No.56「勘違い」
凪の眼前に、青い何かが落下した直後のことである。
「……」
凪は目を丸くし、地面に縫い付けられた物体を凝視していた。
それは青い髪、青い軍服を纏った男だった。
飛散した血液が、床を赤く染め上げていく。
「人があああああ!」
状況を飲み込めずに硬直していた凪だったが、数秒の遅延を経てようやく叫び声を上げた。
「これは治癒をかけた方が良いの? って、過去の人、人体損傷に慣れすぎてない? じゃあ大丈夫……とはならない! ってか上から? 何で!?」
凪の思考は混乱の極みにあった。
かなりの高高度から落下してきたはずだが、奇跡的に原型は留めている。
しかし、だからといって無事であるはずがない。
凪が治癒能力を行使すべきか葛藤していた、その時だった。
「頭が地面に打ち付けられる感覚は、良い!」
青い男は頭から血を流しながら、バネ仕掛けの人形のように上体を起こして呟いた。
その顔は、苦痛ではなく満面の笑みに彩られている。
「えっ……えええ」
凪の眼が限界まで見開かれる。
「え~?」
「ええええええええええええ?」
男の間の抜けた声に対し、凪は困惑のあまり言葉を失った。
◇
一方、辛。
「申し訳ございません。あの方は本国に帰ってしまいまして」
病院の受付にて、辛は事実上の門前払いを食らっていた。
父・北王の恩師であり、師匠でもある西王は、すでに本国である伍の国へ帰還してしまったという。
辛は思考を巡らせる。
西王が不在であるならば、代わりの人間がいるはずだ。
以前、デュオラスは「確実に一人は配置しておく」と明言していた。彼の言葉に嘘はないはずだ。
「!」
思考の最中、辛の感覚が鋭い殺気を捉えた。
同時に漂う、濃密な血の匂い。
彼は即座に反応し、発生源へと意識を向けた。
◇
視点は戻り、凪。
「これはこれで好きだけど、普通なら即死。もう少し激痛で苦しむ方が好き」
青い軍服の男──アヴェルスは顔を輝かせながら独り言を呟く。
「しかし悲しいことに、オレ自身に痛覚がないのが欠点だ」
アヴェルスは独り言を続ける。
常軌を逸した言動だが、ひとまず生命活動に支障はなさそうだ。凪はそう判断した。
その瞬間、上空から新たな影が降ってきた。
影は槍を構え、躊躇なくアヴェルスの胸へと切っ先を突き立てる。
「しぶといな悪魔。だがこれで終わりだ」
盛大な血飛沫が上がる。
アヴェルスを刺した男は、飛翔の能力を行使し滞空していた。
凪は息を呑む。
「殺されるのは好きだ」
心臓付近を貫かれたというのに、アヴェルスは恍惚とした表情で微笑んだ。
痛みを感じず、死すら意に介していない。
直後、地面が隆起する。
アヴェルスは金属生成の能力を行使し、地面から鋭利な金属の杭を出現させた。
刺客の男は反応する間もなく腹を貫かれ、絶命する。
「殺すほうが、もっと好きだ」
アヴェルスは笑顔のまま言い放った。
狂気そのものだ。
凪は驚愕しつつも、冷静にその光景を分析していた。
金属使い。辛と同じ能力──。
「苦しめて殺すつもりが……捕まえて拷問もありだったな」
アヴェルスは立ち上がり、串刺しにした男の死体を見下ろして言った。
「……」
凪は沈黙を守る。
アヴェルスという存在に対し、どう接すべきか判断がつかないのだ。
「でも血を見れたのは良い。血の存在は日常──……自他問わず血を流すことは好き。興奮します」
アヴェルスは天を仰ぎ、瞳を輝かせて言った。
頭から血を流し、胸からも血を流す異様な男。
凪はどことなく、あのトマト少年──ヤナギを彷彿とさせていた。
ヤナギもまた、血をトマトに例え、異常な執着を見せていたからだ。
「で? お前はなんだ?」
不意に、アヴェルスが凪へと視線を向けた。
「え? 今更!?」
「え……?」
落下直後から傍にいたにも関わらず、今更存在を問われる凪。
凪の切実なツッコミに対し、アヴェルスは気の抜けた声で返す。
緊張感と脱力感が入り混じる、異様な光景だ。
「通行人C?」
「C?」
アヴェルスは凪を、背景の一部である「通行人C」と定義した。
「敵なら切り刻むところだけど……いや、釘を一本ずつ打ち込んで──……」
「……」
「いや、その前に指を」
アヴェルスは物騒な独り言を再開する。
言葉の内容は残虐だが、殺気は伴っていない。本気ではないのだ。
彼は凪を敵とは見なしていない。
そこへ、血の匂いと殺気を感知した辛が到着する。
辛は、そこに立つアヴェルスの姿を視認した。
青黒い髪。青い軍服。
辛の脳裏に、憎悪すべき記憶が蘇る。
──大切な丁を連れ去った男。
辛は明確な殺意を込め、金属生成で作り出した刀を構えた。
迷いなく踏み込み、アヴェルスの腹へと刃を突き刺す。
辛の殺意に満ちた形相に対し、振り返ったアヴェルスの表情は──笑顔だった。
「……何?」
「!! 辛君!?」
凪が悲鳴のような声を上げる。
笑顔のアヴェルスを見た瞬間、辛は呟いた。
「……違う」
ただ一言。
容姿は似ている。だが、決定的に何かが違う。
その言葉の意味を、アヴェルスは一瞬で理解した。
「今ので大体理解した……」
アヴェルスの表情から、瞬時に笑顔が消え失せる。
「あああああっ!」
アヴェルスは頭を抱え、絶叫した。
凪は目を丸くしたまま動けず、辛は冷や汗を流して立ち尽くす。
アヴェルスの脳裏には、ある一人の男の顔が浮かんでいた。
自分と似た容姿を持つ、憎き男──ウルの顔が。
「一つ言っておくが、あの野郎を殺すのはオレだ」




