No.61「加虐性」
「ったく……もうやること忘れて遊んでるね、水神は……」
上空を飛行する妖の背に、小柄な神が乗っていた。
場所は拾の国にて神々が集う、洋風な城郭建築が立ち並ぶ地。
そこで以前リューと会話をしていたもう一人の存在。
その名は、雨神レイン。
◇
「褒美をあげなくては……」
水神・ウルは、胸を貫かれてもなお、平然としていた。
傷は瞬く間に修復され、生命力の奔流を感じさせる。
「お前はなんなんだ? 不死身? それなら吸血鬼? だとしたら、同じ悪魔である鬼を殺す理由が──……」
爪雲は左腕の激痛に耐えながら問う。
不死身の再生能力を持つならば、彼もまた悪魔・吸血鬼である可能性があった。
だが、その行動は矛盾している。
「オレが? 悪魔『吸血鬼』? 違うよ」
ウルは爪雲に歩み寄り、失われた左手の断面を右手で掴んだ。
そして自身の右手をかざす。
淡い光が発生する。
「アレは自分の身体の脆弱さを呪い、願った──……オレの力を参考に出来たものだから……」
ウルの言葉は真実だ。
ウルの脅威的な再生能力を解析し、それを模倣する形で生まれたのが吸血鬼という種族である。
光の中、見る見るうちに爪雲の左手が再生されていく──……。
「!?」
爪雲の眼が見開かれる。
「オレのは再生、治癒。あっちは対象が自分のみだが次元が違う」
ウルの解説通り、吸血鬼の再生能力は「再構築」に近い、一次元上の現象だ。
対してウルのそれは、能力者としての純粋な能力の行使である。
「何を……」
爪雲にはウルの意図が理解できなかった。
何故、敵である自分を治すのか。その行動には合理性が見当たらない。
次の瞬間。
鋭い蹴撃が放たれた。
ウルは左脚で、再生したばかりの爪雲を蹴り飛ばした。
「あ! 鬼を殺したのは、オレが神であいつらが悪魔だから……ってのもあるけど遊んでただけ」
再び地面を転がり、苦悶の表情を浮かべる爪雲を見下ろしながら、ウルは言う。
彼にとって、神や悪魔といった属性による対立構造は二次的なものだ。
最優先されるのは、自身の快楽のみ。
「さて、あんたをどうしようかな? せっかく左手を治してあげたので、手首に杭を刺して磔にします?」
ウルは無邪気な笑顔で言い放つ。
「死にそうになったら少し治してあげる」
ウルが左手を治癒したのは、玩具を長く楽しむために過ぎない。
残虐性と加虐性。それが彼の本質だ。
「逃げた奴は捕まえて、あんたが苦しむ姿を見続けてもらう」
ウルは右脚で、地に伏す爪雲の腹部を踏みつけた。
爪雲の右頬は裂け、口からも鮮血が溢れる。
「最終的には苦しむあんたにトドメを刺す権利をあげよう」
間髪入れずに蹴りが繰り出される。
爪雲は防戦一方となり、反撃の糸口すら掴めない。
ウルは爪雲の肩を踏みつけ、体重をかけた。
「まあ、安心して」
ウルはそう言いながら右手を横に突き出し、空気中の水分を凝結させて鋭利な氷柱を形成する。
爪雲の額に冷や汗が流れる。
貫かれる。
そう覚悟した瞬間。
「あ、微妙」
ウルは切っ先を自分に向け、自身の身体を刺した。
右脇腹から深々と刺し込み、左肩へと貫通させる。
「は? な、何を」
意味が分からない。
爪雲の理解力を遥かに超える奇行。
「磔刑の時、受刑者を槍で刺すってのもあるからさ、あんたの代わりに自分を指しただけ」
ウルは何でもないことのように言い、自身の身体を貫いた氷柱を雑に引き抜いた。
鮮血が噴き出すが、彼は眉一つ動かさない。
「此処まで頑張ったご褒美だよ……あんたにだけ辛くて痛くて苦しい思いはさせない」
「!!?」
「っても自己修復能力の高いオレの負傷に、何の重みもないけど~」
ウルにとって、痛みは等しく快楽だ。
その対象は他者に限らず、自己にも及ぶ。
「……意味が分からない」
爪雲の表情が恐怖で強張る。
話が通じない相手への根源的な恐怖。
「オレの加虐対象に自分も含まれる。それだけ」
ウルは自身を貫いて血塗れになった氷柱を、今度は爪雲の右手首に突き立てた。
「他の神とそれに従う人間は、自分たちを選ばれた存在と勘違いしてるけどね。オレからしたら平等だよ一応。自分も他人も虐げられる存在」
ウルは聖人のような微笑みを浮かべて語る。
そう、彼は自分自身すらも玩具とする、平等な狂気の持ち主だ。
「一応、神の能力を貰ったから、神側に居るけどね」
まるで、別の存在から力を得ていればそちら側に就いていたとでも言わんばかりの口ぶり。
ウルは笑顔のまま、右手を天へと掲げる。
見えない力に引かれ、爪雲の身体が浮き上がる。
氷が増殖し、磔刑台を形成していく。
何とかしないと……爪雲は思考を巡らせる。
「氷を溶かして」
必死に熱を送り込み、拘束する氷を溶かそうと試みる。
「溶かす? あんたじゃ無理だって。あ! さっき言い忘れてたけど」
ウルの宣告通り、爪雲の熱量では神の氷を溶かすことはできない。
無慈悲に磔刑台が完成していく。
「磔刑は自重で呼吸困難に陥って、やがて死ぬんだけど……死ぬまでには時間がかかる。苦しみながら死ねるよ」
ウルは満面の笑みを絶やさない。
爪雲の全身から冷や汗が噴き出す。
氷は高く聳え立ち、ウルの頭上遥か高い位置に爪雲の足が固定される。
手首一点で全体重を支える激痛と共に、呼吸が困難になっていく。
その時──一本の矢が飛来した。
「あーあ……」
矢は正確に爪雲の額を射抜いていた。
即死だ。
ウルは動かなくなった玩具を見上げ、心底残念そうに呟いた。
「お優しいことで」
落胆の色を見せつつも、その唇の端は吊り上がったままだ。
遥か上空では、雨神レインが妖に騎乗し、弓を構えていた。
「彼の思惑とは少し違う展開になってるね。それはあの水神のせいだけど。でも計画に支障はない……が、悪魔は忌む敵。鬼とその眷属は即死で構わないね」
レインは独り言を呟く。
悪魔は殲滅すべき敵。
だが、無意味に苦しめられ、ウルの玩具として弄ばれる姿を見過ごすほど、レインは冷酷ではなかった。
これはレインなりの、慈悲ある処刑だった。
◇
森の中。
「兄さん、大丈夫かな」
爪戯が不安げに呟く。
鬱蒼とした木々の中、ウミリンゴは足を止め、俯いていた。
「やられたわ……」
ウミリンゴは、自身が角を与え鬼化させた眷属と感覚を共有している。
そのパスが切断された。
それは、爪雲の死を意味していた。
「……」
爪戯は言葉を発さなかった。
彼らは殺し屋を生業とする一族だ。
死は常に隣り合わせであり、その覚悟はできている。
「あいつ、許さない……!」
これで何人目か──……ウミリンゴの胸中にどす黒い怒りの炎が灯る。
「どうして、どうして殺されなきゃいけないの」
ウミリンゴの悲痛な問い。
ただ悪魔として生まれただけで、理不尽に命を奪われる。
この世界を支配する暴力への憤り。
その時、隣にいたシュンランが何かに反応した。
彼は無言のまま、猛然とウミリンゴを突き飛ばし、その身を盾にする。
ドスッ、という鈍い音。
シュンランの頭部を、飛来した矢が貫通していた。
突き飛ばされ、地面に倒れ込んだウミリンゴ。
「あぁ……」
喉から掠れた声が漏れる。
眼前で、鮮血が舞い散った。




