No.35「耐食性」
「コレなら、どう?」
ラルは睨みを効かせ、先ほどとは違う色の液体を作りだした。背中から出されたその液体は赤土に似た濁った橙赤色をしており、先ほどとは比べ物にならない量が宙に舞う。
橙赤色の液体。
辛が分析している間に、ラルは右腕を振り下ろし、その液体を辛に目掛けて放出した。辛は白金の刀でそれをかわそうとする。
しかし、先ほどは硫酸に耐え、溶けなかった白金の刀が、今度は触れた瞬間、上身の大部分が焼け付くような音を立てて溶け去ってしまった。
「無駄! 貴金属だろうが溶かすんだから!」
その様子を、少し離れたところから凪と爪戯は見ていた。
「何よあれ……!」
「王水……?」
白金をも溶かす液体。爪戯は科学知識から心当たりを呟いた。するとその通り、ラルは橙赤色の液体の正体を明かした。
「王水を温めると白金でも溶かすってね。能力で反応速度も強化してるから、触れたらすぐ溶けるわよ」
そう言いながら、ラルは辛越しにその先にいる凪、爪戯、少年の三人を見た。
「そんな液体が人体に触れたらどうなるか……分かるわよね?」
ラルは勢いよく手を広げ腕を前に突き出した。そして生成した王水を巧みに操り、辛と凪達三人にいっぺんに降りかかるよう、広範囲への大規模攻撃を仕掛けた。
「後ろ、気をつけないと知らないよ? “王の水!!”」
しかし、辛は怯まなかった。
「反応速度を強化してるとは言っても溶解できる元素に変化はないだろ……」
ラルは怒りに身を任せ、本来生け捕りにする予定だった凪までもを全員まとめて殺すつもりで王水を放った。放たれた王水は空高く舞いあがり、そして今度は死の滝のように空から落下し始める。
潔く死になさいよ。
間違いなくやった、とラルは確信した。しかし辛はすばやくしゃがみ、地面に手をついて能力を自身の後方に展開させた。
「型参 帯蛹──……」
辛が地面から出した大きな金属の板は、凪達を守るように地面から斜めに生え、ラルの攻撃を受け止めた。
そして辛自身は地面を蹴り、王水のかからない前方に向かって飛ぶように走りこんだ。
溶けない。何で。
辛が生成した金属の壁は、王水を浴びても時間が経っても溶けずに耐え続けた。
ラルが狼狽えている間にも、辛は新たな大剣を右手に構え、もうラルの目前まで迫っていた。
防がないと。
ラルがそう思った時にはもう遅かった。
「お前に……殺される気も、殺させる気も、ない……!」
辛はそう言いながら、大剣でラルの胴を深々と貫いた。
肉を断つ感触が手に伝わる。
「っ……なぜ……?」
気づけばラルは先ほど斬られた肩からの上半身と、今しがた大剣で貫かれた腹、そして口からも血を流し、瀕死の状態になっていた。
「……さっき言ったろ、溶解できない金属を使えばいい、と」
ラルは意味が分からない、というような顔をした。王水は全ての金属を溶かすはずだ。
「貴金属の中でも“銀”は王水ではほとんど溶けない。タンタル、イリジウムも溶解できない」
銀は王水と反応して表面に塩化銀の被膜が発生し、それが不働態として内部を保護する為、白金と同じような溶解反応は起こらない。
ラルは白金に対応して王水を生成したが、辛の知識と能力はそれを上回っていたのだ。
「……何なの……あんた……」
辛はラルの腹に突き刺さった刀を真横に振り抜き、トドメを刺した。
「腹立つわ……」
ラルはぽつりと呟いた。
ああ。
刀で振りぬかれ、千切れた腹からおびただしい量の真っ赤な血が噴き上げた。
地面に倒れゆく刹那、ラルの脳内には走馬灯のように幼いころ見た最悪の景色、恨みが脳内を駆け巡った。
私達を虐げる奴らが嫌い。だから殺される前に殺してやる。生き残るために殺してやる。
これまでに自分が手にかけてきた人間たち。血を吐き、許しを乞うても容赦はしなかった。人生の景色は瓦礫の山と血溜まりばかり。でも最後に立っているのはいつも自分の方だった。
チカラが全て。チカラがあればもう誰にも。だから欲しい。だからこいつらを殺して、“シン”を、この手に。
ラルは縋るように血塗れの右手を天へ伸ばしたが、虚しく空を掴むだけだった。
殺して。ああ、そうか。
そして全ての力が抜け、背中から地面に打ち付けた。ラルにとってそれは永い一瞬だった。
ラルが動かなくなったのを見て、辛は能力を解除し、大剣を手から消した。同時に凪達を守るために作った銀の壁も崩れていき、守られていた三人は辛と、血を流して倒れているラルを見た。
「……! 勝った!?」
凪がその様子を見て安堵した、まさにその瞬間だった。
重い衝撃音が響く。
突然、辛の腹を何かの能力が貫いた。
その正体不明の物体は、下は地面と接地しているが、上は何もないはずの空中から生えているように見え、それはまるで空間を切り裂いて異界から現れているかのようだった。
辛の腹に貫通しているその杭のようなものには、大量に「止」の文字が書かれていている。
「なるほどね〜。お兄さん、半分が妖なんだね」
女の声がした。しかし声の主がどこにいるか、辛でさえも分からなかった。
辛が身動きできないでいると、続いて似たようなものがまた空間を切り裂いたようなところから二本伸び、それらは蛇のように両腕に巻き付いて辛を完全に固定した。
「捕獲完了!」
また誰もいないはずの場所から女の弾んだ声がした。
そして、空間の狭間からすうっと半透明の片足が現れた。異界の裂け目にはうっすらと黒い粘性の液体が付着しており、現れた足の裏からもその液体が垂れ、地面を汚した。
「これ、噂だと二例目じゃない? こういう珍しいのってなかなか高値で売れるんじゃない?」
ヌルリと出て来たのは、少年と町で出会った時に、少年の胸倉を掴んで脅していた二人組──アナナスとヒユだった。
女の方――アナナスは片足の表、足首あたりに「A」と書かれている。そしてアナナスに続き、先ほどの声の主──ヒユも、上半身から順に現れた。
「個人的にはぶっ殺したいけどな!」
こいつら何処から。近づく気配は、感じなかった。
辛は拘束され血を吐きながら、二人が異界から全身を現していくのを呆然と見た。
「辛君! あ、あれって……」
凪も、現れた二人組が町で会った者たちだということに気が付いた。
「わざわざ村外れの家まで来てやったのに、何でこんなに崩壊してんだ? この中からシンを探すとか無理じゃん」
ヒユは瓦礫の山となった少年の家を見て不満げに言った。
あいつら。
少年は町で恫喝された時、ヒユもシンを欲しがっていたことを思い出した。
「辛を放せ!」
爪戯は能力で作った、鋭利な切っ先を持つ氷をヒユめがけて全力で投げつけた。
「氷か……」
ヒユは冷静に投げられた氷を見つめ、飛んできた塊を素手で叩き割った。
破砕音が響き渡る。
「この程度! 余裕だね!」
ヒユの右手の甲には、力を込めた瞬間だけ「力」の鏡文字が浮き出ていた。叩き割られた氷の塊は、粉々に砕けて四方へ飛び散った。
「おお! ヒユ流石〜」
「当然! 楽勝〜」
笑う二人組の余裕しゃくしゃくな様子を見て、凪は爪戯に言った。
「ねえ、ナメラレテナイ?」
「ん!? あれ!?」
次から次へと現れる敵に、少年は混乱していた。
「……何なんだ」
少年は、能力を持った者たちがこぞって自分の家へシンを探しにくる理由が分からなかった。
「何者なんだよお前ら! お前らもシンが狙いってことは、さっきの王水女の仲間か!?」
「え? う〜ん、さっきの奴と仲間? 違うね!」
少年が声を張り上げて問うと、二人は笑ってそれを否定した。
「おれらは……悪魔──……」
二人が少年や凪の方へくるりと向いた時。
アナナスの顔には、目も鼻もなく、口だけがあった。つるりとした肌色の曲面の、のっぺらぼうのような異形だった。




