No.58「仇敵視」
「待ち合わせ場所は決めているから、待っていれば来ると思う」
凪が言った。
この場にいるのは、辛と凪、そして伍の国への案内役であるモドキとアヴェルス。
だが、モドキを探しに向かった爪戯の姿だけがない。
凪が話している間、辛は鋭敏な感覚で何かを感じ取っていた。
──闇の気配。
肌を刺すような不穏な空気が、遠くから漂ってくる。
「辛君、行くよ~!」
先行する凪が声をかける。
一行は、目的地である総合病院へと歩を進めた。
◇
一方、木々が生い茂る神社。
「誰よ、誰が……」
髪をツインテールに結った少女──ウミリンゴが、賽銭箱の前に座り込んで呟く。
その隣に立つのは、手負いの鬼──シュンラン。
シュンランは直立したまま、ある一点を凝視して固まっていた。
「どうしたのよ? シュンラン」
ウミリンゴが声をかける。
だが、シュンランは主の言葉にも反応せず、視線を外さない。
その視線の先にいたのは、爪戯だった。
「気づかれた!?」
爪戯は目を見開く。
木の陰に隠れてやり過ごすつもりだったが、捕捉されたか。
そう判断した爪戯だったが、事態は違った。シュンランが見ていたのは、爪戯ではなく、その空間そのものだったのだ。
鳥居の下。
突如として空間が歪み、虚空に扉が出現した。
鍵神の能力による、空間の接続。
開かれた扉から飛び出してきたのは──爪戯の兄、爪雲だった。
「やっと会えた、鬼──仇!」
まさかの兄の登場に、爪戯は驚愕で目を丸くする。
爪雲の額には、異形の角が生えている。
彼は鬼へと変えられたのだ。
そして敬愛の姉を奪われた。
その元凶が、今、目の前にいる。
「あんた、確か……」
ウミリンゴは記憶を探り、爪雲のことを思い出したようだ。
「殺す!」
爪雲は自身の爪を巨大化させ、殺意と共に駆ける。
一瞬で間合いを詰め、その喉元を掻き切ろうとした。
だが──。
急激に爪雲の全身から力が抜けた。
「下僕が、主人に逆らえるとでも?」
ウミリンゴが冷ややかに言い放つ。
その言葉と共に、爪雲はその場に崩れ落ち、膝をついた。
ウミリンゴは悪魔──『鬼』を統べる上位種だ。
普段は角を自在に隠しているが、その支配力は絶対的である。
爪雲は目の前にいる仇敵に対し、指一本動かせない事実に歯噛みする。
身体が、本能レベルで服従を強いられている。
「私の下僕を殺して回っているのは、あんた?」
ウミリンゴがゆっくりと歩み寄り、ひれ伏す爪雲を見下ろした。
その表情は氷のように冷たく、感情がない。
「あの時の邪魔をしただけでなく……許さない」
ウミリンゴの左肩には、「U」の文字が刻まれていた。
悪魔「U」の鬼。爪雲たちとは浅からぬ因縁がある相手だ。
傍らのシュンランは、ただ静かに立ち尽くしている。
ウミリンゴが、無造作に爪雲へ手を伸ばす。
「!?」
瞬間、大量の水が放たれた。
ウミリンゴが目を細める。
放たれた水は即座に微細な水蒸気となり、濃密な煙幕となって視界を奪う。
「逃げた……いや、隠れたか」
ウミリンゴの前から、爪雲の姿が消失していた。
神社の木々の陰。
そこに爪雲と、彼を抱えた爪戯が潜んでいた。
あの水は爪戯の能力だ。兄の窮地を救うため、咄嗟に介入したのだ。
「爪戯!? 何故ここに?」
「偶然だよ偶然。兄さんこそどうやって此処まで? なんか扉みたいなの出てたけど」
爪雲の問いに、爪戯は逆に問い返す。
「あの後、悪魔とも戦って──……負けて気を失ったんだけど」
爪雲が経緯を語りだす。
宿屋での一件で、トマト少年──ヤナギに敗北し、意識を失った後のことだ。
「気が付いたら黒髪の軍人がいて……」
『君の探し人、会いたい? 殺したい? 仇を討ちたい?』
意識を取り戻した爪雲に、その男は話しかけてきた。
『会わせてあげよっか? 的な? 角を隠せるタイプの鬼で、普段は角は出てないけれど、一目見れば仇だと気づくはず』
軍人はそう語った。
普段は角を隠している仇の鬼──ウミリンゴのことだ。
「それで、鍵? とかいう能力で此処まで飛ばされた」
爪雲の説明が終わる。
爪戯は木陰からこっそりとウミリンゴを観察し、呟いた。
「あいつが、姉さんを……」
その視線は冷静だ。
「ああ、あいつが俺達に角を植え付け『鬼』にした。姉さんは理性を失って、それで……」
爪雲の脳裏には、忌まわしい記憶が焼き付いている。
額から四本の角を生やし、傷だらけだったウミリンゴ。
そして、同じく額に角を生やされ、理性を失い暴走した姉・爪嵐の姿。
爪戯は兄の言葉を聞き、それが事実なのだろうと判断する。
だが、ウミリンゴは先ほどこう言っていた。
『あの時の邪魔をしただけでなく……許さない』
その言葉が爪戯の思考に引っかかる。
向こうには向こうの言い分があるのではないか。
風が吹き抜け、木々がざわめく。
「……私に下僕にされた以上、私から逃れられるわけないでしょ」
ウミリンゴは、隠れている彼らの位置を正確に把握していた。
左手を横へと薙ぐ。
閃光。
指先から強力な電撃が放たれる。
爪戯たちが潜む場所へ、雷撃が直撃する。
土煙が舞い上がった。
「!!」
直後、ウミリンゴの足元を氷が覆い、その自由を奪った。
「電撃……ね」
土煙の中から現れたのは、爪戯。
彼は無傷だった。
「電気なら、水である程度防げる」
爪戯は淡々と言い放つ。
一般的に水は電気を通すと思われがちだが、不純物を含まない「純水」は絶縁体だ。
彼は瞬時に純度の高い水の壁を生成し、電撃を防いでみせたのだ。
爪戯の背後から、兄・爪雲が顔を出す。
「爪戯、オレの代わりにあいつを!」
爪雲が叫ぶ。
支配下にある自分では手が出せない。だから弟に殺害を促す。
しかし、爪戯の思考は違っていた。
「うーん、オレは一応あっちの言い分も聞きたい」
爪戯の言葉に、ウミリンゴの動きが止まった。
「は?」
殺し合いの最中とは思えない提案に、彼女の口から間の抜けた声が漏れた。




