No.63「弓騎兵」
羽方を少し外れた森の中。
頭上には青く澄み渡る空が広がり、戦場の喧騒とは無縁の風が優しく吹き抜けていた。
「辛君!」
凪が辛の背を追いかけ、叫ぶ。
二人は爪戯たちの反応を追って、この森まで足を踏み入れていた。
「こっちなの?」
凪が問う。
辛は無言を貫いたまま、微かな気配を探るように感覚を研ぎ澄ませる。
不意に、先行していた辛が足を止め、振り返った。
その右手から、粒子が集うように金属が生成されていく。
「そういえば、渡していなかったな」
辛は一本の短剣を作り出した。
以前、凪は宿屋の食事処に護身用の短剣を置き忘れてしまった。
その後、その短剣はシロホンが岩壁を破壊するための道具として転用され、失われている。
凪自身は紛失したままだと思い込み、「あの時はごめんなさい」と申し訳なさそうに謝罪を口にしていた一件だ。
「ありがとう、辛君」
短剣を受け取り、凪が緩んだ表情で礼を言う。
だが、辛はそんな彼女の感傷に付き合うことなく、再び森の奥へと突き進み始めた。
「って! 待って! 待ってよ!」
辛は迷わず進む。
凪が声を張り上げながら追走するが、身体能力の差により距離が開いていく。
その様子を、木の上から静かに見下ろす影があった。
本日、爪雲を神社へと送り出した、あの黒髪の軍人である。
舞い散る木の葉の中、その男は音もなく微笑んだ。
辛の表情に変化はない。彼はただ、目的の場所へと急行する。
◇
一方、戦場と化した森の深部。
額を矢で貫かれたシュンランが、物言わぬ骸となって地に転がっていた。
破壊された頭部から、赤い液体が絶え間なく流れ出している。
「シュンラン……しゅん……」
ウミリンゴは右手を差し出したまま硬直していた。
最愛の幼馴染を失った現実が、思考を白く塗りつぶす。
しかし、事態は彼女の悲嘆を待ってはくれない。
殺気。爪戯が敵の次なる一手ご察知する。
「立って!」
短く、一言。
爪戯はウミリンゴの手を強引に引き、駆け出した。
直後、二人が居た場所へ無数の矢が降り注ぐ。
雨の如き刺突が地面を穿ち、土塊を跳ね上げた。
「ちょっ、ちょっと! シュンランが!」
ウミリンゴは爪戯に手を引かれながら叫ぶ。
彼女の視線は、置き去りにされた死体へと釘付けになっていた。
倒れたシュンランの至近距離にも、容赦なく矢が突き刺さっていく。
「あの場に居たら、流れ矢が彼にあたってしまう。これ以上傷つけたくはない」
矢が降り注ぐ中、爪戯は僅かに振り向き、諭すように告げた。
「……!!」
その理路整然とした言葉を、ウミリンゴは飲み込むしかなかった。
二人は巨木の陰へと滑り込む。
追撃の矢が幹に突き刺さり、乾いた音を立てた。
森の上空。
飛行能力を持つ妖に騎乗し、戦場を俯瞰するのは雨神レインだ。
「空か……」
爪戯が苦々しく呟く。
矢の雨が一時的に止んだ。
中性的な美貌を持つ神。
レインの瞳には、特徴的な十字架の文様が浮かんでいる。
「……もう少し、火力を上げようか」
レインは上空を旋回しながら、優雅な動作で弓を構えた。
木々の隙間。
枝葉に遮られない射線を確保し、正確にこちらを狙っている。
爪戯は高速で思考を巡らせた。
何故、敵はわざわざ姿を現したのか。
本来、弓騎兵のドクトリンであれば、遮蔽を利用して距離を取り、一方的に射撃して離脱するヒット・アンド・アウェイを繰り返せばいい。
反撃の届かない位置からの攻撃が可能であるはずなのに、何故か敵は視認できる位置に留まっている。
空に居ればこちらの攻撃は届かないと踏んでの慢心か。
そう推測したが、姿が見えるということは、こちらの『視界』にも入っているということだ。
すなわち、右眼が使える。
「あいつが、シュンランを……許さない」
ウミリンゴは木の陰から身を乗り出し、左指をレインへ向けた。
放たれた電撃が空を裂く。
だが、レインは騎乗する妖を巧みに操り、それを容易く回避した。
やはり出力が落ちてる……。
ウミリンゴの表情がこわばる。
矢を引き絞るレイン。
弦が鳴る鋭い音と共に、必殺の矢が放たれた。
狙いはウミリンゴ。
咄嗟に前に出た爪戯が、彼女を庇うように立ちはだかる。
自殺行為ではない。爪戯は既に右眼を開眼させていた。
爪戯の肉体に矢が命中する。
「!!」
ウミリンゴの眼が見開かれた。
やられた、と思った次の瞬間、爪戯は無傷のままそこに立っていた。
右眼の能力、『反射』が成立する。
受けたダメージの全てが、因果を逆転させレインへと返るはずだ。
「ダメージをこちらに返す眼だったね」
「!?」
レインにダメージが返った感覚は確かにあった。
けれど、上空の神は無傷だ。
「だから何?」
一言。
レインは見下ろしながら冷淡に言い放つ。
返したはずなのに効いていない。物理的な防御か、あるいは再生能力か。
「キミのシンの量では一日に数回が限度だよね。既に一回使ってたから、もうあとが無いね。
まあボクには効かないけど」
レインの言葉は、残酷な事実を突いていた。
爪戯の右眼は一日二回、反射したダメージの総量によっては三回まで使える日もある。
だが、本日は水神ウルに一度使い、先程レインに二度目を行使した。
もう、後がない。
爪戯は焦燥を押し殺し、打開策を思考する。
「何とかして撃ち落す!」
手をかざし、大気中の水分を凝固させて氷塊を形成する。
上空の敵目掛け、無数の氷の礫が放たれた。
対するレインは、上空からの迎撃を選択する。
弓を構え、連射。
神速で放たれた矢が、迫りくる氷を次々と空中で撃ち砕いていく。
そして氷の破片と共に、地上へ矢の雨が再び降り注いだ。




