No.57「斉しい」
土を踏みしめる音が響く。
爪戯だ。
「あれ……? 街から外れてきた」
爪戯が振り返ると、背後には羽方の街並みが遠ざかり、前方には鬱蒼とした森が広がっていた。
「戻るか……」
モドキを捜索して歩き回っていたが、どうやら深入りしすぎたようだ。
爪戯は踵を返し、街へ戻る決断を下す。
その時、木々の間を縫うように歩く人影が視界に入った。
「あれは……」
その人物の頭部には、明らかな『角』が生えていた。
左足には負傷があるのか、地面に血が滲んでいる。
「角……鬼……?」
爪戯の脳裏に、兄・爪雲が「鬼」を追っていた記憶が蘇る。
◇
一方、辛と凪。
「一つ言っておくが、あの野郎を殺すのはオレだ」
アヴェルスは、腹部から血を滲ませながら言い放った。
だが、その傷口はすでに塞がり始めている。
「辛君、どういうこと?」
凪が首を傾げる。
「丁を攫ったやつらの一人に似ていたから……でも、この感じは──……ヤナギと名乗っていた悪魔に似ている」
「え? トマトの……確かに、彷彿とさせるような?」
辛は、アヴェルスから漂う気配がヤナギと酷似していることに気づいた。
容姿は丁を攫った男に似ているが、本質はヤナギに近い。
アヴェルスは嗤う。
「なんだ、お前らあのクソガキを知ってるのかよ。残念なことに、あいつとオレは【同類】ってやつだ」
アヴェルスが言った。
【同類】。人として何かが欠落している者同士。
「そう言えば、何で辛君ここに?」
「……血と殺気を感じて」
凪の問いに、辛は表情を変えずに淡々と答える。
「それにあの場所を訪ねたが……居なかった。連絡も取れない」
辛の言葉を、アヴェルスは無言で聞いていた。
その時、視界の端からモドキがふらふらと歩いて来た。
「いや~美味かったぜ~。こんな畜生にも売ってくれるとは、優しいおじさんだったな~。あ、人型に戻れば良いのか! その設定忘れてたぜ~」
呑気に鼻歌を歌い、尻尾を振りながら歩いてくる。
口元には食べ物の欠片が付着していた。
「あ」
三人の姿を認めた途端、モドキが声を上げた。
「あ! 居た! どこ行ってたのよ!」
「……」
凪が声をかけようとするが、辛は沈黙を守る。
モドキは彼らの視線の先、アヴェルスを見て目を丸くし、瞬時に冷や汗を流し始めた。
小刻みに震えだす。
「あーーーーーーーーーーーー!? ご、ご主人様!? 何故ここにいる!?」
モドキの顔から滝のような汗が流れる。
ご主人様──アヴェルスを認識し、恐怖に戦いているのだ。
「ににに逃ッ……!」
踵を返し、全速力で逃走を図る。
だが、遅い。
アヴェルスは金属生成で即座に檻を作り出し、モドキを包囲した。
「何故逃げる? 今日の仕置きは燻製にする? それとも生のまま解体? 選んで良いよ? 麻酔は処方しませんのであしからず」
「だから嫌なのに」
アヴェルスの顔は満面の笑顔だ。
狂気に満ちた彼から、モドキが逃げようとするのは生物としての正解だろう。
アヴェルスはモドキを檻から引きずり出し、その尻尾を掴んで持ち上げる。
「で、なんで貴方様のような御方が、此処にいらっしゃるのでしょうか?」
モドキは震えながら、最大限の敬語を使った。
「Wが本国に帰ったから、代わりにオレが来た」
W──西王のことだ。
「人が訪ねて来るから手を貸せと、オレは言ったはずだが?」
アヴェルスはデュオラスの命を受け、西王の代理としてこの地を訪れていたのだ。
「え、あ……そういえばその時、寝てました」
モドキがそう告白した瞬間──アヴェルスは無慈悲にモドキの尻尾を引き抜いた。
ブチリ、と鈍く湿った音が鳴る。
「あーーーー! しっぽおおおおおおおお!」
モドキの絶叫が木霊する。
アヴェルスの表情は、相変わらず緩い笑顔のままだ。
「西王の代わり……?」
辛が口を開く。
辛の話を聞いていたアヴェルスは、納得したような表情を見せた。
「あー、やっぱお前らがそうなのか」
そう言いながら、アヴェルスはモドキ本体と、千切れた尻尾を放り投げた。
「あの人に会わせて欲しい……」
「しっぽ……おれの……しっぽが……」
辛はデュオラスへの面会を求めた。
その横で、モドキは涙を流しながら自身の尻尾を見つめていた。
「良いだろう! 腹部を刺してくれたお礼に連れて行ってやるよ!」
「……すみませんでした」
「何故謝る!? オレ、好き。刺されるの好き」
アヴェルスは快活に答えた。
辛は人違いで刺傷させたことを謝罪したが、アヴェルスは気にしていないどころか、刺された事実に喜びすら感じていた。
「ま! 生えるんだけどな!」
そんな狂気的なやり取りの中、モドキの尻から新たな尻尾が生えてきた。
バフッ、と間の抜けた音が鳴り、何事もなかったかのように元通りになる。
「辛君の前にも刺されてたし、上から落ちてきたけど……」
凪の疑問はもっともだ。
普通の人間なら三度は死んでいる。
「ご主人様は不死身よ、不死身の吸血鬼」
その疑問に答えたのは、復活したモドキだ。
不死身の吸血鬼。シロホンと同じ種族。
「まだ名乗ってなかったな。オレはアヴェルス、悪魔【吸血鬼】。元『V』でもある──……ま、適当に呼んでよ」
アヴェルスは舌を出しながら名乗った。
その舌には、縫い目のような傷跡と、アルファベットの「V」の文字が刻まれていた。
辛と凪は少し首を傾げる。
アルファベットの意味や、悪魔の詳細について深く知らないからだ。
「あ! そーいえば、シロホンが訪ねて来てたのになあ~」
モドキは新しい尻尾を振りながら言った。
「お前に預けてただろ」
「え? あ…え?」
「後でシロホンに殴殺されるな、確定事項」
「あ~!? ま、いいか。後で送りつけよ」
アヴェルスとモドキの軽いやり取り。
シロホンは宿屋の襲撃事件前、アヴェルスを訪ねようとしていた。
本人には会えなかったが、モドキにあるものを託していたのだ。
「あ、あの左頬にXの文字がある……」
凪が口を開く。
「オレはあいつの能力を発動させた責任があるからな。オレが血を提供している」
悪魔・吸血鬼は不死身を得る代償として、他者の血を定期的に摂取する必要がある。
シロホンに能力を使わせた責任の一端はアヴェルスにある。
ゆえに彼は、自らの血をシロホンへ提供しているのだ。
預けていた物とは、血液のことである。
「オレは不死身だし、そもそも血を抜かれて死ぬような身体じゃない」
アヴェルスは続けた。
その言葉に、凪が反応する。
ヤナギも似たようなことを言っていたからだ。
辛の直感通り、ヤナギとアヴェルスには、生物としての在り方に決定的な共通点があるように思えた。
「で、早速行くか?」
「連れて行くのおれじゃん!」
アヴェルスの言葉に、モドキがツッコミを入れる。
「あ、いや……まだ一人、爪なんとかさんがいない」
凪が言った。
モドキを探しに行った爪戯が、まだ戻っていないのだ。
◇
その頃の爪戯。
「兄さんが探してるって言ってたから、つい……」
爪戯は額に角を生やした存在を追跡していた。
角を生やした存在──鬼。
鬼は森の奥にある、古びた神社へと入っていく。
木の陰から、爪戯はその様子を息を潜めて観察していた。
鬼は、賽銭箱の前に座る少女の元へ歩み寄る。
「……誰よ」
そこに座っていたのは、水色の髪をツインテールに結った少女だった。
「誰が私の下僕たちを」
少女の表情は、昏い憎悪に満ちていた。




