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半妖の青年は“五つの異能”で理不尽を覆す。神と悪魔の運命に挑む【SIN】  作者: 神野あさぎ
蝶妖

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No.24「蝶妖Ⅴ」

「こんにちは! かのと元気になった?」


 かのとの熱が引いた頃、ずっしりと重い寿司折をぶら下げてやってきた蝶神ちょうがみは、いつもの蝶の姿ではなく人間の姿をしていた。

 見慣れぬ大人の女性の訪問に人見知りをしたかのとは、北王ほくおうの着物の陰から半分だけ顔を出す。北王ほくおうは面白がりながら説明を加えた。


かのと、安心しろ。このオバサンは悪い人ではない……多分」

「こいつ殺そ」


 蝶神ちょうがみは笑顔を崩さず物騒な暴言を吐き、持って来た寿司折をすっと上に持ち上げた。


「多分って何よ! 失礼ね!! お見舞いもちゃんと持って来たのに……鯖寿司」


 手土産の内容に北王ほくおうは呆れた顔をした。


「何故それにした?」


 子どもへの見舞いに鯖寿司。センスが独特すぎる。

 かのとかのとで、得体のしれないものから逃げるように、勢いよく走りだして別の部屋に隠れてしまった。


「そしてお前、今完全に嫌われたぞ。見ろ、あの逃走を」

「そう……なら意地でも食べさせようかしら」

「やめてください」


 蝶神ちょうがみはつまらなそうに肩を落とした。


「ってか、ごめんなさいね。私がかのとの面倒をみてあげられたら良かったんだけど……」

「いや……お前だって忙しいだろ……?」

「忙しいって言うか、うーん……」


 北王ほくおう蝶神ちょうがみが居間に腰を降ろして会話を続けていると、その間にかのとはこっそりと部屋の前まで戻ってきていたようで、少しだけ開けた引き戸から静かに中を覗き見ていた。

 そんなかのとの子どもらしい仕草に、北王ほくおうはもちろん気づいている。


かのと~大丈夫だから!」


 部屋に招こうとするが、北王ほくおうに簡単に行動を読まれてしまったかのとは、逆にむくれてしまった。


「と、さま、も、きらい」


 強く音を立てて引き戸は閉められ、かのとはまたどこかに行ってしまった。


「何で!?」


 情緒が育ち複雑な感情を表現するようになったのか、あるいは反抗期か。北王ほくおうにも時々かのとのことが分からないことがある。

 北王ほくおう蝶神ちょうがみは閉まったままの引き戸をしばらく黙って見つめたが、かのとは帰ってこなかった。


「ねえあの子、笑うことある?」


 蝶神ちょうがみは何かを思いついたかのように、頬杖をついて尋ねた。


「え、何急に……?」


 北王ほくおうは唐突な質問に驚きつつも、真面目に今までを振り返ってみた。しかし考えるほどその質問は北王ほくおうの心を曇らせた。


「……さあ、今のところ見たことないな」

「そう……」


 あいつと同じだとすると。

 蝶神ちょうがみかのとの様子に対して何か心当たりがあるようで、顎に手をあてて思考の海に潜りこんだ。

 表情が乏しいのは、ただの性格ではないのかもしれない。

 北王ほくおうも改めて自分で言ったことがこたえたのか、物憂げな表情で口を閉ざしてしまった。


 ◇


 一方、大人二人が話している居間に居心地の悪さを感じたかのとは、自室に引きこもって蝶の図鑑を床に広げ、静かに眺めていた。


『あいつ、今日は貴方の為に休み取ったのに他の女と居るの? 酷いわね』


 今日もあやかしの母は、かのとが一人になるタイミングを狙って現れた。かのとの部屋の一部はまるで泉になったかのように床が揺らぎ、あやかしの体の周りだけに波紋が広がっていた。

 母の登場に慣れてしまったかのとは、振り向きもせず図鑑に熱中しているフリをして無視を決め込んだ。


 あの人は、父さまの友達だよ。それにあっちの人とは違う感じ。

 あっちの人。それは、以前自宅に現れた父の知り合いの男のことだった。「玖」という文字の書かれた布のようなもので顔面を覆っている、得体のしれない人物だ。

 彼に対する生理的な拒絶感に比べれば、蝶神ちょうがみはまだ受け入れられる。


「本読んでるの?」


 玖のことを思い出していると、知らぬ間に蝶神ちょうがみが部屋に来ていたらしい。ふいに声をかけられたかのとは、驚いて部屋の隅に逃れ、小動物のように身を丸くした。

 あやかしの姿は、いつの間にか消え去っていた。


「何もしないわよ」


 蝶神ちょうがみはその場に正座し、かのとが床に広げていた図鑑を覗いた。


「蝶と蛾の図鑑ね! あ! アタカス・アトラスじゃない~」


 蝶神ちょうがみが楽し気に図鑑を捲っていく様子を見て、部屋の隅で固まっていたかのとは少しだけ緊張の糸が解けた。


「いいわよね、虫! かのとはどれが好きなの?」


 蝶神ちょうがみの方からかのとに近寄り話しかけると、かのとはまた少し身を固くした。それでも今度は逃げださずに、無言で図鑑に指を差して蝶神ちょうがみの質問に答えた。


「……」

「ヘレナモルフォね! すごく綺麗よね~。あ! オオスカシバ可愛いわよね」


 蝶神ちょうがみかのとが指を差す蝶に、一つ一つ丁寧にリアクションするので、かのとも指だけで会話を交わすかのように、次々と気に入っている蝶を指し示した。


「ん! ウスタビガ! もふもふ! 良いわよね~、あ~可愛い~」

「……」


 かのとにとって父以外の身近な人間と言えば、かのとのことを化け物扱いする近所に住む村人たちばかりだった。そんな中でかのとを半妖と恐れずに、気さくに接してくれる蝶神ちょうがみの態度は新鮮だった。


「じゃあまたね! またお話しましょうね!」


 かのとがどれだけ無表情で接しても、蝶神ちょうがみは明るさを失わず、帰るまで楽し気に振る舞った。手を振りながら帰っていく蝶神ちょうがみを、かのとはまたも北王ほくおうの腰にしがみつきながらも玄関の外で一緒に見送った。


 ◇


 かのと。やはり貴方は。

 今日、改めてかのとを間近で観察した蝶神ちょうがみは、ある心当たりに確信を得た。

 あの子の「笑わない」という特性は、おそらく――。


 北王ほくおうの家を出た蝶神ちょうがみは、峠道を進み帰宅の途についた。その際、男の子とその母親らしき人物とすれ違ったが、蝶神ちょうがみは深く考えごとをしていたので何も思わず通り過ぎた。

 が、二人が通り過ぎた後、蝶神ちょうがみは急に何かに気づいたように勢いよく振り返った。


「……えっ……!」


 驚く蝶神ちょうがみに、男の子の方はちらりと蝶神ちょうがみの方を見返した。

 無邪気な瞳が、一瞬だけ暗く光った気がした。


 ◇


 蝶神ちょうがみの姿が見えなくなるまで見送った二人は、ちょうど部屋の中へ戻ろうとしたところだった。


「家ん中入ろうぜ、かのと~」


 ずっと北王ほくおうの服を掴んでいたかのともそれに続いた。

 すると、先ほど蝶神ちょうがみとすれ違った親子が北王ほくおうの家に辿り着いた。


「やっと見つけたわ」


 長い髪を下の方で一つ結びにした母親は、不敵な笑みを浮かべていた。


「ずっと探してたのよ」

「お前……!」


 北王ほくおうはその女を見るなり、顔をしかめた。


「よく顔を出せたな!」


 北王ほくおうは声を荒げるが、女はその様子に気にも留めずに言葉を続けた。


「親も貴方の叔父もうるさくて。それにほら……貴方の子よ?」


 女は薄気味悪い笑みを浮かべ、手で自分の息子を示した。かのとより少し小さなその男の子は、状況を理解していなさそうなきょとんとした顔で北王ほくおうを見た。

 一方、北王ほくおうはそれを聞いて言い返せなくなってしまったようで、口を閉じた。


「あら? その子は……?」


 女は、北王ほくおうの後ろに身を隠していたかのとに目をつけた。

 かのとは険悪な二人の会話の矛先が急に自分に向けられ、訳が分からず女を見上げた。


「こいつはオレの子だ」


 北王ほくおうが言うと、女はふうん、と暗い目でかのとに品定めするような視線を送った。


「……」


 かのとが女の連れている男の子の方へ視線を落とすと、その子もかのとを見つめていた。

 かのとはいつも通り無表情のままだったが、男の子はにこりと愛想の良い笑みを浮かべた。

 この日から、この親子は北王ほくおうかのとの家に、勝手に住み始めたのだった。


 ◇


 数日後。


「ねえねえ! あそぼ!」


 この男の子、ひのとは新たな生活にも動じずかのとに無邪気に話しかけた。しかし、母親の方はかのとをあからさまに邪険に扱い、二人が仲良さげにしていると聞こえるように舌打ちをした。


ひのと、“一人で”外にでも行って遊んでらっしゃい」


 ひのとの母親は苛々と怒りのこもった冷たい言い方で、子どもたちを見もせずにぴしゃりと言い放った。


「え~……」

「良いから行きなさい!」


 声を荒げる母親にひのとは慣れているのか、脅える様子もなく平然と返事をしている。


「は~い」

「……」


 かのとは本を抱え、二人から目を反らし何も言わなかった。

 ひのとがぴしゃっと戸を閉め元気に一人で出て行くと、かのとは居間でひのとの母親と二人きりになってしまった。


「……あんたってあやかしとの子どもなんだってね」


 女は聞こえよがしに盛大なため息をつき、かのとに言い放った。


「村人がこそこそ話してたわ。ったく……何年も姿を消していたと思ったら、まさかあやかしと──……信じられない」


 父とかのとだけで過ごしているときはあんなにも明るい我が家なのに、この親子が来ただけでたちまち空気はどんよりと重くなり、息が詰まりそうだった。


「“私達”に近寄らないでよね、化け物」


 村人たちと同じ物言い。やはり人間は自分のことをそう言うのだ。

 何もしていないのに。

 かのとは自室に引き上げ、女と同じ空間に居るのを避けた。


 夕方になり、部屋が暗くなりかけた頃。女が独りぶつぶつと言っているのが聞こえた。


「もう……日が暮れるのにまだ帰って来ないわね、ひのと……何をしているのかしら」


 かのとは居間の引き戸の隙間から聞き耳を立てた。ひのとが家を出てから、もうだいぶ時間が経っている。

 オレには関係ない。

 かのとは忍び足で居間の前を通り過ぎ、また自室に戻ろうとした。

 でも、あいつも、父さまの。

 にこやかに微笑むひのとを思い浮かべると、後ろ髪をひかれる思いにかられた。

 自分に向けられた笑顔。自分と同じ、父の子である彼。


「……」


 先ほどまで夕日で木々を美しく照らしていた太陽は、すでにすっかり山の向こうへ姿を隠し、空は夜の始まりを告げていた。

 森に、闇が落ちる。

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