No.43「不首尾」
「聞いていた通りそっくりだな〜って印象♪ でもそれよりやっぱ“同じ”なんだ〜って感じだね」
お風呂に入りたいと言っていたヤナギは、風呂場の脱衣場の床に寝転び、肘をついて通信用の陣を使って会話をしていた。人避けをしたがっていたのはこの為だったらしい。
床には五芒星などの記号を組み合わせた幾何学的な模様が描かれている。
「ん〜んんん〜? ふーん」
会話中手持無沙汰になったヤナギは、寝そべったまま行儀悪く足を動かしたり、陣を指でなぞったりしている。
「別に良いよ。その代わり〜トマトに水をあげておいてね! 水は少なめで♪」
ヤナギの通信相手、デュオラスが座る足元には、ヤナギとは違う模様を描かれていた。その陣から空中へ浮いた「Y」の文字が幻影のように漂っている。
デュオラスは上半身に衣類を纏っておらず、背中には医療機器とつながるいくつものチューブが取り付けられている。そして首のチョーカーに繋がれた紐で刀が背中側にぶらさがっていた。
「でもボク、標的を変えるかもよ?」
ヤナギの言葉に、デュオラスはふっと柔らかく笑みを漏らした。
「キミが標的を変えるとしたらそれは──……大嫌いな“奴ら”だよ。だからオレは心配なんてしていないよ」
デュオラスの返答に、ヤナギは愉快そうに声を上げて笑った。
◇
辛が起こした爆発により、部屋には煙が立ち込めていた。呪いで身体強化している翠はなんとか踏みとどまったが、あちこち火傷を負い、服や顔は煤だらけになっていた。
粉塵爆発か。まさか自分ごと爆発を起こすとは。
「って、死ぬわ普通!!」
翠が叫ぶと、再び硬質な金属音が響いた。金属の細かい欠片が集まってロープ状になり、翠を腕ごと絡め取り身体を拘束したのだ。
「なっ!」
驚いている間に逃げる術もなく金属のロープに引っ張られた翠は、壁に強く打ち付けられて床に落ちた。
壁に激突した際、翠の背中には金属の尖った破片がくいこみ、痛みが走る。
翠が痛みに悶えていると、煙の向こうから辛が姿を現した。辛は、爆発の瞬間自分の周りにだけドーム状の壁をつくって爆発の衝撃から逃れていたのだ。
爆発を強引に金属の壁で防いだとはいえ、この熱さはきつい。辛は顔をしかめる。
辛が部屋全体を見回すと、壁のいたるところに焦げ跡がついていた。
しかし、おかげで触れることなく結界の媒介である札を燃やすことに成功した。これで外へ出られる。
「真白さんすみません〜失敗しました〜」
翠が拘束されたまま情けない泣き言をこぼしていると、辛は黙ってさっさと部屋を出て行こうとした。
「っておい! 殺して行けよ妖! 俺はお前を討伐しようとしたんだぞ?」
「……オレには殺す理由がない。まあしばらくはそのまま……放置するが」
辛は呼び止める翠には興味がなさそうにさっと片手をあげると、翠をつないでいる金属のロープがぐっと引っ張られ、翠の身体は座らされていた状態から足が床につかなくなるくらいまで宙に持ち上がった。
「ちょ……拘束を解け! 何吊し上げまでしてんだ!?」
持ち上げられた拍子に翠の腰から刀が落ち、重い音を立てた。
翠は真白について来たとかそんなところか。辛は翠から受けた一太刀で大きな傷を負ったものの、なんとか対処して部屋から脱出し、大きなため息をついた。
札の封じがなくなって気配探知も戻った。気配の感じから大勢で来ていないようだが、あいつら二人の独断で此処へ来たのか。父さまが居るし軍全員を相手にすることはないはずだ。
此処、玖の国の軍は能力者を集めた集団。普段は妖退治や治安維持を行い、人々の生活の安全を守っている。
辛は半分が妖であることを隠して所属していた。しかし今回翠に狙われたのは、一部の者に正体がバレて討伐対象とされたということのようだった。
その時、辛は新たに別の気配を感じとった。残る真白だけでは済まないかもしれない。辛は凪達の元へと先を急いだ。
◇
腹の底に響くような重低音が聞こえ、爪戯の兄――爪雲は後ろを振り向いた。
今、何かの音がした。爆発音だろうか。結界のおかげで部屋の外側に影響はないみたいだが。
宿の廊下は何事もなかったのように見た目は何も変わっておらず、一瞬だけ聞こえた音もすぐに止んで静まりかえっている。
あの半人半妖《化け物》と悪魔を狙っていると言うからあの二人と手を組んだけど、大丈夫か。やっぱオレが相手をすべきだったんじゃ。
その瞬間。背後から大きな鎌のような刃が音もなく首元に現れた。
鋭利な刃が喉元に近づく感覚に脳より先に肌が気づいた刹那、爪雲は身を捩じってギリギリ刃を躱し、前方によろめきながら床に膝をついた。
何が起きたか分からず、爪雲の耳には自身の心臓の鼓動が荒々しく鳴り響いた。
「避けられちゃった」
爪雲が鎌が来た方向へ振り返っていると、見ている反対の方向から愉快そうに笑いながらヤナギが歩いてきた。
「でも良いよ〜そうじゃないと面白くない!」
「お前は……?」
「ボク? ボクはヤナギ。悪魔だよ」
爪雲は悪魔と言う言葉に反応し、ヤナギに険しい表情を向けた。
「悪いトマトが出現するからあのお兄さんたちの手助けをしてあげてって、お願いされたのでやって来ました! 収穫収穫〜♪」
悪魔だと。真白の担当だろう。
何故フリーで歩き回れる悪魔がいるのか。先ほどの爆発といい、あの二人と組んだのは間違いだったのかもしれないと、爪雲は苛立ち拳を握った。
何をしている、使えない。まあいい。
「オレはお前に聞きたいことがあるんだよ!」
爪雲は右手を鋭利で巨大な形に変化させ、床を蹴ってヤナギとの間合いを詰めた。
「え〜ヤダよ〜答えたくないもん!」
「じゃあ喋ってくれるまで、痛い目にあってもらう!!」
爪雲が凄んでも、ヤナギは何故かその場から動かずにへらへらと笑っている。
子どもだろうと手加減はしない。
爪雲は、尖った爪でヤナギの胸を斜めに切り裂こうとした。しかし力を込めた右手は、想定した抵抗を感じずに虚しく空を切った。
手応えがない。
「水、少なめで飼ってあげたいな」
ヤナギの方を見ると、狙いをつけたポイントから少しも動いていなかった。
「いや、ダメか……」
ヤナギは、意味の分からないことを一人でぶつぶつと呟いていた。
それよりこいつ。
爪雲に背を向けて立っているヤナギは、中に着ているハイネックの襟ぐりからはみ出た首の後ろに「Y」の文字が見えていた。
「お前のような子どもが“Y”……!?」
爪雲は、悪魔達の持つアルファベットは末尾に近いほど格が上だと聞いていた。
「ん〜? これ?」
ヤナギは首元を捲って「Y」の文字全体を見せた。
「へー、今ので見えたの? でもこれ“今は”意味ないよ。六年前に終わったからね。そりゃま〜シロホンは古参だから“制度”で文字入ってるけど、ボクら新参者は遊び? 趣味? でなんとな~く文字入れてるだけだよ~」
シロホンの頬にある×印は、アルファベットの階級「X」を表していた。
「それよりお兄さん、例の──……」
ヤナギは爪雲をしげしげと眺め、一人で勝手に納得したように頷いた。爪雲が大きく動いたため、フードからは隠していた額の角が知らぬ間にはみ出てしまっていたのだ。
「ならお兄さんを殺すのは僕の役目じゃなさそうだね、残念♪」
爪雲は、ヤナギの言わんとすることが分からず、警戒心から半歩下がった。
すると、どこからともなく誰かが叫ぶように喋っている声がした。何と言っているかは爪雲には聞こえなかったが、「ヤナギさん」という言葉だけが聞き取れた。
呼びかけられた内容を聞き、ヤナギは表情を変え光の宿らない瞳で爪雲を凝視し、狂ったように腹から声を響かせて笑い出した。
「あはは、はは」
「!? 何だ急に」
爪雲がヤナギの物恐ろしい豹変ぶりに狼狽えると、ヤナギは歩き出して爪雲を通り越していった。
「これはこれは。行かないと……! 標的を変える……あの人の言うとおりになっちゃったね」
「待て! 何処へ行く!? オレには聞きたいことが──……」
爪雲は去ろうとするヤナギを引き留めようとしたが、ヤナギは間髪入れずにそれを遮った。
「キルキー」
ヤナギが言った瞬間、鎌のような巨大な刃が今度は三つ同時に爪雲を襲った。今度はそれを避けられず、爪雲は斬りつけられながら衝撃で床に叩きつけられた。
「ごめんね~もっと悪いトマトがこっちに来るからボクはそっちの収穫をしないと」
「っ……」
あちこちに切り傷を作りながらも、爪雲は諦めずに食い下がった。
「待て! 言え! お前らの仲間に居るだろ!? “鬼”が! 肩のところに“U”の文字がある──……」
爪雲の脳裏には、左肩に「U」の字が入った、額に四つの角を持つ髪の長い女の鬼の姿が鮮明に焼き付いていた。憎悪の対象。
「うん。だからキミを殺すのはボクじゃない。今日のところは此処でお開きだね」
ヤナギは爪雲の求めることを知っているようだった。ヤナギは付け加えて、恐ろしい形相で床に座り込む爪雲を見下ろして言った。
「お兄さんより、彼女の方が怒っているからね」
子どもどは思えぬほど地の底から響くような低音だった。そして爪雲の後ろに浮かんだままの、鎌のような刃の一つが爪雲の頚部をとん、と叩いた。
「キミの処遇は彼女に任せるよ」
意識を失った爪雲にヤナギはそう言い残し、その場から立ち去った。




