No.55「不信感」
玖の国において最も栄えた市街──“羽方”。
モドキの背に乗り、空路を経てやって来た三人は、この地へと降り立った。
「此処が“羽方”!」
凪は珍しそうに辺りを見渡した。
役目を終えたモドキは“ましゅまろモード”へと切り替わり、白くて緩い球体へと変貌する。
「辛は来たことあるの?」
爪戯は辛へ問いかける。
辛は当初沈黙していたが、記憶の糸を手繰り寄せるように口を開いた。
「昔、父と……乗り物を乗り継いで来たはずだ。だが、正直あまり覚えていない」
「え?」
辛の淡泊な返答に、凪は呆れたような表情を浮かべた。
「お父さんがいた時に、ちゃんと聞いておかなかったの?」
凪の指摘はもっともだ。
彼らは一度、辛の自宅を訪れている。
その際、辛の父である北王に詳細を聞いておくべきだったのだ。
「……」
辛は無言で返した。
その表情には、後悔の色も焦燥の色も浮かんでいない。
「えっ……」
凪はそんな辛に対し、追及を諦めた。
何を言っても大抵は「無」で返ってくるのが辛という人間だ。そう理解して飲み込むことにしたのだ。
「大丈夫? これ」
爪戯もまた、緩みきった顔で言い放つ。
いささか不安の残る旅の始まりだった。
「ねーねーねー! おなか~空いたんだけど」
辛の足元で、モドキが尻尾を振りながら食事を催促した。
◇
一行はうどん屋へと入店した。
なお、ペット──あるいは畜生扱いされ、モドキだけは入店を拒否された。
「なるほど、辛君のお父さんの……恩人兼師匠なる人が此処にいると!」
凪が指を立て、納得した表情を見せた。
“羽方”を目指した理由。
それは、この地に北王の恩人であり、師匠に当たる人物がいるからだ。
その人物に会うことが、今回の目的である。
「その人が丁君の居場所を教えてくれるの? 能力か何かで」
凪が質問を続ける。
辛が静かに答えた。
「……いや、その人と関係のある“別の人”だ。父の師を訪ねるのは、その“別の人”に取り次いでもらうため……」
ここで、記憶は以前の会話へと繋がる。
過去。軍服姿で地面に座る辛へ、デュオラスは言葉を投げかけた。
『困ったことがあったら訪ねておいで。北王さんの師、西王さんとは仲間でね……まあ、至る所に仲間はいるんだけど』
デュオラスは続けた。
『“羽方”には確実に一人は配置しておくから』
そう告げられていたのだ。
現在。
注文したうどんが辛の前に置かれる。
「その人、何者なの?」
凪が問う。
辛は無言のまま、左手で一味唐辛子の瓶を手に取った。
容器を振る。
だが、蓋が緩んでいたのか外れてしまい、大量の赤色がうどんの中へ雪崩れ込んだ。
右隣に座る爪戯と凪は、その惨状を見て目を丸くした。
しかし辛は全く気に留める様子もなく、左手で箸を持ち、赤く染まったうどんを食べ始めた。
「食べた……」
爪戯は驚愕する。痛覚や味覚すら希薄なのだろうか。
「その人に頼めば、私の母親を殺した犯人も分かったりする?」
「その設定生きてたんだ」
凪がぽつりと零した言葉に、爪戯が即座に反応した。
「生きてるよ!」
「だって全然探してないじゃん?」
探していないというよりは、事態が急転しすぎて余裕がなかったと言うべきか。
「特徴とか、何か覚えてることそもそもあるの? 手掛かり掴んでる?」
爪戯が軽く問う。
「無い」
凪は間髪入れずに即答した。
爪戯は「ないのかよ」と言いたげな顔で凪を見つめる。
「暗かったし、私は隠れてたし……こっそり目撃はしたけど、それだけ」
爪戯は「やっぱり」という顔をした。
「分かるのは、何かで切り裂かれて殺されたってことぐらい……」
そんな凪の言葉に、箸を止めたのは辛だった。
「……?」
表情は一切変えていない。
だが、何らかの疑問、あるいは既視感を抱いたのか。
その微細な反応を、爪戯は見逃さなかった。
「何とかなるって~」
凪は楽観的に言った。
「別に良いけど、オレは困らないし」
爪戯は素っ気なく返す。
「なんだと!? 一生片目野郎と呼ぶぞ!」
「……殺すよ?」
凪と爪戯による、いつもの軽妙なやり取り。
二人の前にもうどんが運ばれ、ようやく食事にありついた。
店外。
「入店拒否なんてひどい~お腹空いた~」
モドキが涙目で、ガラス越しに店内を覗き込んでいた。
だが、その嗅覚が別の刺激を捉える。
「ぬ!? 向こうから良い匂いが!」
モドキは興味を惹かれるまま、匂いのする方角へと駆けて行った。
◇
「ありがとうございました」
三人は食事を終え、店を出る。
そこにモドキの姿はなかった。
「あれ? あのシャチっぽい饅頭は?」
凪が指摘する。
「いないね。どうする? 探す?」
爪戯が二人に確認をとった。
凪が少し考え、口を開く。
「でも辛君の用事もあるし、とりあえず辛君には先に行ってもらって……私達は少し探してから合流する?」
「達!? オレも!?」
「当然!」
凪の提案に爪戯が目を丸くして反発するが、却下された。
「あの建物に行ってる……」
辛は目の前にある大きな建物を指さした。
総合病院だ。
「分かった!」
凪が了承し、三人は二手に分かれて行動を開始した。
爪戯は歩きながら、周囲を見渡してモドキを探す。
「饅頭……いや何だっけ? ましゅまろ? どこだ~」
爪戯は渋々ながらも捜索を続ける。
その思考の片隅で、先ほどの辛の反応を反芻していた。
凪の発言を受けた時の、辛の間。
……さっきの、まさか……いや、でも……。
思考が疑念に支配されていく。
オレの考えすぎか……。
「確証はない。証拠もない。でも、あの人なら──……」
一方、病院へ向かった辛もまた、思考の海に沈んでいた。
あの人──デュオラスのことだ。
場所は戻り、凪はモドキを必死に探していた。
すると、凪の頬に温かい液体がぽたりと落ちた。
「何? 雨? ……血?」
凪は頬についた赤い液体を指で拭う。
紛れもない、血液だ。
「なんで空から?」
凪が呟き、上空を見上げる。
何かが降ってくる気配があった。
直後、ドスッと鈍く重い音が響き、目の前に何かが落下した。
人だ。
青い髪。青い軍服を纏った人物。
頭部を強打したのか、大量の鮮血が瞬く間に地面を染め上げていく。
「え……?」
凪の思考が停止する。
見開かれた瞳は、目の前の惨状を映したまま硬直していた。




