴が釣れないのに……あの水神は逃すし。
だからボクは仕方なく、弓騎兵の利点を捨ててまで、キミたちの前に現れた』
空中に散らばる矢──その集合体が語る。
辛には、一度予感があった。
辛と凪、そして伍の国への案内役であるモドキとアヴェルス。
だが、モドキを探しに向かった爪戯の姿だけがなかった時。
凪が話している間、辛は鋭敏な感覚で何かを感じ取っていたのだ。
──闇の気配。
肌を刺すような不穏な空気が、遠くから漂ってくるのを。
あの時の闇の気配は玄──同期の軍人のものだった。
「えっと……つまり?」
爪戯が状況を呑み込めず、冷や汗を流しながら聞いた。
「釣られた」
辛は短く、事実だけを告げた。
「ちょっと!」
待ったをかけたのはウミリンゴだ。
「その訳の分からないことの為に、私の下僕達は殺されたの!?」
『悪魔が駆除対象である以上、どのみち殺されてるよ』
「はあ!?」
ウミリンゴは声を荒げる。
レインは淡々と答えるが、それでウミリンゴの怒りが収まるはずもない。
「って、早く凪のところに駆けつけないと」
爪戯が焦燥に駆られる。
『させるわけないよ』
意思を持つ矢の群れが、辛達を完全に捕捉している。
包囲網が狭まった。
辛は思考を巡らせていた。
あの矢の物理攻撃だけで、こちらの金属生成に対抗できるとは思えない。
そもそも、なぜ目的を話した? 時間稼ぎか?
辛は金属の盾を展開し、防御態勢を取りながらも思考を止めない。
確かまだ二人……一人は凪のところに──……
もう一人は……
展開される重厚な金属盾。
これなら防げる──そう確信した、次の瞬間。
鋼鉄の盾が、あろうことか水へと変わった。
三人の眼が見開かれる。
「金属が水に!? なんで!?」
「……!!」
叫んだのは爪戯。
盾であったはずの水が、辛の右脚を掴む。
矢を防ぐはずの絶対防御を、根底から絶たれた。
爪戯は咄嗟にウミリンゴを庇い、矢を避ける。
辛は水に足を取られ、強制的に引きずり倒された。
無防備な腰の右側に、矢が深々と突き刺さる。
それを合図に、矢の雨が止んだ。
「金生水……」
静寂の中、黒い軍靴が鳴る。
「金属は水を生む。ああ、でもあれは金属の表面に結露が発生するところからきてる……だっけ?」
ウルが、空中に浮かべた水の珠を弄びながら姿を現した。
「お前は……」
辛が苦痛に顔を歪め、低く呟く。
「どうも。再会できて嬉しいよ」
ウルは不敵な笑みを浮かべ、かつて辛を見下ろした。




