No.37「蜂刺症」
ヒユと爪戯の戦闘中に現れたのは、悪魔のヤナギと、町で会った頬に×の印がついた背の高い男──シロホンだった。
次から次へと現れる刺客に、凪達は警戒心を募らせた。
「ったく……オレは“他に”予定があって此処まで来たってーのに、何でこんな奴らの為に駆り出されなきゃならないんだ」
「い~じゃんシロホン~。近くに居たんだから手伝ってくれても~。だいたい、誰がこの二人を抱えて帰るのさ?」
ところが、新たに現れた二人には戦闘の意思はないようだった。シロホンと呼ばれる頬に×印のある男は、面倒くさそうに気絶したアナナスを小脇に抱えながら不満を漏らした。
「はあ? どの口が言ってんだ」
「も~シロホンったら! どう見てもボクはか弱い子どもだよ? キミの力が必要だよ!」
二人のやりとりに痺れを切らし、ヒユが口を挟んだ。
「……何でお前が出てくるんだよ!」
その瞬間、シロホンの長い足がヒユの胴を無造作に蹴り飛ばし、ヒユはそのまま後方に弾き飛ばされた。
「な……にすんだ!」
それでもまだ反抗しようとすると、後方に飛んだヒユにシロホンがすぐに追いつき、ヒユの鳩尾を力強く踏んで地面に抑えつけた。
「お前の悪行を止めにわざわざやって来たんだろうが」
シロホンはヒユを踏んだまま、親のような、あるいは兄のような厳しい口調で言った。
「え? 仲間割れ?」
加勢が来たのかと思いきや、むしろヒユを非難している様子に爪戯は困惑し、氷を構えたまま立ち尽くしてただことの成り行きを見守るしかなかった。
「他人に迷惑ばかりかけやがって、ガキが」
「……おまえに」
まるで叱られている子どものように扱われたヒユは、悲痛な声でシロホンを見据え、血を吐くように声を絞り出した。
「おまえにだけは、言われたくない」
シロホンは口を真一文字に引き結び、ヒユをじっと見つめたままそれ以上何も言わなかった。その瞳には複雑な色が宿っている。
「指図するな。クソ兄貴」
「もう! ヒユくん! 今は大人しくして! トドメ刺すよ?」
ヤナギは二人のシリアスな会話に怒りながら割って入り、ヒユの顔面を遠慮なく踏みつけにした。
「もう既に刺してるぞ」
「ん~んんんん~?」
ただでさえ爪戯の氷に刺され、シロホンに蹴飛ばされているのに重ねてヤナギに顔を踏みにじられ、ヒユは完全に大人しくなった。
「ま! 良いか!」
ヤナギはヒユの首の後ろを掴むと、服が伸び、手足が地面に擦れるのも構わずそのまま引き摺った。
「帰ろうぜ★ トマトが待ってる! ヒユくんは塩トマトの刑ね。じゃあね! 冷凍トマトさん!」
「ったく、何が“か弱い”だ。引きずってはいるが持てるじゃねえか」
アナナスを抱えたシロホンも、ため息をついてそれに続いて行ってしまった。
「冷凍?」
えっと、何だったんだ。
後に残された爪戯には何がなんだか分からなかった。しかしこれで悪魔たちは去り、敵はいなくなった、かのように思われた。
◇
去って行った。増援かと思ったけど。
凪は爪戯と悪魔たちの様子を、手に短剣を持ったまま後方から見ていた。
「あ、そうだ。辛君は……!?」
ラル、凪の偽物、悪魔達。一気に色々な敵が現れて、仲間たちは散り散りになってしまっていた。呪縛から解放された辛の姿を探す。
あれ、そういえば帽子のあの少年は。隠れてる?
木や崩壊した家の瓦礫など障害物はいくらでもあり、隠れる場所は色々ありそうだった。凪はきょろきょろと周りを見渡して二人を探した。
すると、爪戯の後ろにぼんやりとした人影が現れ、凪は叫んだ。
「後ろ!!」
先ほど辛が刀で斬りつけ、刺し、血まみれになって倒れたはずのラルが、再び立ち上がり背中から酸性の液体を爪戯に浴びせようとしていたところだった。
反応が遅れた爪戯だったが、間一髪、辛の作り出した金属の盾が間に合った。
「……!! かの……と?」
突然視界の前に飛び出した辛に、爪戯は驚いた。
「って、あれ!? 前!? さっき後ろに敵が……ん?」
凪が叫んだ通り、後ろから敵の攻撃が来るはずだった。しかし実際には敵の放出した液は爪戯の前方から迫ってきており、辛も爪戯の前に体を入れてそれを防いでいた。
「視覚情報が違う、操作されている……」
辛はラルの攻撃で汚れた金属の板を能力解除で消し去った。爪戯は辛が何を言わんとしているか分からず、頭に疑問符を浮かべた。
「……確実に心臓でも潰しておくべきだった」
「え!?」
そこへ、二人が話しているすぐ近くに、家の瓦礫に紛れていつの間にか少年がさっきまで被っていた帽子が、血に濡れてぽつんと取り残されているのが見えた。
「……!? ……まさか……」
言葉の足りない辛の呟きが、ラルが死んでいないこと、そして最悪の事態を示していると、ようやく爪戯も理解した。
「しかしあの状態で動けるの?」
大怪我を負った状態で機敏に動けるとは思えないが、ラルは辛に攻撃を止められた後すぐに姿を消していた。
「ちょっと考えれば分かることだったわ」
ラルは、今度は誰にも気づかれずに凪の背後に現れた。まるで闇の中から突然現れたかのように、声が聞こえるまで凪はラルが近づいていることに気が付かなかった。
◇
時間を少しだけ遡る。ラルは少年の家のどこかに隠されているはずのシンを探していた。
こいつらを殺してシンを、この手に。
辛に致命的な一撃を食らわせられたその瞬間も変わらず、ラルはただ一つの願いに縋り続けた。
地面に倒れ空が視界を覆っても、生温かい血が服にじわじわと広がっていく不快感を覚えても、ラルはまだ考えていた。
殺して、ああ、そうか。殺して奪う。
そしてその執念が、ラルを一つの答えに導いた。
「“シン”を隠すなら体内……取り出す方法の一つは殺害」
辛たちが後から現れた悪魔達に気をとられている間に、ラルは人知れず起き上がり、ふらふらとした足取りで少年に近づいた。どれだけ瀕死の状態でも、何もできない少年一人を手にかけることはラルにとって造作もないことだった。
人体を溶かす酸の強い液体を、圧力の勢いに任せまるで刺すようにただ一回放出するだけでことは済んだ。少年が痛みを感じたかさえ分からぬほど、あっという間のできごとだった。
「死んだ人間から“シン”は取り出せる。あんた達が悪魔と戦っている間に頂いたわ」
◇
現在。
ラルは分裂し、凪と辛、爪戯の周りをぐるりと囲んだ。これが少年から奪ったシンで得た、ラルの新しい能力らしい。
「人を支配できる能力って聞いていたけど……使いこなせればそれも可能ってことかしらねコレ。でも今はあんた達を殺すには十分かな?」
ラル自身、手に入れたばかりの能力について完全な理解はできていないようだった。爪戯は先ほど攻撃の認識をずらされたことと併せて目の前の現象について分析した。
視覚。ってことは光系の能力か。それによる幻覚。
凪もラルの幻に囲まれながら、冷静に考えた。
巧く幻を見せれば人を意のままに。そういう能力ってことね。でも手に入れたばかりの能力でまだ使いこなせているとは思えない。
「私の邪魔をしただけでなく、私に血を流させた」
ラルが怨嗟の声を上げるが、凪は思考を止めない。
視覚にしか作用していないから。
この勝負、勝てる。
絶対絶命のように見えるこの状態においても、凪には自信があった。
これまで行動を共にしてきたからこその仲間への理解と信頼が、凪にその確信をもたらしていた。
「全員!」
「絶対殺す!」
まるでそれぞれのラルが言葉を浴びせているかのように見えた。
等間隔に並んだ無数のラルから放たれる攻撃は、それぞれが繋がって四方八方から飛び散るように見せ、逃げ場などないような光景を作り出した。
本物がどれか分からないはず。
「防げるものなら防いでみろ」
ラルが眉を吊り上げ叫んだ瞬間。
「型捌 雀蜂──……」
辛は両端が蜂の針のように鋭利になった武器を瞬時に作り出し、迷うことなく一直線に本物のラルへ走りこんだ。
ラルが何かを考える間もなく、辛の刃はラルの胸部に貫通した。
「これ以上、お前にやる命はない」
辛は刺した刃を真横に振り抜くと、ラルの胴は千切れるように裂け、胴から吹き出る血が自らの服も顔も全てを汚した。
あぁ、流石にこれは、もう無理。
ラルの視界は暗くなり、もう景色も見えなかった。
しかし、何故本体がバレた。
そこでラルの脳を走る言葉は途絶え、ついに考えることもできないただの骸となり果てた。
凪はラルが浴びせた幻覚の攻撃にも怯まず、その場でじっと待っていた。
見せかけに騙されないよ、辛君は。
凪は、ラルの姉が凪に化けても辛が一瞬で見破り偽者を斬ったことを思い浮かべていた。凪は、幻が何人増えようと、辛の感知能力の前には意味のないことだと確信していた。
「……」
辛はラルが今度こそ完全に動かなくなったことを見届けた。
「やったね辛君!」
凪と爪戯は辛のもとへ集まった。
「あ、いや……良くないね……あの男の子……私がもっと早く悪魔の子を何とか出来てたら、辛君が間に合ったよね……?」
凪が亡くなった少年を思って言うと、すかさず爪戯が手の甲で凪の額をはたいた。しかしただそれだけで、爪戯は何も言わなかった。
「……あんたがあの悪魔の奴を何とかしてくれなかったら、爪戯が酸で……悲惨なことになっていただろうな……間に合わなくて」
「え?」
爪戯は辛が目も合わさずに恐ろしいこと言うので、今更ながら戦慄した。辛なりの凪へのフォローだったのかもしれないが、表情も見えず冗談かどうかさえ区別がつかない。
これでようやく他に誰もいなくなったかと思われた時、引きずるような重い足取りで瓦礫を踏む音が聞こえた。
音のした方へ凪が視線をやると、そこにいたのは脇腹や口から血を流した痕が残る、もう一人の凪――ラルの姉の姿だった。
「あ、あんた……偽物! 何? まだやる気!?」
凪は身構え、大声を出したが、偽物の方は虚ろな瞳で力なく腕をだらんと下げていた。
「……やっと、終われるのね……」
それは、妹の死を悟った安堵なのか、自らの終わりを受け入れた言葉なのか。




